二、崩壊
「これだ」と絶望は短く口にして一冊の真新しい文庫本をバー・カウンターの上に放り投げた。それは数年前に文壇に現れた崩壊――例によってこれはその作家が自らに付けた筆名であるから、
「そいつの幸福は――」絶望は言いかけて言葉に詰まったように口を閉ざし、申し訳なさそうに目を伏せ、「その崩壊の得た幸福は……たしかにメランコリヤを助長するのに充分だ」と呟いた。
崩壊という作家と絶望には若干の面識がある。崩壊の親族もまた同じように文筆業を営んでおり、その書斎は若年作家のたまり場となっていた。絶望がその親族の家を訪ねると、たいていそこに崩壊をはじめとした数人から十数人の作家が集い、薄い世俗説話に花を咲かせていた。絶望はそれが嫌いだった。書斎にはギャンブルの話と、女の話でもちきりだった、しかもその声は家中に響き、絶望は常に玄関先で言葉を失いたい衝動に駆られることとなった。けれども絶望の父親はその親族に多分の借金があり、毎日パチンコ通いの父親の代わりに絶望が親族の身の世話をしては返済に充てていた。そのために絶望が書斎の前を通りかかると、崩壊は絶望を指しては下品な笑いをし、絶望を卑下し、笑いの同調を誘っていた。
その崩壊が現下、世に出している作品は、それでも一定の評価を得ていた。処女作はいくらかの著名な文学賞にノミネートされ、そのほとんどは受賞を逃し、うち、一つ、二つは好く評された。それから新しく作品が世に送り出され、嵐の時分の隙間風のように饒舌な、無名の批評家に評され、著名な批評家はあまりの酷さにいわゆる路傍の小石のように黙殺した。
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