第43話 あなたのところへ、帰ります

 

「ええ、だからレイシェアラはここから離れるのです」

「っ、そんな……嫌です! ヴォルティス様は私がなんとかします! まだヴォルティス様は邪竜になっていません! お願いします、王妃様! 国王陛下! ヴォルティス様は邪竜じゃありません! 私が——!」


 陛下とお妃様の表情。

 その眼差し。

 それは死を覚悟した者のそれだ。

 私が戻らないかもしれないという不安と失望、そして怒りが、きっとヴォルティス様を邪竜にしてしまおうとしている。

 けれど、初代勇者と聖女の結界はヴォルティス様が邪竜となっても解けることはないだろう。

 聖女さえ無事で、結界の近くにいたなら……暴れ疲れた邪竜を浄化し続けて魔力供給を再開させることができるだろうから。

 でも、その暴れた邪竜が瘴気をばら撒かないよに抑え込む役割の者がどうしても必要となる。

 邪竜の放つ瘴気で魔物が生まれ、それらが散布しないように。

 陛下とお妃様、そして近衛騎士団の方々は、その役割を担おうというのだ。


「私が……私が!」


 私がいるのに。

 聖女がいるのに。

 見上げた塔のてっぺんにいるヴォルティス様。

 その周囲を流れる黒い霧がボツボツと粘土質に変化を開始した。

 魔物の誕生が始まろうとしているのだ。


「父上、母上! 私も邪竜と戦います!」

「ニコラス! お前だろう、レイシェアラを勝手に連れ回したのは!」

「レイシェアラですか!? それがなんとレイシェアラは邪竜に洗脳されていなかったのです!」

「んもおお! お前はいったいなんの話をしているの!?」

「あとで聖女誘拐の詳しい事情を聞くからな! ……生きていたらの話だが」

「そうね!」


 陛下とお妃様はやはり死を覚悟している。

 いくらエセル様とルセル様が立太子となったからって——。


「…………っ」


 ルセル様。

 ルセル様が見せてくださった天井画。

 そして、さっきジータ様の家で見た壁画。

 そのどちらにもあった、古画文字。

 指先を宙に。

 人の形を魔力を込めた指先でなぞる。


「これだわ」


 白い線が宙を描き、私でも古画文字を魔力で描き出せた。

 法則は現代魔法と同じ。

 天井画と壁画にあった魔法陣と、ほとんど同じ作りの魔法陣が出来上がる。

 意外なのは魔力消費が凄まじいこと。

 完成間近でほとんど私自身の魔力は消費された。

 刻印が光り、この続きはヴォルティス様の魔力をお借りしなければならない。

 でも、理解したわ。

 やっぱりこういうことだったのだ。


「ラック!」

『ヒィーーーヒヒヒヒヒ!!』

「レイシェアラ!?」

「ベル! 陛下たちを抑えていて!」

「かしこまりました!」

「なにをするつもりだ、レイシェアラ! 危険だ!」


 陛下たちをベルに任せ、すでに竜の塔に帰ってきていたラックを呼び出し跨る。

 私の意思を理解したラックは垂直に塔の壁に沿って跳び上がり、瞬く間に瘴気の渦の中に飛び込む。

 大丈夫、なにも問題ないわ。


「私が浄化します! ヴォルティス様! レイシェアラはただいま戻りましたよ! お約束の通りに! だから——私を見てください!」


 刻印を掲げる。

 聖魔法[浄化]を瘴気が孕んだヴォルティス様の魔力を使って行使すれば、使えば使うだけ瘴気は[浄化]されてただの魔力へと戻っていく。

 瘴気となるほど凝縮している分、魔力量は凄まじい。

 けれど、これだけの魔力量があればできる!


「ヴォルティス様!」

『ぐるるるる! ゥガァァァアアアアアアアアアァ!!』


 理性を失っている。

 そんなにも、私のことを案じてくださったのですね。

 ラックの背から立ち上がり、飛び降りる。

 古画文字の魔法陣が、私とヴォルティス様を包み込む。

 宙に浮遊する古画文字をひとつひとつ並べ、私の体を包むほどに大きな魔法陣に拡張させていく。

 魔力は瘴気を[浄化]させ続けているから、なにも問題ない。

 すべては『竜王の寵妃の刻印』で、繋がっているおかげ。

 このまま[浄化]を続ければ、ヴォルティス様の理性も戻るだろう。

 でも——。


「ヴォルティス様、怒りを鎮めてください。レイシェアラは帰って参りましたよ。あなたのもとへ。お約束の通りに」


 閉じて唸る口元に触れる。

 途端に鋭い牙が生えそろった口が開き、耳をつん裂くような咆哮が響く。

 古画文字の魔法陣がなければ、肉体が消し飛んでいたかもしれない。

 それでも、不思議と怖くなのです。

 ニコラスの方がよほど怖かった。

 なぜならヴォルティス様は私の話を、ちゃんと聞いてくださると知っているからです。


「ヴォルティス様、私の答えを聞いてくださいますか? 今朝、あなたに与えられたこの刻印と、そのお気持ちへの答えです。本当のことを言うと、私はあの時、もう答えが決まっていたのですよ」


 だって、嬉しくて、嬉しくて。

 泣いてしまいそうなくらい、転げ回りそうなくらい、顔が爆発してしまったと思うくらいに、嬉しかった。


『ガ、ルル、ルルウウウウゥ』

「ヴォルティス様、私はあなたを愛しています。ぜひ、私をあなたの正式な妻にしてくださいませ。そして、ずっとお側においてください」


 牙の生えた、恐ろしい口。

 その口の端——唇に、私は手を添えて己の唇で口づけた。

 古画文字の魔法陣が急速に回転して、新たな魔法を形成する。

 新たな魔法は古の魔法に作用し、竜の塔を覆い尽くすほど大きく大きく広がって地下深くの古の結界魔法の核へと降りて行った。


『なぁんだ、バレてしまったの』


 夢の中でヴォルティス様を制圧した、初代聖女様の愉しげな声が聞こえた気がした。

 ヴォルティス様をこの地に封じる、初代聖女の結界魔法。

 私の新たな魔法は、それを相殺して光の雨を降らす。

 私の体を宙に浮かせていた魔法は、結界魔法にぶつけて相殺した。

 本来であれば落下する私の体を、人の姿となった雷の竜王が両手で支えて抱き止めてくださる。


「……お前は本当に、変な聖女だな。こんな邪竜を、選ぶなんて」

「なにをおっしゃるのです。ヴォルティス様はこうして私の話を聞いてくださったではありませんか」

「お前が約束を守ってくれからだ、レイシェアラ。——お帰り」

「ただいま帰りました!」


 抱き着く。

 ええ、帰ってきますとも、何度でも。

 あなたのもとへ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る