第44話 僕が倒すから

 四年前のあの日のことをセレスティアははっきりと覚えていた。


 当時、彼女は十一歳だった。

 祝福を受けてまだ一年。


 魔物と戦うことができない彼女は、アンデッドの大群に王都が襲われる中、数人の兵士や侍女たちとともに地下室に隠れ潜んでいた。


「……お父様……お兄様……」

「し、心配は要りませんわ、王女殿下。陛下も王子殿下も、きっとご無事ですから……」


 そう励ましてくる侍女の声が震えているのを、聡い彼女は察していた。

 状況は芳しくないのだろう。


 王妃であった母親は幼い頃に亡くなっている。

 もし父や兄が帰って来なかったら?

 その未来を想像するだけで、身体の震えが止まらなかった。


 けれど死神の鎌は真っ先に幼い王族の命を狩りにきた。


 地下室の扉を破壊して現れたのは、複数の生き物が融合した悍ましいキメラだった。

 しかもそのキメラを引き攣れていたのは、魔王軍の幹部だと名乗る老人だ。


 護衛の兵士たちがあっさりと殺され、セレスティアは己の死を悟った。

 いや、殺されるだけならばまだマシだろう。

 アンデッドにさせられ、永遠に敵の操り人形となるなど、耐えがたい屈辱だった。


 そこに現れたのが一人の男の子だ。


「こ、ここは危険よ! 逃げて……っ!」


 最初は普通の子供が迷い込んだのかと思い、そう叫んでいた。

 なにせ十一歳のセレスティアより一回りも小柄だったのだ。


 けれど彼はキメラを前にしてもまったく動じることなく、それどころか、


「大丈夫、僕が倒すから」


 と、自信たっぷりに宣言して見せたのだ。


 そんなことできるわけがない。

 この年齢の男の子にはよくある英雄願望だろうけれど、今この現実を前にしては悲劇しか生まない。


 そして焦るセレスティアの前で繰り広げられたのは、予想と真逆の展開だった。


 男の子が圧倒的な強さでキメラを、そして死霊術師を倒してしまったのだ。

 信じがたい光景を前に呆然と立ち尽くしていると、


「あ……」


 気づいたときには、すでに彼の姿は地下室になかった。


「お礼も言えなかった……名前も……」


 名前も知らないあの男の子。

 王都に住んでいるのか、そうでないのかも分からない。


 セレスティアはそれからというもの、ずっとあの日のことを後悔して生きてきた。


 なぜお礼を言わなかったのか。

 なぜ名前も聞かなかったのか。


 あの男の子と会う機会がないまま月日が過ぎるにつれ、その思いは薄れるどころか、かえって強くなっていた。


(それがまさか、こんな形でまた会うことができるなんて……)


 セレスティアはすぐ隣に座る少年の横顔をちらりと見ながら、胸を高鳴らせていた。


 十二歳になったという彼は、四年前よりも成長しているけれど、それでも十五歳の彼女からはまだまだ幼く見える。

 なのに、まるで頼りがいのある大人の男性が傍にいるような感覚があった。


「……セレスさん?」

「っ!」


 つい見入ってしまっていた。

 顔を紅潮させながら、セレスティアは慌てて立ち上がった。


「きょ、今日はわざわざ来ていただいてありがとうございましたっ! では、そろそろ戻りますねっ」

「あ、はい」


 もっと話をしていたい気持ちはあるけれど、今日はこれが限界だ。

 幸い同じ学院に通っているわけだし、またいつでも会うことができるだろう。


 セレスティアは赤くなった頬を悟られないよう、そそくさとその場を後にした。







「セレスティア殿下っ!」


 女子寮へと戻ってきたところで、自分の名を呼ぶ声がした。

 振り返ると、どこか慌てた様子で学院の教員がこちらに駆け寄ってきた。


「どうされましたか?」

「実は先ほど、王宮から使いの方がいらっしゃいまして」


 何事だろうかと、セレスティアは訝しむ。


「国王陛下が至急、王宮に戻ってきてほしいとのことです」

「陛下が?」

「はい。すでに馬車は用意されています」

「……随分と急ですね」


 今までこのようなことは一度もなかった。

 よほどの急用なのだろう。


 不安を覚えながらも、セレスティアは用意されていた馬車に乗り込んだ。

 それは王家の紋章が記された王族用の馬車だ。


 馬車に揺られること数十分。

 王宮に到着したセレスティアは、父である国王の元へと向かう。


「……セレスか。悪かったの……わざわざ呼び出してしまって……」

「いえ。それで、話とは何のことでしょうか?」


 なぜかやけに歯切れの悪い父の様子に嫌な予感を覚えたそのとき、横から割り込んでくる声があった。


「おお! 愛しのセレスティア王女! 久しぶりですぞ!」

「っ……」


 振り返ったセレスティアは、思わず顔を歪めてしまった。


 そこにいたのは、さながらオークのような中年男だった。


 年齢は見た目よりは若い三十半ば。

 背はあまり高くないが、その分、横に大きく広がった体形をしている。

 不摂生な生活を送っているせいか、頭髪もすでに薄くなり、歩くだけでも汗を掻いていた。


「お、王太子殿下……」

「ほほう! 覚えてくれていたのですな! とっても嬉しいですぞ!」


 忘れるはずもない。

 なにせ、彼はここエデルハイド王国の隣国であるハンバラダ帝国の皇太子であり――


「それにしてもますます大人っぽく、そして美しくなられましたの! 婚約者として鼻が高いですぞ!」


 ――セレスティアの婚約者なのだ。


「こ、この度はどのような案件で……?」

「実はですな! あなたとの結婚時期を早めようと思い、わざわざハンバラダから参った次第なのですぞ!」

「え……?」

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