第41話 聖水ごくごく

 

「ええ、祈りを捧げさせてもらいます」

「わぁ!」


 大気の魔力の流れ、動きが完全に止まった。

 おそらく、私が聖女になって最初にやった水晶柱の機能が停止している。

 魔力供給が絶たれているのだ。

 おかしい。

 私が半日竜の塔を空けた程度では、水晶柱の魔力供給は止まらないはず。

 刻印と連動している水晶柱は、ヴォルティス様の魔力を常に放出し続ける。

 それは王都の紫水晶も同じ。

 すべてこの刻印と、ヴォルティス様が繋がっているおかげ。

 刻印があるからこそ、この国はヴォルティス様の魔力を享受できる。

 でも、こうして刻印が健在だというのに水晶柱の魔力が停止している——つまり、ヴォルティス様がご自身の力で魔力供給を止めておられるんだわ……!


「ヴォルティス様」


 祭壇の前に膝をつき、両手を組んで祈る。

 刻印よ、私の無事をヴォルティス様に伝えて——。

 ヴォルティス様、私は無事です。

 どうか怒りを鎮めて、魔力供給を再開してください。


『ならぬ』

「! ヴォルティス様……!」


 目を閉じたまま、頭に直接聞こえてきた声。

 怒りに満ちたその声に、私の願いは否定される。


『レイシェアラ、我が聖女。我と対話せしめた、愛しき娘。お前は我の数百年の孤独を癒してくれた。お前が危機に瀕し、戻らぬのなら我は——』

(ヴォルティス様、いいえ、いいえ! 私はあなたのもとへと戻ります! 必ず! ニコラスを納得させて、きっと帰りますから怒りを鎮めてください!)

『お前が戻らぬまで、我は怒りを抑えられぬ!』

(っ!)


 ラックがヴォルティス様のもとへ戻って、事情を聞いたのだろう。

 数百年の孤独。ヴォルティス様が強いられてきたそれは、私の目の前にあるあの壁画の出来事が原因。

 あの場所に封じられ、歴代聖女も姿を恐れて対話を避け続けていたという。

 人が側にいるのにずっと怯えられ続けるというのは、どれほど悲しいことなのだろうか。

 私はあなたを怖いと思ったことはないけれど、あなたはそれほどまでに私の存在を喜び、大切に思っていてくださったのですね。


「……わかりました、ヴォルティス様。私、今日中に必ず帰ります」

『レイシェアラ……』

「約束いたしますわ」


 祈りをやめて、立ち上がる。

 講堂の通路を振り返り、出入り口の扉を開き、ジータ様にお説教されていたニコラスの前へずかずかと進む。


「さあ! 私が洗脳されていない証拠をお見せします! 聖水を!」

「へ?」


 ジータ様は意味がわからないというお顔。

 詳しく聞いていないのかもしれない。

 しかし、ニコラスは本来の目的——私が洗脳されているから助ける——を思い出して立ち上がり、懐から十本の聖水の小瓶を取り出す。


「さあ! これだけあれば邪竜の洗脳も解けよう! 飲むのだレイシェアラ! それでお前は元の優しいレイシェアラに戻るだろう!」

「本当に素直に失礼な方ですね。まあいいでしょう。私は洗脳などされていませんから? 十本でも二十本でも飲みますよ」


 と、言ってその場でごくごく聖水を飲み干していく。

 一本、二本、三本……うえ、いくら祈りが込めれている以外はただの水とはいえ……五本を一気飲みし終えるとちょっとキツくなってくるわね。

 いえ、負けてはダメよレイシェアラ。

 ヴォルティス様のもとへ、今日中に帰るのよ。

 約束したのだから。


「ごくごくごくごく。……ごくごくごくごく」

「……そろそろ効いてきたか? レイシェアラ、どうだ? 邪竜の洗脳は解けたか?」

「ごくごくごくごく。……ごくごくごくごく。……うっぷ……これで最後ですね。……ごくごくごくごく」


 最後の一本を飲み下す。

 そもそも、呪いや洗脳は聖水一本で十分。

 十本も飲む必要はない。

 けれど、それでニコラスが納得するのなら飲み干して見せますとも!


「ぷはっ! ……さあ、飲みましたよ。これで私が洗脳されていないとわかりましたか」

「ということは、まだ邪竜のところへ帰りたいというのか!?」

「ヴォルティス様は邪竜などではありません! 見た目が恐ろしいからと決めつけないでください!」

「レイシェアラ! 竜王はこの大陸を壊滅寸前にした化け物だぞ! 聖女は最後、食い殺されるのだ! このままでは、お前も邪竜に食い殺されてしまう!」

「わかりました、そこまでおっしゃるのなら、ヴォルティス様はそのようなことしないと見せて差し上げます! 私を竜の塔へお返しください!」

「むむむ!?」


 そうだ、それなら見せればいいのだ。

 ヴォルティス様はそんなことしないのだと。

 それがこのアホを納得させ、理解させる正しい方法。

 ベティ様をちらりと見ると、コクコクと頷く。

 このアホには、話しても無駄!

 真実をその目に見せるしかない!


「ニコラス殿下! 行ってみましょうよー! 万が一レイシェアラ様が危なくなったら、勇者の末裔のニコラス殿下が助けに入ればいいんですからー!」

「む、むむむ……そ、そうか。それもそうだな! レイシェアラを守れるのは私だけだな!」

「そーですそーですぅ!」

「では早速参りましょう!」

「え! 今すぐですかぁ!? 雨が上がってからでもよくないですかぁ!?」


 ベティ様は着替えたばかり。

 そうね、またこの雨の中を通ったら、ずぶ濡れね。


「[聖防御盾]!」

「わっ!」

「これの下に入ってください。そうすれば濡れません」

「なるほどー!」

「……そ、それでは我が家の馬を貸し出します」

「ジータ様! よろしいのですか?」

「はい。何度もお世話になったレイシェアラ様が、我が家でずっと信仰してきた聖女様なのです。なんでもお申しつけください」

「ジータ様……」


 どう見ても、大変な状況だろうに。


「ありがとうございます!」

「どうぞご武運を」


 ヴォルティス様、今、帰ります!

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