「第5章 未練作りの一環として」(4)

(4)


 帰りの電車内で澄人は、長かった今日一日を回想する。電車内の雰囲気は昨日までと変わらない。いつもの日常。その事に安心しつつ、彼は電車の揺れに身を任せて、目を閉じる。


 正弘と昭彦の二人の話を聞いて、ただ未練作りをするだけでは、彩乃は決して救われない。特殊な環境過ぎて、未練作りをしても気を紛らわせる事しか出来ない。

 その事を知った。


 今までの未練作りは、ある程度の効果はあると思っていたし、実際彩乃の栞は薄くなっている。その事に達成感と余裕が出ていた。しかし、正弘の出方次第では、そんなものすぐに覆されてしまう。あの様子では彼女のお金を諦めていない。また現れる。


 目を閉じて電車の揺れに身を任せても思考はフル回転し続けるせいで、全く眠れない。むしろ視覚が失くなった事で、より考えやすくなったと言える。


 このままではダメだ。正弘をどうにかしないと。


 具体的にはどうすればいいのか。


 目を開けた澄人はポケットから携帯電話を取り出した。


 未練作りのメールを作成する。事前に調べる事なく、その場で作る未練作りの提案はグリーンドア以来、二度目だった。


【今週末、正弘さんを退治したい。手段はまだ完璧ではないけど、構想はある。どうかな?】


 メールが送信完了と表示されたのと、目的地の駅へ到着したのは、殆ど同じだった。澄人は立ち上がり、ホームへと降りる。エスカレーターの列に並んでいると、ポケットが振動する。メールだと思ってすぐには取り出さなかった。


 ところが振動は止まず、メールは鳴り続けている。


 澄人が携帯電話を取り出すと、それはメールではなくて着信だった。エスカレーターを上り切って、人の流れから外れた澄人はすぐに通話ボタンを押す。


「もしもし、三嶋君?」


「はい」


 電話口から聞こえる彩乃の声は数分前に話していたのとは違って、とても小さい。まるで小さな子供が親に黙って家出の計画を立てているようだ。


「あのさ……、メールの件だけど」


「うん」


「本当に、やれる?」


 少しの力を加えれば崩れてしまう薄いガラス細工の城を運ぶような慎重さの彩乃。それに澄人は電話口で返事をする前にその場で頷く。


「三嶋君?」


「あっ、うん。大丈夫だと思う。ちょっとだけ危ないんだけど」


 頭に浮かんでいる事を実行すると、どうしても危険性が生まれる。それがどこまでの範囲で済むのか、現状ではまだ分からない。


「危ない?」


「えっと……、火を使う事になるから」


 口にするのは、簡単だと思っていたが、火という単語を口にすると、澄人の中で胸が締め付けられたような気がした。


「火? まさか、正弘さんを?」


「まさか。それじゃ犯罪でしょ」


 突拍子のない彩乃の話に思わず笑いが零れた。同時に胸の締め付けが緩くなる。澄人は駅構内のベンチに腰を下ろした。


「作戦を話すよ」


 澄人は頭に描いていた作戦を説明する————。


「なるほどね……。それ、別れてからずっと電車の中で考えてたの?」


「まあ、」


「はぁ」


 澄人の説明を聞いて、彩乃は感心したような息を吐く。


「嬉しい。ありがと、もう少し詰めて完璧にしたら作戦を実行しましょう。私も正弘さんの問題が解決するなら本当に助かるから」


「ああ。大丈夫、きっと上手くいく」


 彩乃を心配させまいと澄人は根拠のない安心を与えて電話を切る。きっとこの問題を解決したら、彼女の栞は一気にオレンジから白へと薄くなっていくだろう。


 まだ見ぬ彩乃の栞を想像して、澄人は立ち上がる。

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