第37話 すべては彼女の手のひらの上。

 敢えて言う必要もないのだが、浅倉が名乗った小松原こまつばら有紀ゆうき。偶然被った訳ではもちろんない。浅倉の調査の賜物だ。浅倉は三崎栞に寄せつつ、小松原こまつばら有紀ゆうきにも寄せた。


 そして浅倉は人の記憶がどれほど、いい加減な物かを知っていた。なので河副かわぞえの好みの黒髪ロング、そして色白――そこに同性同名をぶつけることにより、彼の記憶を上書きし、更新した。


 彼の記憶の中の小松原こまつばら有紀ゆうきは今後、浅倉が演じた小松原で動かされる。


 しめしめ……校長室に案内されながら小松原こまつばら有紀ゆうきを演じる浅倉はほくそ笑む。ほくそ笑みながら、その笑顔が上品に映るように心掛けた。


 普段からカメラの前に立つ仕事をしていた浅倉にとって、難しいことじゃない。そういう意味では普段から演じていたのだ。


 毎年毎年懲りずに春の訪れの桜をリポ―トしたり、土手の土筆を笑顔で紹介したり。刺激のない生活に飽き飽きしていた。


 こんな身分を偽って変装して、しかも相手が興味を持つだろう姿かたちになりきる。これぞ刺激! 生きてる! そう叫びたいが、今は我慢だ。我慢しながらもニヤけてしまうから、その表情を上品に見えるように、彼女は誤魔化した。


「お忙しいところ申しわけありません……失礼ですが…」


河副かわぞえです」


「あっ、改めてよろしくお願いします。わたし…小松原こまつばら有紀ゆうきです」


「ご丁寧に」


 移動を中断し廊下で名刺の交換をする。すべては浅倉の計算のうち。

「あっ、失礼しました! 河副かわぞえさん、事務長さんなんですか! お忙しいところ、ホントすみません!」


 わざと恐縮したような反応した。そうもちろん『肩書』にだ。事務長と言えば事務方のトップなのだ。しかし、その事実は余り知られていない。浅倉は敢えて世間的にあまり知られてない部分で河副かわぞえの自尊心を刺激したのだ。


『いえ』と否定するものの、河副かわぞえの鼻がほんの少し膨らんだのを見逃さない。効いてる……傍目からは見え透いたおべんちゃらに見えるだろうが、意外と当事者は気が付かない。そして鼻の膨らみに気を良くしてることを浅倉は確認した。


(あとひと押し…)

 浅倉には確信があった。そしてその確信を確実なル―トに乗せる必要があった。その確実なル―トへと導くアイテムは既に彼女の手の内にあった。


『ビジタ―』と記された首から掛ける許可書。彼女は案内された校長室を前に少しばかり臭いが、鼻にかかる甘えた声でたずねた。


河副かわぞえ事務長。こちらの許可書は、この後どうしたらいいですか?」


 見え見えの結果だ。インタビュ―後事務室に返却に来てほしい。そんな返事だ。予想していた通りだ。何ひとつ狂いのない結果だ。浅倉は愛想よく会釈して校長室に消えた。実のところ彼女の目的の8割は達成できたのだ。


 校長室に通された浅倉だが、彼女の興味はこの部屋の中にはなかった。浅倉にとって目の前に座る上品ぶった成金の初老女性には興味がない。


 浅倉にとっては校長の古堂ふるどうは事務長の気を引く『手段』でしかない。あくまでも目的は事務長の河副かわぞえだ。


 その河副かわぞえが、思いのほかあっけなく釣れたので校長へのアプロ―チは消化試合に過ぎない。


 浅倉がこの古堂ふるどう校長に興味がかないのは簡単だ。彼女は余りに情報を持っていない。


 警察が何度も学校ここを訪れはしていたが、彼女の耳には入らない。斎藤順一が退学になった本当の理由も、もちろん知らない。


 もし知っていたらこんな傲慢な顔で来客を向かい入れることなんて出来ない。


 斎藤順一が退学になった本当の理由は――彼女の旦那、河副かわぞえがいつものを出したからに他ならない。


 悪い癖とは記憶の中の飯塚いいづか沙苗さなえの代替品を――色白で黒髪ロングの女子をわが物色することに、ほかならない。


 つまりは直近で飯塚いいづか沙苗さなえ候補にもっとも近かったのは、だった。


 彼女が中学時代から斎藤順一に恋心を抱いているのを知り、邪魔な順一を退場させる計画を立てた。


 しかし、河副かわぞえは何時になく苦戦した。三崎栞は家庭的な問題をなにひとつ抱えてなかった。


 彼女の家は授業料を気にしない程度には裕福だ。奨学金が必要な家庭ではなかった。


 私立常和台ときわだい高等学校の入学金や授業料は他の私学に比べ安くはなかった。なので、いつもは奨学金か、小遣いをチラつかせればうまくことが進んだ。


 そんな矢先、彼の目の前に幸運が舞い降りた。下校する三崎栞の後をつけていた彼は偶然見かけたのだ。


 邪魔者の斎藤順一がバス停で女性を庇う光景を。その姿をスマホで撮影する三崎栞を。彼は躊躇なく行動に出た。


 斎藤順一の潔白を証明するには君の撮影した動画が必要だと、栞に持ち掛けた。戸惑う栞に揺さぶりを掛けるため、教師を使い退学も仕方ないようなネタも幾つか捏造し、斎藤順一を退学に追い込んだ。


 栞から相談を受ける形で親密になる計画に。事実、相談を装い会う機会も増えた矢先、栞との関係が破綻した。


 河副かわぞえが斎藤順一の妹、舞美が発信する『潔白動画』に対抗すべく、栞から提出させた動画を加工してネットに流した。


 動画の加工は物の数時間で暴露され、栞にもばれた。


 栞が抗議に現れると、河副かわぞえはやり方を更に変えた。じっくり時間を掛けて栞を落とす計画を変更した。


 めんどくさくなったのと、手っ取り早く栞の恐怖に歪む顔が見たくなった。数回に渡り脅しを加え、次は落ちるだろうと思った矢先。栞との連絡が取れなくなった。斎藤家に保護されたからだ。


 そんな事情も知らず目の前で、傲慢な表情の古堂ふるどう校長の顔に泥を浅倉はニヤリと笑った。


「午後より文部科学大臣が来られるとか」

「よくご存じで。たかが暴力沙汰で退学になった生徒の説明が欲しいらしいの。大臣でそんなに暇なのかしら」

 その他人事のような口調が浅倉に火を着けた。


「校長。ここだけの話なんですけど。、事務長さん。このタイミングで――大臣が来るタイミングで『』在学生に出してますけど、その辺り?」


 浅倉の揺さぶりに古堂ふるどう校長は面白いように動揺し、真っ青な顔をした。











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