スペース・トラッキン
「いや。それにしても驚くね。大型トラックにひかれて異世界に転移転生した人間の話はよく聞くが、轢いたトラックの方が異世界転移してしまうとはね」
俺は星の散らばる暗黒の宇宙空間で大型デコレーション・トラックを転がしながらその声を無視した。自家用車だ。何処かの運送会社の所属じゃねえ。一匹狼のトラック野郎だ。
俺の名前は高橋
俺は角刈りにねじり鉢巻きを締め、藍染の作務衣を着てハンドルを握っている。ブレーキに乗せた足は地下足袋だ。子供の時からこの風情だ。何処だろうとこのスタイルを変えるつもりはねえ。
ともかく俺は朝の四時まで『つきみ野』に行かなければならねえ!
しかし、道があるわけじゃねえのに、どうして俺のデコトラのゴムタイヤは高速で『道』を走れるんだろう。
「昔は、宇宙とは必ずヘックスマップへのビッグバン『卓の上にルールブックやキャラシート、フィギュアやダイス、スナックをちらかす』から始まり、ビッグクランチ『ゲームが終わったらの皆で協力しておかたづけする』で終焉を迎えると思われていた」
助手席でクスクス笑う男はいわゆるグリーンマン、日本ではとんと見た事のない身長一mほどの緑の小人が座っているのだが、赤信号の横断歩道を渡っていたんだから、はねられたのはこいつの責任だ。人気のない、夜の道。俺は警察か救急車を呼ぼうと言ったのだが、こいつはクスクス笑って「僕は怪我なんか負わないさ。この宇宙で神にも等しき存在だからね。それよりちょうど転送魔法を発動中に君に轢かれてしまって、ヨロシク君も見知らぬ異世界にワープさせてしまって申し訳ないと感じてるくらいさ」と俺のトラック助手席に乗り込んで、以来、夜の宇宙を一時間くらい同乗している。
その最中、俺を楽しませているつもりなのか、流暢な日本語での今、俺達が走っている見憶えのない宇宙への講釈をやめない。
一体、ここは何処なんだ。
『つきみ野』はどっちだ! GPSが役に立たない!
どうやら、今走ってる宇宙は、それまで俺が生きてきた宇宙とは別の宇宙。異世界らしい。
「しかし、ビッグクランチ理論はどうやら間違っているらしいんだ」俺がグリーン、とだけ呼んでいるこの非人間はさっきの講釈の続きを始めた。「最近の観測や理論的推察では、散らかったダイスやフィギュアは散らかったまま『見えざる手』と呼ばれるエントロピー修正存在が介入しない限りは、散らかったダイスやフィギュアの各距離は粗雑に増え続けていって最後にはゲームとして成り立たなくなるほどバラバラに散らかさられて続行不可能で終了してしまうというんだ。やがてその全ては何処かのブラックホールに飲み込まれる事になって、そのブラックホールもいつか蒸発して消えてしまうのさ」
俺はさっきから運転しながら強力な無線機を操作しているのだが空電雑音ばかり拾って、どの放送局も無電仲間の通信も拾わない。えーい! 『つきみ野』の情報は!?
「一回テーブルの上でゲームを散らかしたら、誰かが片づけるまで永遠に散らかされたまんまで、いつのまにかなしくずし的に皆がゲームに飽きてしまい、時間や距離を数える存在はいなくなり、意義は自然消滅するというのが最近の宇宙終焉説が主流なんだよ」
「何の話だよ。それが宇宙の話なのか。仲間内のゲーム遊びの話じゃねえか。ところで俺達が今走ってる宇宙は何なんだ。随分、けったいな星ばかり並んでいるみてえだが」
「ここはオールドTRPG宇宙さ。ヨロシク君が今まで入っていた宇宙とは数次元、真理に近い宇宙さ」
ふーん、と俺は呟く。『つきみ野』と関連がなくば興味はねえ。
この宇宙はずいぶんと星と星の距離が近く、様様な幾何学的形態をした固体の星が形が解るほどにくっきりと宇宙に浮かんでいる。
星の質感はプラスチックぽかったり、ガラス質ぽかったりするのだが、太陽の様に眩しくなく、でっかいサイコロ型や正四面体、八面体、十面体や十二面体、正二十面体の様様な色の大きな星が無数に宇宙に浮かんでいる。それぞれの面には何かの記号が浮かんでいる。
「TRPGでよく使うダイスそのものだろ。この世界では神はサイコロを振るんだ」面白そうにグリーンはクスクス笑う。「この宇宙は、本質は確率的なものである、という真理の体現みたいなものだね」
「真理ねえ……」俺はTRPGとかは知らねえ。
「ヨロシク君はホログラフィック宇宙論を知っているかな。ブラックホールの解析から導き出された理論なんだが、宇宙は設定用紙やキャラクターシートといった二次元情報が本体で、僕達がこうして三次元として感じているのは、三次元像として感じている宇宙像を共有しているのにすぎないという理論さ」
「なんだ。この俺達がぺらっぺらの紙っきれの書類にすぎないってゆーのか。こうして触っているハンドルも、見ているけったいな宇宙も、お前もちゃんと実体があるじゃねえか」
「それは全て立体映像の様な疑似三次元として体感しているだけで、実質的な情報は立体じゃない二次元データにすぎないってのがホログラフィック宇宙論さ。どうだい。面白いだろう。もしかしたら僕もヨロシク君も実はぺらっぺらの小説の登場人物かもしれないんだよ」
「ふーん」正直、どうでもいい。「それはそれでいいんだがな」俺は時計を読む。「ともかく俺は満載している冷凍イカを午前四時まで『つきみ野』の生鮮市場に届けないといけないんだ」
この大型トラックのコンテナに書かれている『韋駄天参上! 宇宙最速!』の大きな筆文字は伊達じゃない。薔薇をくわえた石川五右衛門のコンテナアート付きだ。
「今まで仕事に失敗はねえ! 今度も必ず『つきみ野』に荷は届ける!」
「急いでいるのかい。じゃ、すまない事をしたね。じゃあ、この宇宙から君のいた元の宇宙に戻る方法を考えてあげる事にしよう」グリーンは手首に巻いていた大きな腕巻きの様な物をほどいた。それは俺が見たところ、画面がグニャグニャ曲がって紙の様に折りたためる水晶板だった。「生憎、僕の転送魔法は一人用でね」
グリーンは水晶板をまさしくスマホの様に操作した。数分経つと。
「ダークムーンが必要だな」グリーンは結論した。「幸い、この道を右に曲がって一五分も行った所に一つある。なかなか珍しい天体なんだが傍にあってよかった」
俺はグリーンの指示に従って、ハンドルを右にきるとそのまま、なるべくスピードを出して走った。この宇宙には速度制限の標識はねえ。韋駄天参上!だ。
様様な形の星達が物凄い速さで後方へ流れていく。
どうでもいいがこのトラックは本当にどうやって宇宙を走ってるんだ。
いや、そんな事より『つきみ野』だ!
走っていると正八面体の陰から目標と思しきものが見えてきた。
近づいていって解る。それはまん丸の、そして、他の星とは比べ物にならないほどの巨大な黒い球体だった。
まるでゴルフボールの様に表面にびっしりと小さなディンプルが並んでいた。このまままっすぐ行くと衝突する。
「ダークムーンもダイスの一つさ。一〇〇面体だよ」スマホとダークムーンを見比べながらグリーンは説明する。「あのディンプルの一つ一つに1から100までの数字が並んでいる。アラビア数字だからヨロシク君にも読めるだろう。……あれを使って、このトラックが元いた宇宙の『つきみ野』という場所の傍へ行ける確率は……8%か。……いいかい、ヨロシク君。このトラックを1~8以内の数字に衝突させるんだ」
「衝突ぅ!?」
「大丈夫だ、上手くいけば実際にはぶつからなくて、星の重力による時空の歪みとその他諸諸不思議な魔法要素によって、元の世界へ戻る事が出来る。天然の転送魔法さ」
「おいおい! 本当に衝突させて大丈夫か!?」
「無事さ、保証するよ」
俺はグリーンの言葉を信じて、ダークムーンの周囲を巡回すると『8』という数字を見つけた。ええい、星の表面に数字がランダムに並んでいて、的確に衝突させるのは結構難しそうだ。
「じゃあ、僕はここでバイバイさせてもらうよ。あ、行っとくと100という数字にだけはぶつけないようにな。それはクリティカル・ミス、致命的大失敗だから」
「え!? クリテカルなんだって!?」
グリーンは俺の質問を聞く前に、走るトラックからドアを開けて外へ飛び出していた。サヨナラの挨拶なのか敬礼のポーズを最後に見せて。
それから俺はハンドルの動きをコントロールするのに夢中になった。
加速する。ダークムーンの重力は強くて、まっすぐ走るのさえ困難だ。周囲を巡りながら螺旋を描いて接近するしかない。
しかも8という数字は100の隣にあるのに気づいた。
俺はルーレットに放り込まれた球みたいなもんだった。
あと一周すれば重力でダークムーンにぶつかる。
「つきみ野ーッ!!」
俺はこれ以上はスピードを殺せないという速さでデコトラを8という数字にぶつけた。
いや、ちょっぴりズレて100だったかもしれない。
一九六九年・七月二〇日・協定世界時二〇時一七分。
アポロ一一号計画は、無事に地球へ友人着陸船を到着させて、ニール・アームストロング船長とバズ・オルドリン月着陸船操縦士の二人を人類で初めて月面に降ろしたのだった。
地球以外の天体へ初めて星条旗を突き立てた二人は、地球の六分の一の重力を持つ月面上を跳ねながら、やがて丘を越えた所ですぐに一つの人工物を見つけたのだった。
「あの~……『つきみ野』はどっちですかぁ……」
沢山のイカが月面に散らばっていた。
半壊したデコトラを月面上に激突させた高橋妖狼疾駆は、運転席に座ったまま、乱れたねじり鉢巻きを直そうともせずに出会った二人の宇宙飛行士に呼びかけた。
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