第35話 竜王の寵妃

 

 なーんて言っていた数日後——。


「ヴォルティス様、旱魃かんばつについてのご相談なのですが」


 町の結界を修繕し、希少個体の魔物を四方の町の側に放ち、次に私が行うべきは旱魃地帯への水源確保。

 そして食糧難を改善。

 よい魔法、もしくはなにか案などないか、その日の朝に相談しようと思っていた。

 けれど、ヴォルティス様の隣にいたベルが無言で二通の手紙を差し出す。

 なんとなく最近、同じようなことがあったような……?


「これは……王家と、シュレ公爵家の家紋……」

「先ほど届いたばかりです」

「まあ、食事のあとでよかろう」

「は、はいっ!」


 ヴォルティス様のご飯!

 本日のメニューはトマトの塩漬けサラダとバタートースト、野菜スープ。

 じゅわ……と口の中に広がる酸味と塩味がほどよいバランスで、思わず目を閉じてしまう。

 ああ……トマト、至福……。

 そこへバターたっぷりのトーストをパクリとすると、今度は小麦粉の香りとサクッと食感、それから無塩バターの油分がさっぱりしていた口の中を一気に侵食してくる。

 はふぅ……シンプルだからこそごまかしの利かないサクッふわのもちもちトースト。

 そこに野菜スープを投入すると、あの油分たっぷりの濃厚なバターとトーストの味わいがリセットされる。

 至福……。


「本日も美味しいです」

「そのようだな。レイシェアラは本当に美味しそうに食べるから作りがいがある」

「だって本当に美味しいのですもの!」


 毎食メニューが違うのもすごいと思うし、見た目にもこだわっていて飽きがこない。

 公爵家のシェフにも劣らぬ腕前、本当にすごいですわ。


「もぐもぐ、ごくん。……さて、嫌な予感しかしない手紙を読んでみますか」

「そうだな。なぜか我までその空気が感じ取れる」


 ヴォルティス様までそのようにおっしゃるなんて、開けるのがますます怖くなってきたわね。

 王家からの手紙に手をかけていたけれど、そのセリフを聞いてそっと実家からの手紙にチェンジした。

 まあ、それでもやはりいい感じはしないのだけれど。


「…………」

「ご主人様、どうされましたか?」


 一通り実家からの手紙に目を通し、頭を抱えた。

 王家からの手紙も開いてみたが、概ね同じ内容が書いてある。

 頭を抱え直した。

 あのやんごとないクズ、やってくれやがりましたわ。


「なんと書かれていたのだ?」

「……っ、……ニコラス元殿下が、私のこれまでの行いを、すべて自分の指示でやらせたものである、と各地で吹聴して回っているそうです」

「なんだと?」


 ええ、もう王子ではありませんから呼び捨てにしますが、ニコラスは婚約者の一人であるベティ様と結婚したそうです。

 つい一昨日。

 彼女の実家を継ぎ、現在子爵となる前から、子爵令嬢の後ろ盾を得て騎士団を抜け、冒険者として各地に赴き「聖女レイシェアラは私を今でも深く愛している」だの「彼女の聖女としての活躍はすべて私の支持だ!」だのと吹聴して回り、元王太子という肩書きの力でかなりの民がそれを信じているらしい。

 さらに結婚して子爵となったことで、「国王とお妃、上級貴族に陥れられた不遇の王子を応援しよう!」という気運が高まりつつあり、ルイーナやお父様、国王様の知るところとなった頃にはかなりの村々、町がニコラス派になっていたそうだ。

 それもこれもすべて、私が隅々の民へ魔力の恩恵を届けるべきと思って活動していたせいだ。

 頭が痛い。

 お前のためじゃない。

 断じて! お前のためなわけがあるか!


「どうしましょう……まだ旱魃の解決はしていないのに……」

「なるほど、このままなにも手を打たずにおけば、手柄をすべて横取りされるというわけか」

「はい。その上、放置して私が活動を続ければ陛下やお妃様、新たに王太子となったエセル様とルセル様にもご迷惑になります」


 それでなくともエセル様とルセル様は幼い。

 反発する貴族はニコラスのアホっぷりを知り、ほとんど存在しないけれどベティ様の実家、ドリエ子爵家は違う。

 ドリエ子爵家の前当主は、ベティ様がニコラスの婚約者になる少し前から傾き続ける家のことを案じて寝たきりになる程心労で参っておられたと聞く。

 きっとニコラスと結婚して新たな当主に認めたのも、その心労から解放されたい故だろう。

 ちょっと、かなり、可哀想。

 でも、そのせいでニコラスが地味に貴族の権威を取り戻したのはまずい。

 ベティ様はニコラスを増長させるところがあるけれど、まさか相乗効果でこれほど面倒ごとになるとは……!

 お妃様のお心遣いを全力投球で打ち返してないで、大人しく騎士になればよかったものを……!!


「……レイシェアラ、手を」

「え?」

「刻印を」

「……は、い?」


 なんだろう?

 困惑しながらも左手を差し出すと、その手をヴォルティス様が掴む。

 ヴォルティス様が、わ、私の手を……!


「我が聖女よ。我と対話し、我が声を聴く初めての乙女よ。我が慈しみを汝に与える」

「ヴォルティス様……?」


 手が光に包まれ、ヴォルティス様が手を離すと『竜の聖女の刻印』が変化していた。

 キラキラと紫色の光の粒が溢れる。

 これ、は?

 結界特化のものとも違う。


「竜王の寵妃の刻印だ」

「っ!」

「気に入らないかもしれないが、竜王の威光、お前に授ける。お前が誰のものであるか、今後はそれをかざして知らしめるがいい」

「ヴォルティス様……よ、よろしいのですか?」

「無論だ」

「あ……」


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