第65話 キャンピングカーの旅で思ったこと

 南オーストラリア、キャンプの旅から帰ってきました〜。


 キャンプなんて言いつつ、キッチンもシャワーも付いているキャンピングカーでの旅。業者を通さず、二年ほどそのキャンピングカーを使っていた人から直接借りたので、寝具も、キッチン用品も、掃除用具も、リアル利用者が厳選した優れものばかり。電源のあるキャンプサイトではエアコンも使えて、最高に快適でした!


 とはいえ、家に帰ったら帰ったで、やっぱり我が家が一番ですね。四人家族が一つの車でぎゅうぎゅう一週間以上も生活するわけなので、プライバシーとか「え? それ何? お菓子?」みたいな世界でしたから。使い慣れたキッチンで料理ができるとか、お気に入りのマグでお茶が飲めるとか、日常の小さなことに幸せを感じます。


 旅は、行っている間は非日常が楽しめて、帰ってからは日常が楽しめるのでいいなと思います。


 さて、今回の旅で一番印象に残ったことを忘備録も兼ねて書いておこうかと思います。


 古代壁画のある峡谷まで、その土地のもともとの住民であるユタ族のガイドさん(ミックさん)に連れて行ってもらいました。


 ミックさん、観光案内所ではオーストラリアのアクセントのある英語をしゃべり、「インターネットが遅い」とボヤきながらパソコンで顧客管理をする、一見平凡な現代人です。


 ところが、ブッシュに行けば、どこに水があり、どの植物が食べられ、どの動物がどの季節の何時ごろ、どこにいるのか、などなど、土地のことを熟知したエキスパート。ほんの少しの装備で、ブッシュで何ヶ月も過ごすことができるサバイバル技術の達人でもあります。


 緑が青々として、巨大な岩の間にキラキラ輝く水の流れる渓谷は絶景で、ミックさんの語るその土地の民話や掟、植物や動物の話が非常におもしろかったです。


 ミックさんに連れて行っていただいた渓谷は、英語名でSecred Canyon(聖なる渓谷)と言います。『聖なる』なんて名前が付いていますが、ミックさんによると、本当の聖地は人は入ってはいけないので、聖地でもなんでもない観光地だそうな。


 ただ、昔は人の出入りの規制がまるでなかったので、せっかくの歴史的遺産が観光客によって破壊されてしまい、ミックさんを含むユタ族やアドニャマタンハ族の方々、加えて歴史学者や科学者が、政府と長年掛け合って近年になってようやく保護されるようになったそうです。


 さて、くだんの古代壁画、何千年、何万年前のものなのか、なんといまだに判明していないのだとか。


 ちょっと話が変わりますが、『オーストラリア大陸には、1770年まで人が住んでいなかった』と思われていた時代がありました。というのも、オーストラリアに移住してきたイギリス人たちは、現地にもともと住んでいた人たちを、人ではない動物とみなしていたからです。


 今ではもちろん、そんなことを言う人はいませんが、オーストラリア大陸の歴史の長さが本格的に研究され始めたのは、イギリスがオーストラリアを植民地化してからだいぶあとになってからです。


 Wikipediaには、オーストラリア大陸に人が住み始めたのは、今から五万年〜六万五千年前とありますが、ミックさんによると、『十二万年前から人がいた』という説が、最近発表されたそうです。


 日本の縄文時代が始まったのが、今から約一万三千年くらい前だそうなので、オーストラリアは土地だけじゃなくて、歴史の時間軸もスケールがでかいっすねぇ。

 私が見た古代壁画、もしかしたら十二万年前のものかもしれません。たぶん違うと思いますけど(笑)


 植民地化の過程で、オーストラリア大陸の先住民たちは、想像を絶する辛酸を嘗めてきました。土地を奪われ、木々を焼かれ、家族を殺され、幼い子どもを取り上げられました。


 彼らが選挙権を得たのは1962年と比較的最近で、長い間、人間として扱われていませんでした。1897年に導入されたCertificate of exemption(例外証明書)は、白人から見て役に立つとみなされた先住民に、例外として与えられた証明書で、俗にDog licence(犬の免許証)と呼ばれていました。


 自分の伝統的な文化や言語と決別することを約束する代わりに、白人の住む区域で仕事を得られたり、子どもに教育を受けさせることができる権利を得ることができる証明書で、場所によっては1970年代まで適用されていたそうです。


 ミックさんは今でもご兄弟とユタ族の言葉で会話をするそうです。ユタ族の文化と言語を次世代に継承していくために、様々な活動をされています。


 子どもに日本語を教えている私には、言語や文化を継承していくことの大変さがよくわかります。日本語のように、多くの教材が簡単に手に入り、日本語教室など言語を学ぶ機会に恵まれた言語でさえ難しく、たった一代で言語が途絶えてしまうこともあると感じます。


 にもかかわらず、何世代にも渡って『下等』とみなされて抹殺されかけた、ユタ族の言語や文化を存続させてきたのは奇跡的だと感嘆します。


 最近のオーストラリアでは、イベントや会議などの集まりがあると、まず最初に次のようなあいさつをする習慣があります。

「今日みなさまと集まったこの土地の伝統的な所有者、〇〇という土地の〇〇族の方々に敬意を表したいと思います。また、この土地の年長者、および過去・現在・未来においての継承者に敬意を表します」


 1990年代から始まった習慣だそうですが、今ではずいぶん一般的になり、テレビ放映されるスポーツなどでは必ず見ますし、学校の朝礼の始めや、会社の会議の開始時などでも、行われています。


 正直、こんなジェスチャーになんの意味があるのかなと不思議だった時期もあるのですが、オーストラリアの黒歴史を学んだり、先住民の子孫の同僚と話したりしているうちに、大事なんだなと思いようになりました。


 言語や文化のように、自分のアイデンティティの核になるものを、下等なもの、取るに足らないものとして根絶やしにされるというのは、何世代経っても癒えない禍根を残す惨事ではないでしょうか。なので、まず文化を認めて敬意を払うということは、歴史の中で深い傷を追った人々にとって、大切な意味を持つのだと思います。

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