白紙の勧進帳

 仕事場に隣接している喫茶店で、漫画原作者の神田は、担当編集の富樫とコーヒーを飲みながら打ち合わせをしていた。

「で、先生。次回のストーリーはどうなってますか。昨日はまだアイデアが出てこないという話でしたが」

「先生と呼ぶのはやめてくれと言ったろ。ボク、そういうのは苦手なんだから」

「すみません、せん……神田さん。ストーリーは出来てるんですよね。今日出来てないと作画の大阪先生に迷惑がかかりますよ」

「うーん……」

 神田は原作を書き溜めているノートブックをバッグから出すと、対面の富樫には中身が見えないように顔の前で開いた。

 ノートブックに書かれている文字を追って眼線が動く。それは長い文章の様だった。

「出来てるよ。中間テストシリーズが終わった事だし、次回は副主人公の読み切り話を挟もうと思う。……富樫君、君は『安宅あたかの関』の話を知ってるかな。君と同じ名前の富樫という関守せきもりが出てくる話なんだが」

「ああ、中学で教わりましたよ。能や歌舞伎の演目にもなってる話ですね」富樫はコーヒーのカップにちょっと口をつけた。「鎌倉時代、源頼朝に謀反を疑われて山伏の格好をして逃げている源義経と弁慶の一行が、安宅の関所を通ろうとしている時に関守の富樫に疑われて『東大寺再建の寄付を募る山伏の一行なら、その一切を記した勧進帳を持っているはずだ』と迫られるんですね。勿論、義経達はそんな物を持ってるはずがないから大ピンチ。でも弁慶は白紙の巻物を取り出して、富樫の前でまるで本物の勧進帳に大勢の人間の記名と寄付額が載っているかの様にそらで堂堂と読み上げる。それに感心した関守の富樫は義経達を通してしまう、というお話ですね」

「大体、そんなところだ。……でね、それの中学生版をやろうと思うんだ」

「どういう事です」

「副主人公の[[rb:鷹無 > たかなし]]がある日、クラスの日直当番になる。日直は男女一組だ。で、同じ日直になった女子に日直日誌を書くのは任せる。ところがその日の終わりになって、その女子に全く日直日誌を書いてない事を打ち明けられる。日誌は全くの白紙だ。日直は必ず、その日の終わりのホームルームで日誌の記録や感想を皆に発表しなくてはならない。大ピンチだ。二人は恥をかき、担任にひどく叱られるのは眼に見えてる」

「……勧進帳ですか」

「そう。黒板の前に立った鷹無は、白紙の日誌の内容をまるで全てが書かれてるかの様によどみなく朗朗と皆の前で読み上げてしまう。クラスメートも先生も誰も白紙だなんて気づかない。最後に日直当番の名前の女子の部分を彼女にも読み上げさせるという芸コマな事もしてね。で、何の問題もなくホームルームは終わり、最後に鷹無は『気づかれないように今言ってた事をちゃんと日誌に書いといてね』と女子に言い残して主人公と一緒に帰ってく、と」

「……面白いんじゃないんですか! チャラい鷹無の機転の利く意外な一面が見れて、きっと新たなファンもつきますよ。……でもね、せんせ……いや、神田さん」

「ん、なんかおかしな所があったかな」

「リアリティがねぇ。……たかが中学生が、一日の記録を思い出しながら書いた日誌を丸ごととっさにでっちあげる事なんか出来ますかねぇ。嘘っぽい事やると作品の路線が……」

「中学生がとっさに空でお話を一気にでっちあげるのは不可能だと言うのかね」

 神田は持っていたノートブックをひっくり返して、富樫にその紙面が見える様にした。

 ノートブックの見開きのそのページには何も書かれていない。全くの白紙だった。

 白。眩しいほどの白。

 富樫のコーヒーカップを飲もうとした手が止まった。

「ボクは中学生ではない。しかし、これがボクの中学生の時の実話だとするとどうだね」神田は自分のアイスコーヒーを一気に飲み干した。「噓つきは泥棒の始まりというが、ストーリーテラーの始まりでもあるんだよ。何せ、ボクはこの時に自分の天職に気づいたんだからね」

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