第115話 最近雇ったウチの事務員が可愛くて仕方ない

 「翔介しょうすけ! また判子が漏れていたわよ!」


午前の診察を終えた直後、備品発注を行っていた私の元へ、処方箋片手に薬局王キングがやってきた。


「ああ、ごめんゴメン」


シャチハタ印を取り出し、私は院長名の隣に押印した。最近忘れがちだから気を付けないと。


「まったく……それから、後発品のことで相談があるのだけれど」

「はいはい。光希みつき――じゃなくて神永かみなが院長! 隣の薬局王キングが相談らしいです!」


診察室の向こうに声を掛けると、白衣姿の光希みつきさんが待合室に現れた。


「そんなに大きな声を出さなくても、聞こえていますよ。翔介しょうすけさん」


微笑む光希みつきさんに私も笑顔で返せば、薬局王キングが「フン」とつまらなそうに鼻を鳴らした。



 ――あれから、2年の歳月が流れた。


 

 私は父の元を離れて、光希みつきさんと共にこの診療所を立ち上げた。

 独立には多額の準備金が必要だったが、銀行からの融資となけなしの貯金、そして父からの援助のおかげで、小さいながらも半年前に設立できた。

 認可やテナント探しなど大変なことばかりだったが、医薬品卸会社メディセロの営業担当、小澤おざわさんの協力もあって、なんとか形になった。


 そんな当院の隣には、薬局王キングが〈ヴェール・ファーマシー〉のグループ会社として立ち上げた、新進気鋭の調剤薬局。

 その名も〈キング・ファーマシー〉。

 安直というか、ディスカウントストアのような印象を受ける店名だ。けれど彼女は昔からの目標であった【日本一の調剤薬局】を本気で目指している。


【日本一調剤薬局】を。


 そんな彼女に共感したのか、〈ヴェール・ファーマシー〉時代に部下だった薬剤師の石動いするぎ君も一緒に働いている。流石は薬局王キングだ。一流の経営者は従業員にも慕われるのだろう。


 慕われているといえば、院長の光希みつきさんもだ。

 今ウチで働いている看護師の佐倉さくらさんは、以前に光希みつきさんが勤めていた小児病棟で一緒に勤務していたらしい。

光希みつきさんが独立するのを知って、ついてきたのだ。ありがたい話である。

 彼女が言うには、この診療所で働いている光希みつきさんは、大学病院時代よりも生き生きして楽しそうだとか。


 「ところで神永かみなが院長。院内で『翔介しょうすけさん』はやめてくださいって、いつも言ってるじゃないですか」

「少しくらい良いじゃありませんか。今は休診時間で患者さんも居ませんし」


呆れたように光希みつきさんは片頬膨らませた。

 確かに目くじら立てるほどの問題ではないが、光希みつきさんが私をファーストネームで呼ぶと、看護師の佐倉さくらさんが私を射殺すかのように睨んで怖いのだ。

 ついでに薬局王キングも。

 ちなみに佐倉さくらさんと光希みつきさんの間に、そして薬局王キング石動いするぎ君の間には壮大な恋愛ドラマがあったようだが……それはまた別のお話。


 「神永かみなが先生。今日の午前中に処方なされた先発品のヒルドイドクリームなのだけれど、変更不可にしなくても良いのではなくて?」

「ですがあちらの患者様は基礎代謝が低下し発汗作用に乏しいようです。ならば先発品を処方すべきと考えました」

「それならローションの方が良いのではなくて?」

「私もそう提案しましたが、患者さんがローションでは使用時の感覚が違うからと――」


二人は処方する医薬品について真剣に意見を投げあった。この光景こそ私達が望んだ医療の在り方。

 今までは……というより多くの調剤薬局が処方元の病院の方針や意向に、そのまま従っているのが現状。悪い言い方をすれば『病院に言われるがまま』なのだ。

 だが医師は診療の専門家エキスパートであり薬剤師は薬の専門家エキスパート。病院の言いなりになるのは違う。かといって無闇に後発品を処方するでもない。対等に意見を交わして、より良い医療を患者様に提供する。

 それが私達の目指した姿だ。

 もちろん処方元の医院と薬局が特定の営利関係にあるのは御法度だ。だから当院へお越しの患者様を〈キング・ファーマシー〉に誘導するような真似はしない。薬局を選択する権利はあくまで患者様のものだから。

 しかし病院が薬局と情報共有をすることで、当院から処方箋を発行した患者様が、どのくらいの割合で薬局王キングの所へ処方箋を持っていくのかハッキリと数字で表される。それを参考に、今後どのように患者様に来て頂けるか試行錯誤するのだ。

 だが私の経営スキルでは来院数向上のためのノウハウに乏しい。

 そこで、当院ではお嬢ちゃんの御父上に協力してもらっている。

 医療コンサルティング会社だけあって、経費の削減や利益の向上など様々なアドバイスを頂いているのだ。

 

 そのお嬢ちゃんは、今は薬局王キングの薬局で事務長をしている。医療事務の資格も調剤事務の資格も取得した彼女に、今では私の方が色々なことを教わっている程。


 「薬局長やっきょくちょう! 患者様がOTCの御相談に来られました!」


などと考えていれば、お嬢ちゃんが慌てた様子でやってきた。

 薬局王キングは「すぐに戻るわ」と、押印を終えた処方箋を片手に店舗へと戻った。


 「どう? 調剤事務は」

「はい。医療事務と違うことも多くて大変ですけど、薬局長やっきょくちょうが優しいから楽しいです!」


お嬢ちゃんはニコリと、相変わらず向日葵ひまわりのような笑顔をたたえた。

 今や〈キング・ファーマシー〉の社員となったお嬢ちゃんは、同時にキッズモデルの講師インストラクターを引退した。だが彼女の元教え子たちが時折薬局に遊びに来ては、自分たちの出演したイベントの写真や動画を見せてくれるらしい。

 そのたび彼女は自慢げに喜んでいる。

 この光景も、薬局王キングが目指す【日本一優しい調剤薬局】に欠かせないもの。

 ちなみに、我々の経営状況が落ち着いてきたら、保育施設を増設して、職員にもその家族にも優しい医療機関を作る計画を進行中だ。


 「……おっと、もうすぐ時間だ」

「え? まだ午後の診察には早くないですか?」

「そうなんだけど、今日は特別な患者さんでね」

「そうなんですか」

「では、私は診察の準備をしてきますね」


そう言うと光希みつきさんは事務所へと向かった。お嬢ちゃんも「それでは」と急ぎ足に薬局へ戻る。


 すると少しして、表のドアが開かれた。


「こんにちは、お久しぶりです。事務長」


そこに現れたのは、以前に〈つがみ小児科〉で一緒に働いていた鈴鹿すずかさんだ。オメデタで退職され、お嬢ちゃんを雇うキッカケとなった事務員さん。

 その彼女が、よちよち歩きの男の子の手を引いている。もうすっかり”お母さん”だ。


「こんにちは、鈴鹿すずかさん。久しぶり。この子が、あの時のお子さん?」

「そうです。ヤンチャで甘えん坊で、毎日が天手古舞てんてこまいです」

「ふーん。こんにちはっ」


中腰になって男の子の顔を覗き込めば、照れ臭いのか怖いのか、鈴鹿すずかさんに抱っこを求めた。


「すみません、人見知りで」

「ははは。それにしても、ウチに予約の電話入れてくれた時は驚いたよ」

津上つがみ院長の所で、こちらの診療所をご紹介頂いたんです」

「父さんに?」

「はい。院長先生、とても嬉しそうに仰っておられました」

「そっか…」


私は父のことを思い出した。

 この診療所を立光希みつきさんとち上げることを父に告げた時、罵倒も勘当も覚悟していたが、存外アッサリと承知してくれた。どころか立ち上げに関するアドバイスや資金援助までしてくれて……言葉には出さないが、私のことを応援してくれている。

 他人にも自分にも厳しく、仏頂面で怒ってばかりの父だったが、父なりに心の底から息子わたしのことを考え案じてくれているのだろうか。仕事の話となるとすぐ眉間に皺を寄せるから、本音を確認しよもないけれど。

 だがそんな父が、つい最近笑顔を見せた。彼女と共にへ訪れた時だった。


「そういえば、事務長はもう結婚されましたか?」

「あ、うん。まだ籍は入れてないけど」

「そうですか」

「おっ、噂をすれば丁度来たみたい」


後ろを振り返ると、奥のドアから制服姿の彼女が出勤する。

 顔を会わせるなり、二人は嬉しそうにお辞儀をし合った。


「こんにちは。久しぶりね。えっと……『津上つがみさん』と呼べばいいのかしら?」


悪戯っぽく鈴鹿すずかさんが笑って見せると、彼女は顔を真っ赤に照れた。


「改めて紹介するよ。が世界で一番愛してる女性ひと――先月ウチに入職した、綾部あやべさん」


私は微笑みながらそう言って、隣に寄り添い肩を抱いた。照れ臭そうに俯きながら、彼女も優しい微笑を浮かべる。


 そんな最近雇ったウチの事務員――綾部あやべさんが、可愛くて仕方ない。

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