「第2章 救けてしまった責任と義務」(4-3)

(4-3)


「さっきも言ったけど、そんなに難しく考えなくていいから。私が死にたくないと思う未練を作ってくるだけ。映画なんかでよくあるでしょ? 不治の病の主人公が死ぬまでにやりたい事を全部やろうとするやつ。あれの逆」


「そんな事を言ったって……」


 彩乃にそう言われても今尚、言葉を詰まらせる澄人。その裏にはどうしても失敗したら? という可能性が見えている。


 勿論、そんな事は聞くまでもない。未練作りに失敗したらその先の展開なんて最初から一つしかない。迷った挙句、澄人は彩乃の前に右手の人差し指を立てた。


「まず一回、お試しをやらせて欲しい。やるって言った手前、断る事はしないけど、事が事だから。難しかったら別の手を考えた方がいいと思う」


 祈るような気持ちで頭を下げる。果たして彩乃はどう答えるだろうか。


 いっそ本当にカウンターにいる香夏子に応援を頼みたいくらいだ。


 彩乃の反応がない為、静かに顔を上げる。澄人が顔を上げるとそこには両手を合わせて、両手の人差し指を鼻頭に付ける彼女の姿があった。


 やがて両手を離した彩乃が口を開いた。


「分かった。じゃあまずは一回。今週の土曜日に未練を作ってきて」


 彩乃の分かったという言葉を聞いて、肩から力が抜けるのが分かった。


「ありがとう。ちなみにその未練っていうのは俺の基準で選んでいいの?」


「うん。貴方が考える未練作りがいいから」


 彩乃の言う事が果たして光栄なのかは分からないが、澄人は取り敢えず自分の基準で考える事が出来て安堵する。流石に女子の考える未練作りは澄人では難しいからだ。


 今日、自分を呼んだ理由はこれで終わりだろう。そう澄人が思っていると案の定、彩乃は「さて」と短く口火を切った。


「私が呼んだ理由はこれで全部話したから。そっちから何かある?」


「いや、大丈夫」


「そっ。じゃあ、これを」


 彩乃は自身の通学カバンから黒い長財布を取り出した。何も装飾がされておらずシンプルな長財布から彼女は一万円を抜いて、澄人に手を伸ばす。


「えっ? 何?」


「今日のお礼。交通費とかこの店のコーヒー代」


 何の疑いもなく一万円の内訳を説明する彩乃に澄人は両手を振った。


「いやいや」


「なんで? あ、もっとほしい?」


 澄人の断りを額が足りないと受け取った彩乃は、更に三枚の一万円札を引き抜いて差し出そうとする。


 アルバイトをしていない澄人にとっては、いとも簡単に出てくる大金に非日常を感じた。彼が何も言えないでいると、彩乃は「ああ」と小さく思い出したように手を合わせた。


「未練作りにはお金の心配はしなくていい。全部、私が出す。勿論、三嶋君にも報酬は出すし」


「未練作りの経費としては、選択肢が広がるから嬉しい。だけど、報酬としては貰えないよ」


「何故? もしかしてお金が嫌いなの?」


 目を細めて 信じられないと言った表情でそう問いかける彩乃。彼女の倫理観に戸惑いつつ、「そういう訳じゃないけど……」と濁して答える。


澄人は別にお金が嫌いな訳でない。大切さは分かっている。ただ、急に目の前に出された一万円札に現実感が湧かず、代わりに罪悪感が顔を出したのだ。


 澄人の表情を見て彩乃は薄いため息を吐く。


「分かった。報酬の件は一旦、置いておく。まずは今週の土曜日の未練作りをよろしく」


「ああ、了解。プランが出来たらメールする」


 澄人の了解を聞いた彩乃は頷いてから、立ち上がり通学カバンを肩に掛ける。そして、自身のコーヒーカップとソーサー。ブルーベリータルトが乗っていた皿を重ねて持ちカウンターまで向かう。


 カウンターの奥から出てきた香夏子にそれらを渡してから、レジまで来た彼女にお会計を払う。途中、一回澄人を二人が見たが、まだ彼の分が残っていると言っているようで、彩乃だけがカウベルを鳴らして緑色のドアを開けた。


 急いでブルーベリーのタルトをかき込んで、コーヒーを一気飲みすれば彩乃には追い付けただろう。しかし、澄人がそれをしなかったのは彼女があまりにも慣れている動作で片付けを行っていたから。


 そして、立ち上がった際にこちらを見る彩乃の目が付いてくるなと訴えていたからに他ならない。教室では大人しいタイプの女子だと思っていたが、この喫茶店での出来事で印象を相当変えられた。


 ため息を吐いてから、ブルーベリーのタルトにフォークを刺す。シャクッとした音を立てて、フォークに刺さったそれを口に運ぶ。口いっぱいに酸味と甘味が広がった。食べ切った澄人は彩乃を見習って、帰り支度を整えてから自分の分の皿をカウンターまで持って行く。


 カウンターに持っていくと、奥でコーヒーを淹れていた香夏子が顔を出した。


「ああ〜。ごめんね。持ってきてもらって」


「いえ、これくらい。ケーキありがとうございました。美味しかったです」


「うん。お口に合って良かった」


 香夏子はカウンターから出る。お会計の用意をしようと澄人は財布を取り出してレジの前へ。すると、彼女は首を横に振った。


「お会計はいりません。もう、彩乃ちゃんから頂きました」


「頂いた?」


「うん。あれ? そういう話になってるからって彩乃ちゃんから聞いたけど。もしかして違った?」


 不思議そうに首を傾げる香夏子。彩乃の会計時、彼女がこちらを向いて何かを話していた様子を思い出す。そしてあれが、二人分の支払いの話をしていたと気付いた澄人。思わず息が漏れる。


「そうでした。すいません、ついブルーベリーのタルトが美味しくて、その事を忘れてました」


「もぅ〜。嬉しい事言ってくれるなぁ。またいつでも来てね」


 香夏子を傷付けない言葉を選んでから、緑のドアを開けてカウベルを鳴らす。入る時はまだ茜色だった空はすっかり夜色になっていた。ドアから一歩、踏み出して、駅に向かう。途中で振り返るとさっきまでいた喫茶店の明かりが存在を主張していた。それは冬の夜にはとても幻想的に見える。


 同時に香夏子の笑顔が浮かんでしまう。


「ったく、アイツ」


 マフラーに埋めた口元で彩乃に対する愚痴をこぼして、寒風に耐えながら駅までの道を歩く。


 駅のホームに到着すると、澄人は携帯電話を開いた。いつもなら適当なニュースサイトでも巡るところだが、今日は違う。使える時間は少しでも使うべきである。


 難しい問題ではある。だが、やらないといけない。


 それが彩乃のオレンジを救けた自分の責任だから。


 澄人は電車が到着するまでホームで彼女の未練を作り始めた。

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