第一章

第2話

 それは一般の高校生が夏休みに入る前だろうか。藍里と母のさくらが神奈川から愛知のとある市のマンションに越してきたばかりのことだった。


 さくらの職場の同じ系列先から引き抜きがあり、それが地元の岐阜の隣であった愛知県に移動することになった。

 その会社の所長の妹がマンション経営をしていてそこの一室を紹介してくれたのだ。


 5階建ての最上階角部屋。それもこれもさくらが仕事で可愛がられたから、とのことだが一階が某チェーン店のファミレスともあって夜まで良い言い方をすれば賑やかである。


 築数もそれなりに経ってるが2LDKでトイレ風呂別と母の二人暮らしには贅沢ではある。あれやこれやらのワガママは言ってられない。


 他にもこの2人にはとある事情があるからだ。



 母娘2人で生活するようになったのもこの5、6年のことで、それまでは岐阜で父母娘という典型的な核家族で過ごしていた。

 と言っても藍里の父親は正社員の仕事の傍ら趣味の演劇サークルの主催をし、なおかつ藍里自身も子役として小さい事務所に所属をして稽古やオーディションを受けていて、さくらはマネージャーとして駆け回っていた。


 しかし家族でせっかく集まれたかと思うと父はさくらのやることなすこと全てを否定し、完璧にやってもアラを探してほじくり返すことをしているため、常に家庭の中はピリピリしている。怒られないよう、いびられないよう、さくらは耐え続けている姿を藍里は目の前で見ていた。


 かと言って父は藍里に対しては優しく接していたのであったため、彼女はそこまで父のことは怖いとか嫌だとかは思っていなかった。


 ただ、家族で集まるあの空気感が嫌いだった。


 しかしそれは急に変わることになる。数日前から見知らぬ女性2人がやってきてさくらと話をしているのだ。

まだ小6であった藍里は何か深刻な話をしている、それだけはわかっていた。


 その数日後。

「今から荷物まとめなさい。修学旅行で使ったキャリーケースに必要なものを、いい?」

 藍里は突然そんなことを言われてもわからず、狼狽えている最中、さくらがキャリーケースを出して開き、藍里と共に荷物を入れた。


「ママはもう用意したからあんただけ。あ。それは要らないわよ。本当に必要なものだけ」

 漫画本やぬいぐるみはすぐさまキャリーケースから捨てられた。


 そしてキャリーケース以外にも普段使っているカバンに貴重品や通帳、他にももう一つ大きなカバンに下着類を詰め込まれて一時間で終わらせ、家から出て車に積んだ。


 これは父がいない間の夕方に行われた。


 藍里は訳もわからず車に乗る。ふとその時頭によぎったのは……清太郎のことだった。




 それからは藍里は小4の頃から持たされていたスマホは使えなくなり、4年間見知らぬ土地……神奈川のとある社宅に身を寄せていた。さくらは仕事と離婚の手続きのために家を留守にすることが多かった。


 父から娘だけでも、と藍里との面会要請もあったがさくらは拒否をした。


 清太郎をはじめ、地元の友達とも連絡が取れない、越した先の中学校、高校では馴染めず友達ができなかった藍里。


 だが父から離れ、一年で離婚が決まったあとのさくらは少し穏やかになっているのを見て良かったのか……と思うしかなかったのであった。


 父といたさくらは表情は暗く、笑わず何か伺うような顔、藍里に対しても八つ当たりをしていたのだが今ではとても穏やかで、化粧もするようになって全く別人な女性になったことに藍里は驚いていた。


 さらにさくらの仕事の関係で愛知に移り住み、ここ最近はもっと美しくなったことに気づいたのは同性だからなのか。


 さくらはよく笑う、機嫌も良い。


 藍里は一人で家にいることはもう慣れていた。勉強はできた彼女は新しい高校にテストで合格した。

 制服の一式を学校のご厚意でいただき、真新しい制服に腕を通した。


 母のさくらが変わったのなら自分も変わらなくては……姿見を前にそう誓った藍里だった。


 そんな最中にさくらが帰ってきたのだ。

「帰ったよー」

 声がいつもよりも明るい、それにも気づいた。


 予感は的中した。さくらの横にとある男性が立っていたのだ。


「藍里、彼氏連れてきた」

 にかっとさくらが笑う横にその若い男性も笑った。


 藍里はその男性の微笑みにドキッとした。久しぶりの感覚、いや今までにない心臓の昂りに戸惑った。



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