「第2章 救けてしまった責任と義務」(4-1)
(4-1)
朝に彩乃と約束したせいか、その日はやけに一日が長く感じた。澄人は時間の長さをもどかしく思いながらようやく放課後を迎えた。
明日もコーラを奢ると佐川と約束をして(本人は二つ返事で承諾した)澄人は学校を出て最寄り駅のホームで列に並び電車を待っていた。今の季節は十六時を過ぎれば、もう夕方の半分は夜になる。ホームから見える空に非日常を覚えつつ、マフラーに口元を埋める。
昼休みに彩乃から届いたメールには余計な誤解を生みたくないから、喫茶店には時間差で入りたいと書かれてあった。何もそこまで拘らなくてもと思ったが、逆らってもしょうがないので、澄人は了解と返信を返す。
店名とホームページのアドレスがメールに記載されて、先に自分が店に入るので、三十分後に来るようにと書かれていた。送られたホームページを確認すると、こじんまりとした緑色のドアの写真がトップ画面に表示された。
店の住所を確認すると帰り道に乗り換えで降りる駅にその店はあるようだった。オフィス街なので行った事はないが、分からない場所ではない。迷う事はなさそうだった。
軽快なメロディと共に電車が駅に到着した。転落防止用のゲートが開きドアが開く。外に漏れ出た暖気と共に何人かの乗客がホームに降りていく。彼らと入れ替わりで澄人が並んでいた列は電車に乗った。
人工的な暖気に埋めていたマフラーから顔を出して、ドアにもたれ掛かる。目的の駅までは僅かな距離しかない。わざわざ席に座る必要はなかった。
彩乃とは一体、何を話す事になるのだろうか。今日一日、彼女からは他に話し掛けられなかった。ただ、隣の席から見える彼女の頭には昨日と同じオレンジ色の栞が挟まっている。
栞が挟まっている人はたとえ本人にその気がなくても、自殺をしてしまう。伯母が言ったその言葉が頭の中で反響する。そのせいで授業中もずっと警戒してしまっていた。ノートが所々抜けている箇所がある。明日、前野に写させてもらわないと。
窓の外から見える川沿いの風景が冬を表している。
聞き慣れたアナウンスが降りる予定の駅名を告げた。
寒空の下、川沿いの細くなった枝が流れて、高層ビル群が現れてから、澄人はもたれ掛かっていたドアから体を離す。
目的地の駅は沢山の路線が交差する駅で、街自体も大きく映画館からショッピングモールまで何でも揃っている。降りる乗客は大勢いて、電車のスピードが緩むにつれて、彼らがドアに集まってくる。
ドアが開き、大勢の乗客と一緒にホームへ降りる。体にぶつかって来る寒気に目を細めながらも行列に並び改札へと向かう。
大きな街だが少し歩けば、繁華街はオフィス街へと姿を変える。改札を出た彼は、端に寄ってポケットから携帯電話を取り出して再度地図を確認。表示された場所のおおよその検討を付けて足を向かわせる。駅前に僅かに点在したお店が無くなっていき、次第にオフィス街の高層ビルが並び始めた。
歩いているのが学生ではなくサラリーマンが増えてきたが、それにも構わず足を進める。やがて、ビルとビルの間に小さな公園が見えた。それまで小さく見えてきた道が急に開けたように感じる。
公園に入って向こう側へと歩く。丁度、公園の反対側出口前に彩乃が指定した喫茶店があった。レンガ造りの家の喫茶店。店名の通り、緑色のドアが印象的だった。
赤い枠の窓が付いており中を覗くと、奥のソファ席に同じ学校の制服が見えた。彩乃がいる事に安堵した澄人は緑色のドアを開ける。
カランコロンッとドア上部に付けられたカウベルの音が鳴る。
店内は所謂、昔ながらの喫茶店といった感じで前野や佐川と行くようなチェーン店とは違っていた。入口近くに豆を焙煎する大きな機械があり、コーヒー豆の良い香りが充満している。暖色の明かりが店内を照らして、オイルヒーターが最適な暖かさに保っている。
「いらっしゃいませ」
澄人が入ってきた事に気付いてカウンターを拭いていた白いワイシャツの上に黒いエプロンを着た女性がこちらに近寄って来る。澄人より七歳程、歳が上だろうと予想出来る彼女は、茶色いフレームのメガネをかけていた。
「お一人様ですか?」
「あ、待ち合わせです。そこに座ってる彼女の」
奥の席に座っている彩乃の席を指してそう話すと、「ああ、彩乃ちゃんの」と何かを察したように頷いた。
「どうぞどうぞ、掛けて下さい」
笑顔で案内されて澄人は彩乃が座っているソファ席へと向かう。彼女は白いイヤホンをして文庫本を読んでいる。そのせいで澄人がやって来た事には気付いていない。
澄人が向かい側のソファ席に腰を落とした事でようやく彼女は顔を上げた。
「迷わなかった?」
彩乃はイヤホンを外し読んでいた文庫本を閉じる。閉じた文庫本は隣に置いていた通学カバンへしまっていた。
「普段こっちの方には来ないから、ちょっと危なかったけどね。和倉さんは、よく来るの?」
「ええ。この店の雰囲気が好きだから」
「確かに雰囲気いいね。落ち着けるし、勉強とかも捗りそうだ」
澄人が店内を軽く見回しながらそう言うと、彩乃は頷いて肯定する。
「捗るよ。空いていたら香夏子さんに勉強教えてもらえるし」
「香夏子さん?」
「さっき話してた店員さん。オーダー取ったり簡単な軽食なら作ってる。凄い頭が良い人で国立大学を卒業して、皆知ってる会社に就職したんだよ。でも、色々あって退職して今はココで働いてるの。彼女、ココが実家だから」
「こらこら。今日来たばっかりのお客さんに私の事を話し過ぎ」
背後から声が聞こえて振り返ると、銀のトレイにお冷を乗せた香夏子がいた。
「良いじゃないですか。嘘は言ってませんよ。まだ」
「まだって言ったなぁ。もぅ、この子は」
彩乃がからかうように言って、香夏子が笑って答える。クラスではいつも静かな印象しかない彼女がこういう風に話すのを初めて見た。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます