第36話 忘れないでくださいよ

「う、嘘だろ……」

「あのドラゴンファングのギルド長が……」

「いくら短剣だからって、こうも手も足も出ないなんて……」


 捕らわれの剣士たちの口から絶望の声が漏れていた。


 ボロボロの身体で地面に転がるのは隻腕の剣士だ。

 一方、獅子の獣人はほぼ無傷である。


「まぁそう落胆する必要はないぞ、人間たちよ。むしろ誇るべきだ。この私を相手に、三分も戦いを継続することができたのだからな。さすがの私も予想外だったよ」


 獅子の獣人の言葉は聞きようによっては皮肉にも思えるが、しかし素直に驚いている様子だった。

 裏返せば、遥か格下に見ていたということでもある。


「下級の魔族であればいい勝負ができただろう。しかし今日は相手が悪かった。なにせ君の目の前にいるのは魔王軍の幹部にして、獣人部隊を率いるこの私、レオルド=レ=ラオゾーレなのだから」

「っ……てめぇが、魔王軍の幹部……」


 息を呑む隻腕の剣士。

 だが続いてなぜか「ふっ」と笑った。


「何だ、今の笑いは? あまりにも」

「いや、その逆だ。魔王軍の幹部がこのくらいなら、まだ人類には希望があると思ってな。俺の知ってる中にも、あんたより強い奴がいるぜ?」

「ふはは、安い脅しだ。だがせっかくだから期待しておくとしよう」


 獅子の獣人は軽く笑うと、隻腕の剣士の頭を鷲掴みにした。

 そして鋭い牙が並ぶ口を開けると、


「喜べ。この私の血肉となれることを」


 隻腕の剣士の首へと豪快に喰らいつく――寸前、動物的な直感でその接近に気づいた。


「私の食事を邪魔するとは、良い度胸ではないか」


 攻撃を右手の爪で防ぐ。

 さらに左腕を振るい、反撃を繰り出した。


「なに?」


 だが爪が襲撃者の身体を斬り裂いたと思いきや、返ってきたのは空気を掻いたような感触だけだ。


「そっちは〝残像〟だぞ」

「っ!」


 ネコ科特有の敏捷な動きでその場から咄嗟に飛び退りつつ、背後を振り返った彼は眦を吊り上げた。


「この私の後ろを取るとはっ……何者だ?」


 そこにいたのは黒髪の青年。

 返事は後ろから聞こえてきた。


「それも〝残像〟なのだが」

「っ!?」



    ◇ ◇ ◇



 都市の中央広場に魔物がたくさん集まっていたので来てみると、剣士たちが捕らわれていた。

 そしてどこかで会ったことのあるおっさんが魔族と戦って敗北し、食われそうになっていた。


「お父さん!」

「ああ、そう言えば」


 リリアの悲鳴で俺は思い出す。

 あの隻腕のおっさん、リリアの父親で、ドラゴンファングのギルド長だ。


「いや忘れないでくださいよ!?」

「そんなことより助けに行ってくる」


 広場が見える建物の上にいた俺は、跳躍して広場へ。

 そして今に至るというわけだ。


「それも〝残像〟なのだが」

「っ!?」


 俺は再び獅子の獣人の後ろを取っていた。


「ば、馬鹿なっ!? 一度ならず、二度もこの私の背後を取るなど……っ!」

「なんか驚いているが、めちゃくちゃ隙だらけだぞ?」


 ふむ、こいつが魔王軍の幹部とか言っていたので少し警戒していたのだが、どうやら大したことないらしいな。

 昔この都市で戦った鬼神とやらの方がよっぽど強かったように思う。


「な、何者だっ、あの男はっ?」

「あ、アレルだ……っ! あの英雄アレルだよ!」

「なっ、それって、《無職》でありながら剣神杯を制したっていう、あの!?」


「噂をしたら影とは言うが……まさか本当に現れるとは思わなかったぜ……」


 リリアの父親が倒れたまま笑っている。

 ……名前は忘れた。


 獅子の獣人が警戒して身構えながら何かを理解したように頷いている。


「なるほど。君が先ほど彼が言っていた私より強い奴、というわけか」

「ふむ? よく分からないが、お前より強いのは間違いないと思うぞ」

「……たった二度、私の背後を取っただけで勝てると思うなぁっ!」


 躍りかかってくる。

 そのときにはすでに俺は後ろにいた。


「これで三度目だな」

「はっ! そう何度も同じ手が私に通じるかぁっ!」


 振り向きざまに繰り出される爪撃。

 だがそれはまたしても俺の〝残像〟を引き裂くだけだ。


「こっちか!」

「外れ」

「っ、ならばこれだ!」

「それも外れ」


 俺の〝残像〟に翻弄され続ける獅子の獣人。


「オオオオオオオオオオオオッ!!」


 怒りが頂点に達したのか、急に動きを止めたかと思うと、空に向かって咆哮を轟かせた。


「む……」


 その衝撃波が俺の残像をすべて掻き消した。

 さらに、凶悪な威圧によって剣士たちが白目を剥いて気を失っていく。


 俺も一瞬だがその影響を受け、動きを止めてしまった。

 その隙を見逃さず、牙を剥いて迫りくる。


「ははははっ! 所詮、貴様もこの私に喰われる側なのだっ!」

「だからそれも〝残像〟だって」

「っ!?」


 まったく学習しないな、こいつ。

 魔族は人間並みの知能を持つというが、やはり獣だから馬鹿なのだろうか?


「……残像残像残像と、さっきからそれしかできないのか。見れば剣すら持っていないではないか」


 まぁ剣が無くても斬れるからな。


「ふむ、じゃあこれでどうだ」


 全部で五人の俺が魔族の周囲を取り囲む。


「また残像とやらか! このようなただのまやかし、幾ら生み出そうと痛くも痒くもグアアアアアッ!?」


 五人の俺に全身を斬り刻まれ、魔族は絶叫を上げた。


「「「これは〝残像〟じゃなくて〝分身〟だ」」」

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