第7話 龍神様と飴

 僕は小学校5年生の頃、肺を患い、祖父の住むど田舎で2年ほど暮らしたことがある。

これは、そこで起きた不思議な話だ。



家の近くに遊び場はなく、また、病気のせいであまり外で遊ばせてくれなかった祖父だが、


一週間のうち水曜日と土曜日は、寄り合いか何かでいつも帰りが遅く、僕はそれを見計らって、よく家を抜け出していた。


遊びに行く場所は決まっていた。


山の入り口に少し入った場所に、綺麗な川辺がある。

そこには小さなお堂のようなものがあって、そこが僕らの遊び場になっていた。


そう、僕らだ。


実は以前、興味本位でそのお堂を見に行ったときに、一人の着物を着た少女と出会ったのだ。


歳は同い年で、僕らは妙に気があったのか、それ以来水曜日と土曜日は、かかさずここに来て一緒に遊んでいた。


山遊びに慣れていたのか、少女は僕にいろんな遊びを教えてくれた。


沢蟹捕りに昆虫探し、山で取れる美味しい果物なんかを二人で探したり、本当に退屈しない毎日だった。


「はい、飴」


僕はそう言ってから、缶に入った飴玉を少女に手渡した。


メロン葡萄にミカン味。たくさんの種類の飴が入っていたが、なぜか少女はその中にあるハッカ飴を好んで食べた。


僕としては大助かり、ハッカの味はどうも苦手だ。


「ありがとう」


少女は嬉しそうに飴を頬張ると、美味しそうに目を細めた。


「なあ、Sはずっとここで暮らすのか?」


少女が何気に聞いてきた。


「何でそんな事聞くの?」


不思議に思い、少女に聞き返す。


「だって、いなくなったら寂しいやん」


はにかみ照れ笑いを浮かべる少女にそう言われ、僕は顔を真っ赤にしてしまい、それ以上何も答えられなくなってしまった。


その日は一日川で遊んでから、僕は夕暮れ時になって家に帰宅した。



次の約束の日も、そのまた次の時も、僕らはたくさん一緒に遊んだ。


夏から秋、秋から冬、冬から春へと、季節が変わるにつれ遊び方も様々だ。本当に毎日が新鮮だった。



そんなある日の事、僕は遊びつかれたのか、夕飯を済ませ、早々と布団の中で休んでいた。


が、二時間ほどして目が覚めてしまい、そのまま暗い部屋の中、ぼうっと天井を眺めていた。


「sはやっぱり手術せないかんらしい。来週あたり向こうに迎えに来てもらおう」


祖父の声だ。


手術?誰が?僕が?


どうやら僕の体は思っていたよりも悪いらしく、父と母がいる都会に戻って、手術を受けなければならないらしい。


それを聞いて、何だか僕は急に胸が苦しくなった。


少女の顔が脳裏に浮かび、不意に目頭が熱くなる。


その日は悶々とした気持ちのまま、僕は深い眠りに落ちた。



木曜日。


約束の土曜日まで、僕は待てなかった。


雨が土砂降りのように降っていたけど、そんなのはおかまいなしに、僕は家を抜け出し、傘を持っていつもの場所へと向かった。


会えるかどうかは分からない。それでも今行かなきゃ、もう会えなくなるかもしれない。


それは絶対に嫌だ、それだけは……


やがていつもの川辺に辿り着く。


雨のせいで水かさが増しているのか、川の様子がいつもと違っていた。


土色に濁った川が、ゴウゴウと恐ろしい音を立て川を下っている。


僕はふとお堂の方を見た。


こんなとこにあって大丈夫だろうか?川に流されたりしないだろうか?


なんて事を思っていると、


「S……?」


信じられない事に、お堂の裏から少女が顔を出したのだ。


「なんで……今日は約束の日じゃないのに」


僕がそう聞くと、少女はお堂の裏から姿を現した。


「Sの声が聞こえた気がした……」


少女の言葉に、僕は少し照れながらもほっとした。


だが、そんな明るい僕に対し、少女の次の言葉は暗いものだった。


「でも、今日はだめや、帰らんと」


「えっなんで?せっかくここまで来たのに」


「ごめん、お父様が怒ってん、ここも危ないかもしれん……」


「お父様?」


そう言って、僕は首を捻って見せた。


そう言えば、僕は少女について何も知らない。

名前も聞かないままだし、どこに住んでいるかも分からない。

親が何をしているかなんて聞いた事もなかった。


お父様が怒っている……それでなんでここが危ないんだろう?


そう考えていた時だった。



ドバッ


川の音が一変した。


何かが爆発したかのように水しぶきが辺り一面に上がった。


瞬間少女が叫んだ。


「S、逃げて!!」


それと同時だった。


川上から土砂が混じった巨大な水が一気に流れ込んできた。


氾濫した川は周辺の木々を薙ぎ倒し、一気にお堂と共に僕らを飲み込んでいく。



口の中に大量の水が流れ込み、瞬く間に息ができなくなった。


手足をばたつかせ必死に抵抗を試みるが、何もかもが無駄な抵抗だった。


やばい!


それほど水の力は凄まじく、僕の体は人形のように流されてしまった。


死ぬのかな……


意識が遠のく感じがした。


あ、あの……子は……!?


頭の中で必死に少女の顔を思い出し、助けなきゃと願った。


すると、


あれ……?なんだ?


突然、嘘みたいに体が軽くなった。


水の抵抗がなくなり、さっきまでの息苦しさが微塵もなくなったのだ。


しかも体が宙に浮いている。いや、正確には浮いているのではなく、何かに下から押されるようにして浮上している。


足元を見た。


何だこれ……!?


ヌルヌルとした感触、鱗のような皮膚、巨大な……蛇!?


一瞬そう思い恐怖しそうになったが、次の瞬間、僕の頭の中に直接語りかけるような声が響いた。


聞き覚えのある声、少女の声だ。


「S、ごめんな……本当にごめんな」


間違いない、少女の声だ。


僕はその声を聞き、妙に安心してしまったのか、急激な睡魔に襲われた。


「ゆっくり休んで、Sは、Sは絶対に私が守ってやるから……」


少女の心地よい声が頭の中に響いた。


それだけで何か嬉しくなり、僕はそのまま誘われるように目を閉じた。



気がつと、僕は家の布団に寝かされていた。


布団の横には泣き出しそうな祖父と祖母がいて、目を開けた僕は祖父達に力強く抱きしめられた。


あの日、家を抜け出した僕を、雨の中たくさんの村の人たちが探し回ったそうだ。


何か知らせがあったらと、家には祖母だけが留守番をしていたらしい。


そこへ、一人の着物を着た少女が現れたらしい、ぐったりとした僕と共に。


慌てていた祖母は僕を抱え上げすぐに布団へと運んだ、でも直ぐにハッとして庭に目をやったが、そこにはもう少女の姿はなかったという。



あれから何日かがたったある日の晩、夜中に熱でうなされた僕は、ふっと目を覚ました。


朦朧とする意識の中、暗闇に目を凝らす。


おばあちゃん?


ふと、部屋の隅に人影のようなものを見て、思わず声を掛けた。


が、返事はない。


代わりにしばらくしてから、


「S、大丈夫か?」


と、声を掛けられた。


この声には聞き覚えがある。


混濁した意識がすうっと晴れていくような感じがした。


そう、少女の声だ。


「ど、どうしたの、何でここに?それより……そうだ、元気なんだね、良かった。本当に良かった。それと、助けてくれてありがとう」


「うん、ええよ、Sのためやもん。それよりS」


「な、何?」


僕は少し照れながら返事を返す。


「うち、もう山には住めんくなった。たぶん、もう一緒に遊べんと思う」


少女の悲しい声。


胸が締め付けられそうになった。


別れは覚悟していた。


母親たちの住む家に帰らなきゃいけない、もうすぐここを出て行かなければならない。


だけど……だけどそれを口にする勇気が、僕にはなかったからだ。


それを少女の口から言われたことが、僕には凄くショックだった。


思わず泣きそうになり、誤魔化そうと布団を目深く被った。


「S……Sはうちと一緒に居たい?」


少女の質問に、僕は泣くのを必死に堪えながら答えた。


「あ、当たり前だよ!ずっと、ずっと一緒にいたい……よ」


だめだ、我慢できそうにない。


そう思った瞬間、僕の両目からは熱いものがこみあげていた。


「そっか……一緒に居てもいいんや……うち、妬きもちやきよ?」


「えっ?」


突然の言葉に、僕は思わず涙を拭いて、布団から体を起こした。


「な、何が?」


「ずっと側に居てもいいんよね……?」


少女の懇願するような声に、僕は思わず、


「う、うん」


と大きく頷いて見せた。


すると少女が僕の側に歩み寄り、側で腰を下ろすと、僕の背中に両の手を伸ばし、抱きつくようにしてから、僕のおでこに自分のおでこをくっつけてきた。


かなり恥ずかしかった。が、それよりも何よりも心地良かった。


あれだけの熱にうなされていたのが、嘘みたいに引いていくのが自分でも分かった。


「大切にしてな……約束やからな」


少女が囁く様に言った瞬間、僕はまたあの水中の中で感じた、深い眠りに襲われた。


どこまでも深い水のそこに沈んでいくかのように。


でもそこに不安は感じなかった。


横には少女が居て、少しはにかみながら、僕の手を握っていてくれていたからだ。


僕はその手を握り返し、そのまま深い水の底へと、どこまでも沈んでいった。



次に目を覚ましたとき、僕の体は嘘みたいに軽くなっていた。


熱も下がり、健康そのものだった。


それにもっと凄い事が起こった。


病院で検査を受けた結果、僕の肺は至って良好と診断され、これからは病院に通う必要はないと医者に言われたのだ。


みんな凄く喜んでいた。


僕も嬉しくなり、少女に報告しようと、あのお堂の場所へと向かった。


だが、そこで少女と出会うことはなかった。


お堂のあった場所は土砂で埋め尽くされており、子供の僕ではどうしようもない状況だった。


結局、祖父の家から母親たちの待つ実家に戻る日まで、少女と出会うことはできないまま、僕は帰省することになった。



あれから数年が経ち、僕は中学二年生となった。


たくさんの友達もでき、病気や怪我もなく毎日を過ごしていた。


ただ、一つ気になることがあった。



僕はあいも変わらず飴の入った缶を買うのだが、なぜか僕の嫌いなハッカの飴だけが、いつも入っていないのだ。


いや、正確には入っていないのではなく、いつの間にやらなくなっているようだった。


「あれ?」


「どうしたS?」


僕の声に、友達のYが聞いてきた。


「いや、またハッカがなくなってる……」


そう言って僕は顔を近づけ、缶の中を見回す。


「ハッカってあの飴の?知らないうちに食ったんじゃね?」


「ううん。僕、ハッカは嫌いなんだけど……」


言ってから頭をひねり考えていると、


「おいS、見てみろよ!」


突然Yに腕を掴まれ揺すられた。


「な、何?」


「あれ、すっげえ美人!」


Yがそう言ってから前方に目をやった。


釣られて視線をそっちに移す。


そこには、塀にもたれ掛かるようにして立ち尽くす、和服の女性の姿があった。


銀色に輝くような綺麗な長い髪に、妖しくも美しい瞳、僕らは吸い込まれそうになりながらも、ふらふらとその女性の前を通り過ぎた。


女の人に見とれて歩くなんて、生まれて初めての事だった。


通り過ぎた後だというのに、心臓がまだバクバクと鳴っている。


が、次の瞬間、


「大切にしろよ?約束だからな……」


「えっ?」


耳元で確かにそう聞こえた。


女の声で、僅かに微笑する声でハッキリと。


ハッとして振り返る、が、そこに女性の姿はもうなかった。


約束……


この後、僕の身の回りで度々変なことが起こるようになったのだが、その話はまたどこかで……


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