「第4章 何気なくを人工的にやる人」(6-1)

(6-1)


「いやー、外に出ると寒いね」


 容赦ない寒風に香夏子は口を引く。確かに彼女の言う通り、外が暖かかった分、風が身に染みる。澄人も持っていたマフラーに口元を埋めた。


 二人は風と人に逆らうように進みオフィス街を抜けていく。誰も待っていない信号待ちを二回超えてから、目的地の喫茶店に到着した。道を覚えていないので香夏子に付いて行くしかない澄人は緑のドアが見えた時、ホッとした。


 店名の由来にもなっている緑色のドアを開ける。カウベルの音が鳴り響き、本屋とはまた違う種類の暖かい空気が出迎えてくれた。


「あ、香夏子さん。お帰りなさい」


 カウンターにいた黒いエプロンをした店員が、香夏子に反応する。そして隣にいた澄人に首を傾げた。


「友達?」


「そっ。さっき本屋さんで会ったからナンパしちゃった」


 ナンパされていたのか。と知らなかった事実に澄人が小さく驚いていると、それが伝播したらしく、ウェイターはクスクスと笑う。


「そう。それはまあ何というか。いらっしゃいませ」


「澄人くん、先にカウンターに座って、本、すぐに置いてくるから」


「はい」


 香夏子はカウンター奥にある緑のドアに入った。言われた通り、澄人がカウンターに座っていると、目の前に一杯のコーヒーが置かれた。ほんのりと鼻に届くコーヒーの優しい香りが、疲れた体を誘ってくれる。


「あの、まだ……」


「これは俺から奢り。外、寒かったでしょう? 温まるよ」


「あり、がとうございます」


 白いマグカップを取り、コーヒーに口を付ける。初回に来た時よりもコーヒーの味がハッキリと分かったのは、一人で来たからだろう。


「澄人君っていうの? 俺は香月巧。上は香る月って書いて香月。下は技巧の巧。芸能人みたいな名前だけど本当なんだ」


「いえ」


 前回はいなかったウェイターの男性。パッと見た限りでは、年齢は澄人とそこまで離れていない。大学生だろうか? 


 澄人がそんな事を考えていると、再び奥の緑のドアが開き黒いエプロンを身に付けた香夏子がやって来た。


「お待たせ〜。あっ? もうコーヒー飲んでるんだ?」


「はい。美味しいです」


「うんうん。そう言ってくれるとお姉さん嬉しいよ。巧君もありがと、この後大学でしょ? もう上がっていいよ」


「了解。ではお先に」


 香夏子に言われて、巧が奥の緑のドアへと向かう。


「澄人君、ごゆっくり。良かったら今度は俺とも色々話そう」


「はい、是非」


 巧が奥の緑のドアへと消えて、代わりに香夏子が正面のカウンターに座る。


「あの子はウチのバイトの巧君。丁度、澄人くんと同じ、高校生の頃からの常連さんだったの」


「へぇ。なら彼も和倉さんの事を?」


 澄人の問いに香夏子は「うん」と首を縦に振る。


「高校受験の時からよく勉強見てもらってたから。私も教える時はあるけど、巧君がいる時は彼に教えてもらってる方が多いかな。」


「そうなんだ」


 店内には澄人以外には奥で文庫本を読んでいるサラリーマンが一人しかおらず、静かな雰囲気が流れていた。この店に自分が知らない彩乃はずっと来ている。それは元から知っていたけど、香夏子や巧と話す事で、おぼろげだった輪郭が形を成し始めてきていた。


「さて、彩乃ちゃんの事を話すんだよね。あ、でも先に私から聞いてもいい?」


「はい、どうぞ?」


 澄人が了承すると、香夏子はわざとらしく「コホン」と右手を口元に当てる。


「澄人くんは彩乃ちゃんと付き合ってるんだよね?」


「えっ⁉︎」


 予想外の事を聞かれて、澄人の思考が一時停止する。


「あれ? 違うの。」


「違います違います」


 澄人が慌てて否定すると。香夏子は意外そうな顔を見せる。


「そうなんだ。私てっきり、二人は付き合ってるのかと思ってたよ」


「まさか」


 香夏子にそう言われて、自分達が周囲からは、そう見られているかも知れない事に気付く。


「だったら、彼氏ではない君が彼女の事を知りたいのはどうして?」


「えっと……、それは」


 澄人が説明出来ずに戸惑っていると、香夏子は「分かった」と手をパンッと叩く。


「彩乃ちゃんの事が好きなんでしょう? それで情報収集をしてるんだ」


「あー。まぁ」


 下手に否定するよりも曖昧にした方が香夏子の性格からして協力してくれそうだ。打算的な考えが澄人に浮かぶ。


「なるほどねー、好きな女の子の情報を知りたいって事か」


 香夏子は澄人の答えを聞いて「ウンウン」と頷く。


「協力してあげましょう。澄人が悪い子じゃないってのは、ココに来てくれたから分かってるから」


「ありがとうございます」


「さて、彩乃ちゃんのどんな事を聞きたいの?」


 カウンターにもたれかかり、真っ直ぐにこちらを見る香夏子の視線。その視線に緊張しつつも、それを悟られないように澄人は口を開く。


「えっと、和倉さんってココにはいつぐらいから?」


「えっとねー、中学生からかな。ウチは中学生の女の子が一人で来る感じのお店じゃないから、驚いたもん。最初は凄かったよ」


「凄かった?」


 どういう意味か澄人が尋ねると、香夏子は「凄かった!」と力強く頷く。


「態度が凄い。無口じゃなくて攻撃的な感じ。話かけてくるなオーラが凄かった」


「へえ」


 教室での彩乃が重なる。きっと彼女はデフォルトの設定がそうなのだろう。

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