第36話 大波がやってくる。

 栞は躊躇ためらいながらオレを見る。栞自身が悪いわけじゃないのだが、自分が今しょうとしてることで、オレに嫌な思いをさせることに、戸惑いを感じている。


それでも黙って見なかったフリが出来ないのが栞なのだろう。


 あくまでも、人の痛みに敏感で寄り添う姿勢はやっぱり得難い存在だ。それは舞美も感じているし、やろうとして出来るとは思えない。そういう表面的なモノではない。


 そしてオレが常和台ときわだいで信じたいと思っていた、唯一の大人たちの『腹の内』を見ないといけない時が来た。


 いや、結論から言おう。オレはこの後嗚咽交りでふたりの女子の前で大泣きする失態をやって退けた。それ程に栞の持っていた音声デ―タの内容がクソだったのだ。


 わかんないものだ。人の心なんて。いや、それはオレにだって言える。舞美は何度となく忠告をしてくれていた。信じやすいオレが傷付かないために。


 父さんだってそうだ。家族の生活を守るためなら他者に犠牲を強いる決断をする。そんなことを教えたくれた。


 しかし―ここにあった音声デ―タは、およそ父さんがその場に、決してウチの『ヒゲ父さん』の口からの出るわけのないクソな言葉だった。


「ごめんなさい、ごめんなさい…私最低です…こんなの…自慢気に斎藤君に聞かせるなんて。やっぱり性格クソな所詮しょせんはスト―カ―なんです…こんな痛み……大好きな斎藤君に味合わせるために、私は…息してるんです、こんな呼吸止まっちゃえばいいのに……」


 奥歯が軋むほど噛み締めながら、溢れ出る自分の涙は構いもせず、オレの涙を拭ってくれる人。


 それが三崎栞で、そんな栞の涙をほっとけないのが、オレの妹舞美だった。


 悔しさを忘れたわけじゃない。子供だからと無条件で同情されるとは、思ってなかったつもりだ。でもどこかで信じていいんじゃないか、そんなに悪く考えなくてもと。


 栞の功績はデカい。栞の音声デ―タのお陰で改めて決心が固まった。


「栞……見てろ。舞美も。お前らがくらい、ヤッやる。だから栞。お前はその時までしっかり『息』してろ。オレたちの側で」


 栞は言葉を出そうとするが、しゃくりあげ、声を、言葉の邪魔をする。それでもそれに負けないのが栞なワケだ。


「わかった! ちゃんと息してふたりの側離れない、だって私スト―カ―だから――」

「こんな時も自虐か、ったくもう!」


 オレは自分の腕の中にふたりを抱きしめた。そして改めて決意表明する。

「いいか、手加減はなしだ。常和台ときわだいぶっ潰す」


 □□□□

「おい、…」

 ここはラ―スロ公国大使館の敷地内にある宿所だ。シルヴェ―ヌ及びジェシカなど主だったものは、敷地内で寝起きしていた。セキュリティ上での事だ。


 そしてそのセキュリティ抜群な筈の敷地内でシルヴェ―ヌはジェシカに刃物を抜かれていた。そう言葉の刃を…


「言い返す言葉もありマセン…」

 きのう斎藤宅から戻って軽くシャワ―を浴び、出された夜食をそのまま残したシルヴェ―ヌは、ベットに丸まったまま答えた。


「拗ねてて何か変わりますか?」


 子供の頃から知っているジェシカは容赦ない。ジェシカは知っていた。こんな時のシルヴェ―ヌは言葉の半分も聞いていない。キツめに言ったところで伝わりはしない。


 ジェシカは立場上はシルヴェ―ヌの守役もりやく。公私共に支えるのが彼女の役目ではある。しかし、いやだからこそわかる。


 このまま放っといたら3週間はこのままだ。寝て、起きて、歯磨きをしてぼ―っとする。無気力症に陥る。正直言って面倒くさい。視界に入れるのも煩わしい。そんなわけでジェシカは重大な決断をすることにした。


「なにこれ?」


 シルヴェ―ヌはジェシカが差し出した封筒には流石に反応した。


「退職届です」


「退職届……誰か辞めるの?」

「はい」

「誰?」

「私です」


 早朝である。しかもあまり寝れてない朝である。頭が回らないのは仕方ない。だけど、それは言い訳にしかならない。頭が回らないながらもシルヴェ―ヌは言葉を掘り出した。


「なんで…私が…情けないからデスカ。それしかないデス…ね。ゴメンナサイ」


「――するんです…」

「えっ?」

「だ・か・ら! イライラするんですよ! 何なんですか? あなた、いやしくも、いや…? !! 一国の姫でしょ! お姫さまとは言え、姫は姫! それがなんです、ちょっと冷たくされたくらいで、しぼんじゃって情けない! 実際はですけど、順一さまはお嬢様のことを考えて遠ざけた、知れません!」


「わかってます。わかってますが…ジェシカ。はげまし方がデス。投げやり感満点なのはどうしてデスカ?」


「いや、辞めるからです! 私出しましたよね、今退職届。こんなしみったれたお嬢様の御守り、マジ勘弁なんです! 自由になりたいんです! いや、ここ辞めて順一さまに合流して――個人として、その方が人生楽しいし!」


「そうですか、ソウですよね。わかりました。長い間アリガト…」

 そう言いかけたシルヴェ―ヌの言葉は遮られた。ジェシカのゲンコツによって。


!! 何見送ってんの? 泣いて止めるとこ!! バカなの? いや、知ってるけど!!」


「いいですか? お嬢様みたく面倒くさい女子のお世話私にしか出来ません! でも、ここは女を魅せるとこ!  数日後に人生最大級のビックウェ―ブがやって来ます!! さぁ、起きて、準備しますよ、誰がヒロインか思い知らせてやりましょう!」


 ジェシカの無駄に暑苦しい鼓舞ではあったが、こと暑苦しさシルヴェ―ヌは嫌いじゃなかった。






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