第30話 津波を斬っただけだが

「「「うわあああああああっ!?」」」


 船員の一人が海へと消えていき、甲板の上は俄かに騒然となった。


 同時に船がさらに大きく揺れる。

 その拍子で何人も引っくり返ってしまった。


「な、なんだあれはっ?」

「ひぃいいいっ」


 海の中から巨大な触手めいたものが姿を現した。

 一本だけではない。

 蛇身のように蠢きながら何本も船に絡みつき、揺らしているのだ。

 このままでは転覆しかねない。


「こ、こいつはクラーケンだっ!」

「しかもデカいぞっ!」


 船員たちが言うには、イカによく似た魔物だという。

 その体長は小さなものでも十メートルを超えており、中には船をそのまま海中へと引きづり込むようなやつもいるらしい。


「おいっ! こいつを外せ! 早く脚を斬り落とさねぇと船が沈んじまう! もちろん全員だ!」


 船長が怒鳴り声で縄を解けと訴えてくる。


「その必要はない。俺一人で十分だ」


 俺はマストを圧し折ろうとしていた脚に近づく。


 シュパッ。


「っ!? あの太さの脚を一瞬で斬り落としただと!?」

「剣筋が見えなかったぞ!?」


 さらに俺は他の脚も斬り落としていった。


「っ! ゆ、揺れが収まった……?」

「逃げていったんだ……っ!」

「す、すげぇ、たった一人でクラーケンを追い払いやがった……」


 どうやら海中へと逃げたらしい。


「ふむ、さすがに水中戦闘は難しいか……」


 追いかけたところで追いつけないだろう。

 仕方なく諦めかけた、そのときだった。


 海の奥から巨大な影が浮かび上がってくる。

 それは見る見るうちに大きくなっていき、やがて、



 ドパアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアンッ!!



 天へと届くかという水柱とともに、そいつは姿を現した。


 クラーケンではない。

 それよりも遥かに巨大な生き物だ。

 何せその口に体長十メートル超えのクラーケンを咥えているくらいだからな。


 このガレオン船ですら、まるで小型船に見えてしまうほどだ。

 しかもそれでもまだ全貌は露わになっていない。

 身体の大半が海中にあるからだ。


 そいつは超巨大な蛇だった。

 クラーケンを丸呑みすると、エメラルドブルーの鱗を幻想的に煌めかせながら、遥か頭上よりこの船を睥睨してくる。


「な、何だこの化け物は……?」

「こんなデカい魔物、見たことねぇ……」


 クラーケンがいなくなって安堵していた船員たちが、先ほどよりもさらに蒼い顔で愕然としている。


「ま、ま、ま、まさかこいつは……り、り、り、リヴァイアサン……?」


 誰かが震える声で呟いたそのとき、


『おいっ! そこにいるんだろう、ベヒモス! 出てこい!』


 どこからともなく謎の声が響いた。


『このいやーな感じの魔力! 海の底にいてもすぐに分かったぞ! 今度こそ決着をつけてやるからな!』


 と、そこへ船室から欠伸交じりにベフィが出てくる。


「ふぁぁぁ……。ん、久しぶり」


 軽い感じで右手を上げた。


「知り合いなのか?」

「ん。あれがリヴァイアサン。確か千年ぶりくらい?前に戦った」


 やはりこいつがリヴァイアサンらしい。

 まさか向こうからやって来てくれるとは。

 これで探す手間が省けたぞ。


『ベヒモス! まさか君の方から海にやってくるなんてね! ここはボクのホームだ! 君に勝ち目なんてないよ!』

「そもそも戦う気がない。めんどう」

『なっ? 何を言ってんだ! だったら何のために海に来たんだよ!』

「案内?」


 案内らしきことはまったくしてないけどな。


「お前に用があるのは俺だ、リヴァイアサン」

『なんだい、君は? 人間ごときがこのボクに用事だって?』


 呼びかけると、リヴァイアサンが胡乱げに睨んでくる。

 俺は頷いた。


「ああ。お前を従魔にしたい」


 リヴァイアサンが鼻を鳴らした。

 吹き荒れた風でマストが折れそうになる。


『まさかこんなに馬鹿な人間がいるなんてねぇっ。お前なんて、ボクがその船ごと一瞬で沈めてやるよ!』


 直後、海面がまるで城壁のように立ち上がった。

 高さ数十メートルにも達する巨大な津波だ。


「青魔法か」


 どうやら単に海を生息域にしているだけでなく、魔法で水を操ることもできるらしい。

 あれだけの巨体で海中を自由に泳ぐには、魔法の力を借りなければ難しいのかもしれない。


『海の藻屑になりなよっ!』


 巨大津波がこちらへと迫ってくる。

 あんなものに呑み込まれたら最後、この船は木っ端微塵だろう。


「「「ぎゃああああああああっ!」」」


 逃げ場のない甲板は阿鼻叫喚。

 平然としているのは相変わらず眠そうに欠伸をしているベフィだけだ。


「船ごと沈められるのはマズイな」


 俺は船の先端へ。

 そこで思いきり剣を振り上げ、迫りくる巨大津波目がけて全力で振り下ろした。


 ズパアアアアアアアアアアアアアアアンッ!!


 津波が左右に割れた。

 ちょうど船だけを避けて、津波は後方へと流れていく。


 死を覚悟していた船員たちが、呆然とした顔で俺の方を見てくる。


「つ、つ、つ……」

「津波を……」

「斬った……だと……?」


 リヴァイアサンもまた唖然としていた。


『い、今、何をしたんだいっ?』

「津波を斬っただけだが」

『そんなこと人間にできるわけないでしょっ!?』

「現に今やって見せただろう」


 俺は船首から海へ向かって跳躍する。

 もちろん海に潜るつもりではない。

 緑魔法を使い、空を飛翔した。


 船の上で戦うわけにはいかないからな。

 あの船員たちはともかく、拉致されていた人たちを巻き添えにするのは可哀相だ。


「さて、〝調教〟を始めるか」

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