第111話 神永光希と佐倉さん

 「はぁ…」


病院の更衣室で白衣を着替えながら、私は溜め息を漏らした。

 先日、私が好意を寄せている津上つがみ翔介しょうすけさんに対して、突き放すようなことを言ってしまったからだ。

 それも相手の言葉を汲み取ったわけではない。私の推測だけで、彼を否定するような真似マネをした。

 私の悪い癖だ。


 幼い頃から、人の心が読めるようだった。


 『昔から光希みつきは勘が鋭かった』と、親や親戚をはじめ、私を知る者は口を揃えて言う。

 なんとなく相手の考えていることは理解できた。でもそれを特別なこととは思わなかった。


 幼稚園に通い始めた頃から母には「綺麗だね」父には「大好き」と、心とは違うことを口走っていた。そうすれば二人とも喜んで上機嫌になることを知っていたから。

 

 小学生の頃は『なぜそんな下らないことで夢中になれるのか』と疑問を感じながら友人たちと遊んでいた。男子に対しては特にそれが顕著だった。

 楽しくないわけではなかったが、自分は周りとは違うと思い始めた。


 中学に入ると、それが一層に強くなった。

 周りが惚れた腫れたと浮いた話で盛り上がっている中、私は『何がそんなに楽しいのか』と不思議で仕方が無かった。部活に打ち込んでいた方が余程建設的に思えた。

 ひがみではない。自慢でも誇大妄想でもなく、私は男性から好意をもたれていた。

 実際に何度か男子生徒から『付き合ってください』と告白を受けたし、ホワイトデーにプレゼントを貰うこともあった。

 けれど私は全てお断りした。

 相手の心が見透けていたから。


 『どうして私を好きになってくれたの?』


 そう尋ねれば、多くの男性が『優しくて』『頭が良いから』『一目惚れした』と称賛の言葉をくれた。嬉しくないわけではなかったが、その言葉は本心でないと悟った。

 私と交際して肉体関係を持ちたい。

 恋人が居ることで優位に振舞いたい。

 見た目の良い恋人はアドバンテージになる。

 友人には恋人がいるのに羨ましい。

 そんな感情が優先して見えた。


 高校に入っても、それは大して変わらなかった。だから私も中学の頃と同じように振舞った。

 すると私は『お高くとまった女』と同級生から揶揄やゆされようになった。

 私は少しずつ他人と距離を置く様になった。

 それで良かった。

 本音をひた隠して徒党を組むだけの烏合の衆に、私はなりたくなかったから。


 だがそれ以来、私は一層と他人から距離を置くようになった。


 相手から近づいてきても、ビジネス関係に留めてプライベートな関りは避けた。

 取って付けたような笑顔で、見えない壁を見せつけた。

 大抵の相手はそれで離れていった。けれど――


 「先生!」


――けれど時折、そんな私の壁をものともしない人が現れる。

 静かな更衣室に響く可愛らしい声に、私はまた溜息が漏らした。


「先生、なにか悩み事ですかっ!? アタシで良ければ相談に乗りますよっ!」


彼女は佐倉さくらさん。小児病棟に勤務している新人看護師だ。

 明るい性格で人当たりが良く、患者様からも評判の良い彼女だが、どういう理由わけか私に懐いている。


 「別に、悩みなんてありません」

「え――っ! そんなことないですよ――! 絶対落ち込んでるじゃないですかぁ――!」


素っ気なく答える私に対して、彼女は屈託ない笑顔で食い下がる。こうなると彼女はしつこい。

 私は観念して3度目の溜め息をついた。


「実は、少し院内での人間関係に悩んでいます」


嘘ではない。実際に私は、この院内での人間関係に悩んでいる。

 先輩医師との折り合いや院内の派閥などが、どうしても肌に合わないのだ。

 以前に父が見合いの場を設けたのも、こうなることを見越してのことだろう。恥ずかしいことに、父の危惧きぐした通りになってしまった。


 「嘘ですね」


だが佐倉さくらさんはハッキリと否定した。ギクリと私の肝が冷える。


「先生、そんなことで溜め息つくようなヒトじゃないですもん。先生が悩むとなると……恋愛関係ですか?!」

「ど、どうしてそう思うんですか?」

「なんとなくです!」


自信満々にそう言って、彼女は明るく笑った。

 反して図星を突かれた私は驚愕の様相を呈し、浮かべた笑みも引き攣らせる。


「大丈夫ですよ先生! アタシが居るじゃないですか! 男なんか居なくても、アタシが先生の伴侶パートナーとして生涯を共にしますから!」


臆面おくめんもなく彼女は言い放った。

 こういう女性だ。

 佐倉さくらさんは同性愛者レズビアンというより両性愛者バイセクシャルの色が強いようで、過去には男性とも女性とも関係を持っていたらしい。

 最初に彼女と出会った時は心底驚いた。そんなセンシティブなことを堂々と公言するなんて、私には考えられなかった。

 『きっと周りから変な目で見られる』

そう思った私は彼女と距離を置いた。

 だがそんな私の思惑とは裏腹に、彼女は男性からも女性からも好かれた。彼女の性的思考など些細な問題とばかりに、皆は心を開いた。

 

 佐倉さくらさんは唐突に私の手を握ると、キラキラと輝く瞳で私を見つめた。


「先生なら開業してもやっていけるでしょーし、その時は私も看護師として付いて行きます! もちろんプライベートなパートナーとしても先生を支えていくつもりですけど!」


頬を赤らめ剽軽ひょうきんな仕草で、佐倉さくらさんは私に好意を伝えてくれる。

 どこまで本気かは分からない。なにせ私達は女性おんな同士だ。

 人の思考を読むのに長けた私だが、彼女の心の中だけは読み取ることが出来なかった。というより、思考と言葉に齟齬そごが無いのだろう。だから心の声に違和感が無いのだ。


 「それじゃあ、私が開業した時はお手伝いをお願いしますね」


なかば諦念感を交えて私は言うと、彼女は子犬のように嬉々として私に抱き着いた。


 佐倉さくらさんは私とは真逆の存在だ。


 だからこそ私もまた……彼女に惹かれていくのかもしれない。

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