第105話 09月22日【1】

 「翔介しょうすけ、お前また従業員と関係を持ったのか」


射殺すような父の視線と声に、私は言葉に出来ないほどの衝撃に見舞われた。


「どっ……どうしたのさ急に。『関係』って一体何のことを…」


反射的に、私は濁ったような笑みを浮かべた。

 けれど父はギロリとめ付け、


「シラを切るな」


容赦なく私から逃げ道を奪う。

 粘りつくような汗が、私の全身から噴き出した。


 「メディセロ医薬品卸会社小澤おざわさんが、お前が小篠こしのさんと駅前で抱き合っているのを見たらしいぞ」

「お、小澤おざわさんが…?」


動揺の色を露わに、私は先日のことを思い出した。

 確かにお嬢ちゃんを降ろしたのは、此処からすぐの傍の駅前だ。患者様をはじめ院に関わりある人物に見られる可能性は高かった。

 とはいえ、まさか営業の小澤おざわさんに見られていたとは夢にも思わない。迂闊うかつだった。


小澤おざわさんに、お前達は恋仲なのか尋ねられた」


父の言葉が、焦る私へ追い打ちをかける。

 だが今更後悔しても遅い。私は必死で逃げ道を模索した。


 「み……見間違――」

「見間違いではないぞ。近くにお前の車もあったみたいだからな」


悪足掻わるあがきさえ許されない現状。

 私はいよいよ項垂れ、口を閉ざした。

 そんな私の姿を目の当たりにして、父は白髪頭を抱え溜息を吐いた。


 「どうしてお前は私の想いが理解できないんだ。あれほど口酸っぱく『職員とは私的な関係を持つな』と言っただろう」

「ち、違うよ! そうじゃない!」

「ではなぜ駅前で抱き合う!」


刃物のように鋭利な父の視線。さながら蛇に睨まれた蛙のごとく私は萎縮した。

 そしてまた私は唇を結ぶ。

 潜在的な恐怖が、私から思考と声を奪った。

 

 父はまた、大きな溜息を吐いた。


 「もういい。お前に話すつもりが無いなら、彼女は解雇クビにする」


つっけんどんに言い放つと、父は背中を向けた。

 瞬間、私は足の裏から全身の血が抜け出るような感覚に見舞われた。

 

 「ちょ、ちょっと待ってよ! 分かったよ………ちゃんと全部、話すから…」


尻すぼみな声と同様、私は体を縮こませた。

 脅しでは無い。

 明らかな職権乱用も、この父ならやり兼ねない。

 私にはもう、父の言葉に従うほか無かった。


 「私の質問には全て嘘偽りなく答えろ。それが出来なければ彼女は解雇クビだ。良いな?」


身震いする私は、コクリと力なく頷いた。

 小さく立ち竦む私に反して、椅子に腰掛けた父の姿が異様に大きく見えた。


 そうして震える声が、全てを打ち明かす。

 

 医療コンサルティング会社を経営されている御父上から退職を迫られたお嬢ちゃんに頼まれ、説得に行ったこと。

 その帰りに『結婚したい』と言われたこと。

 お嬢ちゃんをフッて泣かせてしまったこと。

 駅前での抱擁ハグは、彼女からの最後のお願いだったこと。

 父はそれらを、鬼のような表情で聞き入った。


 「光希みつき嬢との関係は?」


 背もたれに体を預けるや、眉間に皺を寄せる父が問うた。

 私は「結婚を前提に付き合いたいと言われたけど、まだ返事はしてない」と偽りなく答えた。


 同じように薬局王キングとの関係も問われた。

 私は「告白されたけどまだ返事をしていない」と返す。

 父は「ふむ」と息を吐いて腕を組み直した。


 光希みつきさんと薬局王キングのことを問いただしてくる辺り、やはり整形外科の院長先生にお会いした時から何かを察していたのか。


 「小篠こしのさんの申し出を断ったということは、二人のどちらかと結婚を考えているのか?」

「………分からない」


項垂れたまま、私は力無く答えた。

 すると父は「そうか」と重々しく呟くと、おもむろに立ち上がり、項垂れる私の眼前へにじり寄った。


翔介しょうすけ…」


下げた頭の向こうから響く低い声。

父の右手に拳が握られ、視界の端に消えた。


『殴られる』


そう思った私は咄嗟に目を瞑った。けれど…。


 ――ポンッ。


突き出された父の右手は私の肩に置かれた。


「よくやったな、翔介しょうすけ


「……え?」


予想外の言葉に驚き顔を上げれば、そこには優しく微笑む父が居た。

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