第113話 10月23日

 次の日曜日。私は診療所クリニック近くの喫茶店に居た。

 4人掛けのテーブル席。隣には、緊張に強張こわばるお嬢ちゃんが。

 私達は、残る二人の到着を待っていた。

 しばらくすると薬局王キングが店に現れた。彼女はすぐに私達を見つけると、口を『へ』の字に尖らせ近付いた。


 「忙しいなか、ごめんね薬局王キング。来てくれてありがとう」

「別に。ところで翔介しょうすけ、大事な話って何よ」


つっけんどんに言うと、薬局王キングは私の正面に腰を下ろした。


「もうちょっと待って。光希みつきさんもすぐに来るはずだから」

神永かみなが先生も?」


途端、薬局王キングの表情に険しさが増す。

 彼女は店員の女性にアイスカフェオレを注文したが、オーダーした品が運ばれてくるより先に光希みつきさんが到着した。

 小さく会釈した光希みつきはんは、お嬢ちゃんの対面……薬局王キングの隣に腰掛けた。

 アイスカフェオレが運ばれてくると、今度は光希みつきさんがアイスコーヒーを注文する。


 「それで翔介しょうすけさん。私達を集めたのは、それなりの理由があるからですよね?」


光希みつきさんが優しく微笑んだ。けれど淡々としたその声に、私は妙な寒気を覚える。

 緊張に迸る鼓動を「ゴホンッ」と空咳で誤魔化せば、私は真剣な眼差しで三人を見遣った。


 「みんな、今日は忙しい中集まってくれて、本当にありがとう。まずは今回の件で迷惑をかけたことを、謝らせてください」


精一杯に頭を下げ、私は「ごめん…!」とかすれ声を響かせた。

 垂れ下げた頭の向こうから、鼻腔を抜けるような溜め息が漏れ聞こえる。


 「別に、私は謝ってほしくなんかないわ」

「私も同意見です」


冷たく研がれたような声。それらが私の耳を刺し、くびり切るように胸を締め付ける。


「わかってる………もう僕は逃げない。だから今、ここでハッキリ言うよ」


ゆっくりと頭を上げた私は、眉をひそめる二人を正面に見据えて――


「僕は、綾部あやべさんが好きだ」


――苦笑いも愛想笑いも無く、ただ思うままを声に表した。


「僕は彼女を愛してる。彼女と、結婚したい」


瞬間、薬局王キング光希みつきさんの眉がピクリと動いた。

 狭いテーブル席に緊張が走る。私は体を震わせながら、尚も続けた。


 「だけど皆にも話したように、綾部あやべさんはウチを辞める。

 でも僕は、綾部あやべさんと一緒に居たい。だからお願いだ。どうか僕に、力を貸してほしい…!」


言うが早いか、私は勢いよく頭を下げた。テーブルに置かれた飲み物も揺れて飛沫しぶきを立てる。


 「……翔介しょうすけ、ちょっと御立おたちなさい」


手招きするみたく薬局王キングは五指を動かした。

 言われるまま私は立ち上がると、彼女もまた椅子を引いた。光希みつきさんもだ。

 すると、その直後。


 ――バチイィッ!!

 ――べシンッ!!


右頬に薬局王キングの、左頬に光希みつきさんの平手打ちを食らった。

 強烈な二つの張り手に脳が揺れる。足をもつらせる私は、無様に床を転がった。

 薄汚れた床にす私を、憤怒露わの二人が見下ろしている。


「馬鹿も休みやすみ言いなさい! 三股四股かけるような優柔不断な真似をしておいて、フッた途端に『協力しろ』だなんて、どういう了見!?」


「股がけしていた訳ではないと思いますが、確かに唐突が過ぎますね」


薬局王キングは眉尻吊り上げ激昂し、光希みつきさんは冷徹に怒りの炎を燃やしている。


「ま……待ってください! 事務長、本当にすごく悩んでたんです! せめて、お話だけでも聞いてあげてください!」


狼狽えるお嬢ちゃんに対し、薬局王キングは「フンッ」と鼻を鳴らした。


「言われなくても、ちゃんと話は聞くわ。そうでもなければ、わざわざ呼び出しに応じないわよ。

 でもその前に一発殴っておかないと、私の気が済まないのよ!」

「暴力など医師の本懐に反しますが、区切りは必要ですからね」


そう言って二人は椅子に座り直すと、両手両足を組み威圧的な態度を示した。


「いいわよ、御話しなさい」

「は、はい…」


クラクラと眩暈めまいする私は、お嬢ちゃんに介助されながら、なんとか立ち上がった。



 ※※※



 「――という構想を考えています…」


3人が見つめる中で、私は頭の中に描いている絵図を説明した。

 途中で異論も唱えず、三人は静かに耳を傾けてくれた……いや、『呆れてモノも言えない』といった雰囲気なのか。


 「ずいぶんと突拍子の無い話ね…」

「ええ。確かに不可能な話ではありませんが……少々強引ですね」

「……ごめん。急にこんなことを言われて、二人が戸惑うのも怒るのも分かる。だけど、お願いだ! どうか力を貸してほしい!」


テーブルに額を擦り付け、私は再度頭を下げた。


「わ、わたしからも、お願いします!」


そう言ってお嬢ちゃんは、同じように深く頭を下げてくれた。


 「わたし……今まで事務長には何度も助けてもらいました。仕事もそうですけど、ウェディングイベントの時もそうです。わたしが困ってたら、事務長はいつも笑って手を伸ばしてくれました。だから今度は、わたしが事務長を助けたいんですっ!

 お願いしますっ! どうか事務長に、力を貸してあげてください…っ!」


熱を孕んだかのような、お嬢ちゃんの叫び。

 薬局王キング光希みつきさんは顔を見合わせると、ほぼ同時に溜息を吐いた。


「二人とも。頭を上げてちょうだい」


言われて、私とお嬢ちゃんは恐る恐るとおもてを上げる。


 「心配いらないわ、お嬢さん。私は最初から翔介しょうすけに協力するつもりよ」

「私も同様です」


予想外の返答。私は驚きのあまり頭の中が真っ白になって、言葉すら浮かばなかった。

 薬局王キングはアイスカフェオレを手に取り、一口だけ啜った。


 「私だって翔介しょうすけには何度も助けられたわ。なんなら私が今もあの店舗で勤務できるのも、アナタが居てくれてお陰だしね」


薬局王キング…」


「私は翔介しょうすけさんに助けられた覚えはありませんが、今でも貴方を愛しています。そんな貴方が望むのなら、私は骨身を惜しまないつもりです」


光希みつきさん…」


「そんな顔をなさらないでください。今回のお話しは私にもメリットがありますし、是非とも協力させて頂きます」


にこりと微笑む光希みつきさんは、私の手を包み込むように優しく握った。それを薬局王キングがムッとした顔で睨みつける。


 「それにしても、翔介しょうすけのおバカ加減には本当に呆れるわね」

「それに関しては同意見です。けれど、そんな裏表がなく優しさに溢れた翔介しょうすけさんだからこそ、私は惹かれました。薬局長やっきょくちょうさんも、そうなのではありませんか?」

「……そうですね。愚直でおバカで真っ直ぐなだけが取り柄の優柔不断男に、してやられたわ」


褒めるような貶すような複雑な発言と表情で、薬局王キングは私と光希みつきさんの手に自らの手を重ねた。

 傍で、お嬢ちゃんが「クスクス」と愛らしい笑みを浮かべると、彼女もまた同じように左手を重ね合わせた。


「……ありがとう、皆」


そして私もまた、彼女らの手を強く握り返した。

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