「第3章 お試しプラン」(2)
(2)
土曜日、澄人は空港のロビーで ソファに座っていた。修学旅行以外で来た事のない空港に一人でいるのは、自分の世界が急に広がった気がして不安になる。先程から何度も腕時計で時間を確認しているのもそれが表れていた。
現在の時刻は十時。約束の時間まで残り十五分。ロビーへと繋がるエスカレーターからは、まだ彼女の姿は見えない。
ずっとエスカレーターばかりを見つめてもしょうがない。携帯電話を取り出して受信メールを確認する。最後に彩乃から届いたメールでは、さっきモノレールに乗ったと書かれていた。そろそろ到着する頃だろう。
気分転換に立ち上がり、大きく背伸びをする。そしてエスカレーターに背を向けてお土産屋に視線が移った。自分が住んでいる街からのお土産と言ったら一体何だろうか。大体、思い付くのは漬物やチョコレートだがもしかしたら、全く知らない名産があるのかも知れない。
小さな興味が生まれた澄人はお土産屋に足を向けた。すると背中をぐいっと引っ張られる。振り返るとそこには彩乃の姿があった。
ジトッとした目をこちらに向ける彩乃。その表情から彼女の心境が澄人にはすぐに分かり、気まずそうに頬を掻く。
「……おはよう」
「おはよう」
彩乃の手が離れる。彼女に引っ張られていた時に出来た部分に風が入った。
「いやさ、ちょっと時間があるからお土産でも見てみようかと」
「時間ピッタリ」
下手な言い訳を展開した澄人に彩乃が腕時計を向けてくる。白く細い腕に付けられた腕時計が待ち合わせ時間を示していた。
「ごめん」
観念して頭を下げる澄人。それに小さくため息を吐いて彩乃は足を動かす。
「搭乗手続きはもう済んでる? 泊まりじゃないんだから今の手荷物だけでいいでしょ?」
「ああ、これだけでいい」
澄人は手持ちのトートバックのみを持ち、手荷物を預ける必要はない。事前に手続きは済ませているから、時間になったら手荷物カウンターに向かえばいい。
「私も預ける必要はなし。早く行こう。三嶋君が選んだプランなんだから」
「はいはい」
先を歩く彩乃と一緒に二人は手荷物カウンターがある階へと繋がるエスカレーターに乗る。修学旅行の時は集団入口から乗ったのでココから乗るのは新鮮だった。
「どうしたの?」
振り返ってロビーを見ていた澄人に彩乃が首を傾げる。彼女の声に慌てて視線を上に向ける。
「中学の頃の修学旅行の時はエスカレーター乗らなかったなって」
「ああ、そうなんだ」
意外そうに口を丸くする彩乃に今度は澄人が首を傾げる。
「そうなんだって、和倉さんも行ったでしょ。同じ中学だったんだから」
「行ってませんけど? 私、修学旅行欠席したしー」
どうでもいいように視線を天井に向ける彩乃。澄人は本人に言われるまで彼女が修学旅行を欠席していた事を知らなかった。当時はクラスが違っていたから無理もない。だが、さも当たり前の聞いてしまった事に罪悪感を感じてしまう。
「ごめん」
「別に。行かないって決まったのは直前だったから。別のクラスの三嶋君が知らなくてもしょうがないんじゃない?」
「休んだ理由って風邪とか?」
澄人がそう尋ねるとエスカレーターが丁度上がり切った。彩乃はこちらを振り返り、首を左右に振る。
「法事」
「なるほど」
何故、納得したのかは言っている澄人自身でも上手く理解出来なかった。何か言われると思ったが、彩乃は一転して笑顔になり「ところで」と話題を変える。
「ちゃんとパスポートは持ってきた?」
「まさか。国内の日帰りなんだから必要ない」
国内線に搭乗するのだから、パスポートなんか必要ない。澄人がそう話すと彩乃は軽く笑う。
「私は本当に外国でも構わなかったのに。ねぇ? 今からでも外国に行き先を変えようか? それぞれ一度家に帰ってパスポートを取って来て。どこに行こうかなー、やっぱりアメリカやイギリス? あ、でも意外とハンガリーとかも捨てがたいかも」
すっかり外国に行く方向に頭を傾けている彩乃。そんな彼女に澄人はため息を吐く。
「行きません。一応、今回行く所だって最初は新幹線で行こうって話だったじゃないか。それなのに時間がかかるのが嫌だからって飛行機で行こうなんて」
「別に私がお金を出してるんだからいいでしょ」
彩乃は澄人の訴えにふてくされたように横を向いて答える。外国の提案が潰された事を怒ってるのか。そもそも飛行機を提案していなかった事に怒っているのか。真意は彩乃にしか分からない。
若干、これから始まる日帰り旅に不安を覚えつつ、澄人が彩乃に並んで歩いていると、三人の家族連れとすれ違った。
父親と母親。そして小さな女の子。女の子は普段来ないであろう空港に興奮した顔で前を歩き、その後ろを微笑ましそうに眺めながら付いていく。まさに絵に描いたような理想的な家族。
だからこそ、澄人は思わず足を止めて視線を向けてしまう。夫の横を歩き、小さな体に大きなリュックを背負って駆け出す子どもを注意する母親の頭にオレンジの栞が挟まっている光景を。
まだ色はそれほど濃くない。水で薄めたオレンジジュースのような色をしている。あの様子では本人が自殺をしてしまうのはまだ先の話になる。
ただ、必ず行うのだ。それを分かっているのは、澄人だけ。
もし仮にあの家族の中に入り、事情を説明したらどうなるか。
奥様は、近い内に自殺をします。それは止められません。
真実を知っているのにそれを伝える手段がない事が酷くもどかしかった。
「コラ」
離れていく家族を見つめていると、背中をトンッと叩かれた。振り返ると、そこには不思議そうな顔をしている彩乃が立っていた。彼女の頭には先程の家族にあったのとは比べものにならないくらい、濃いオレンジの栞が挟まっている。
「……あ、何?」
「それは私のセリフ。急に立ち止まってさ、ボーッと家族連れを見てるんだもん。何? 知り合い?」
「そうじゃないけど……」
「じゃあ行こう。私、ラウンジでコーヒー飲みたい」
「分かった」
先を歩く彩乃に付いて行き、澄人は手荷物検査のゲートを通った。
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