一三番目の使徒
「お前は私を裏切りなさい」
今夜の晩餐に入る前に師に呼び止められ、家の裏で二人きりになって告げられた。
「何を言っているのです」私の背筋を焦燥が走った。「私はあなたの忠実なる徒です。あなたを裏切るなんてありえない」
「お前は私の徒の中で最も優秀であり私を理解している。だからこそ私を敵に売ってほしいのだ」
「私の魂にかけて出来ません。そんな恐ろしい事は」
「一番よく私を理解しているお前だからこそ裏切りをお願いする。外側からの敵になるのだ」
「外側からの敵? 何を言っているのですか」
「私達一四人の集まりとは何だ」
「新しい哲学と愛についての勉強会です。私達はあなたの説く真理に心酔してあなたと長い旅を共にしてきました」
「その通り。私の説くものは新しい人類愛の真理であり、超自然的存在など入る余地はない。……しかし後世には私達は宗教となるのだ」
「宗教? あなたが神について語った事など一度もなかったではないですか」
「そう。私は愛について語っただけだ。日常ならぬ事柄について語った事でもそれは予言であって預言ではない。神の言葉ではないのだ」
「では何故宗教になるなどというのですか」
「私は自分を宗教者ではないと思っている。しかし私の言葉を信じた者の内、盲目的な信者によって新しい宗教へと形を変えるだろう。私には自明としてその未来が手に取る様に解る」
「師よ。それは予言なのですか」
「予知。それは神から与えられたのではなくあくまでも自分の内側から湧き起こる生来のちから。それらは私の愛の真理とは無縁だ。奇跡などではない。しかし後世にはそれすらも神の奇跡だと呼ばれるようになる」
「師よ。私達の純粋な考えは後世に捻じ曲げられると言うのですか」
「私達の旅はありもしなかった神や奇跡の話が加えられて脚色され、それが当然となるだろう。皆がその言葉を信じるようになる。眼から鱗が落ちるのではなく、眼に鱗がとびこむ。そんな認識の歪みだ」
「おお、師よ。宗教ではいけないのですか」
「愛は人間の結びつきの内側と外側、それ自体にあるべきなのだ。少なくとも私はそれを神のものだと語った事はない。私の哲学ではない」
「何故あなたは私に裏切れなどと言うのです」
「お前こそ私を理解してくれると思うからだ。私達一四人の集まりは結びつきと心酔が強すぎた。このままでは実が熟しすぎるだろう。その前にお前に外側からの敵となり、私を律法学者達に売り渡してほしい。裏切ってほしいのだ」
「それがあなたの予知なのですか」
「熟しすぎた実は腐る。腐った種からも大木は生えてしまう。しかしそれは私の木ではない」
「それは幸福ではない事なのですか」
「幸福ではない。それで私は永遠の十字架を背負う事になるだろう」
[十字架? それは予言ですか」
「予言だ」
「師よ。予言してください。裏切った私は後世に皆から何と呼ばれるようになるのか」
「裏切り者だ。お前は私達の敵を作れ」
私が暗い決意を秘めて先に家に帰っていくのを師は見送った。
私の決意さえ歴史は裏切って大宗教が成り立っていく事を、その時の師は伝えてくれなかった。
「ゆるしてくれ。一三番目の使徒、イスカリオテのユダよ」
師の言葉はその時の私の耳には届かなかった。
裏切り者は予言にさえ裏切られていく。
一三番目という数字すらが後世に私の手の内から離れていく事を、やがてはらわたを零しつつ死ぬ私には知る由がなかった。
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