第84話 薬局長と石動くん【2】
「貴方が、新人の
僕の勤務する店舗に、彼女は突然と現れた。
凛とした雰囲気を醸す彼女は、まるで童話に出てくるお姫様のようだった。
綺麗な人だ。
ひと目見た瞬間に、僕はそう思った。
後から聞くと、年齢は僕のひとつ上だという。にもかかわらず彼女はとても大人っぽくて、外見よりずっと落ち着いて見えた。
そんな彼女の来訪は予定に無かったのか、管理薬剤師のオバサンは間抜けな顔で驚き、腰低く不気味な愛想笑いを浮かべた。
「忙しい所をごめんなさい。少し彼を借りても良いかしら?」
春風のように心地よい声で彼女が尋ねると、管理薬剤師はヘラヘラと不細工に笑ったまま、僕を突き出した。
「それじゃあ、行きましょう」
言うが早いか彼女は颯爽と踵を返した。呆気にとられながら、白衣姿のまま僕も外に出た。
「久しぶりね。私のことを覚えているかしら?」
優しく微笑む彼女に対し、僕は無言で首を振った。緊張と驚きで言葉が出なかった。
「そう。無理もないわね。入社の時に一度会っただけだもの。改めまして、私は
「ど、どうも…」
ようやく絞り出した僕の声は、気が抜けた炭酸水のようだった。
『役員』と言われてもピンと来なかった。なんとなく偉い人なのは分かるが、年齢のせいかそんな印象を受けない。
「少し、話せるかしら?」
彼女は道路の向こう側にあるコンビニを指差した。僕は小さく頷いて応える。
他に客の居ない、カウンター
「いただきます」と、僕は恐る恐る珈琲に口を付けた。ほろ苦くも温かい珈琲が、固まる心を少しだけ解してくれた。
「どうかしら、仕事の方は」
隣に腰掛けた彼女が、優しい声で尋ねた。
やはりその話か、と僕は心の中で呟いた。
きっと、以前マネージャーに相談したことが、この人の耳に入ったんだ。
さきほど見た管理薬剤師の態度や口調から、この
雑念消して、僕は入社から今までのことを思い返した。
辛苦に心を犯されるような日々。
話したいことも、聞いてほしいことも、打ち明けたいことも山程あった。
でもイザとなると言葉が出てこなかった。言いたいことがありすぎて、どこから話すべきか迷った。
黙りこくって、僕は考えた。
彼女はそんな僕を決して
そうして、一つの言葉が心に浮かんだ。
「……
浮かんだ心の声を、僕はそのまま発した。
言いたい事は他にも沢山あった。管理薬剤師の悪行を、理路整然と並べ、
けれど、その一言を絞り出すので精一杯だった。
これ以上言葉を繋げると、声じゃなくて涙が出そうになった。
溢れ出そうな
万が一「もう少し頑張って」とか「男なんだから根性を見せなさいよ」なんて言われるのであれば、内ポケットに隠してあるこの辞表を叩きつけようと思った。けれど――
「……ごめんなさい」
――帰ってきたのは、予想外の言葉だった。
「あの管理薬剤師はウチの社長と旧知の間柄なの。だから誰も目を逸らして非道な振舞いを看過していたの。
その皺寄せを全て貴方のような新人に負わせて、苦しい思いをさせてしまったこと………経営の一端を担う者として心から謝罪するわ」
申し訳なさそうに、彼女は深々と頭を下げた。
僕は目に見えて
そんなことを言われるなんて、想像だにしていなかった。
言葉の処理が追い付かず混乱する僕は、唇結んで顔を伏せる。
苦しいからじゃない。彼女の言葉に微かな希望を見出したから。
だけど、次の瞬間。
「貴方、もう辞めなさい」
重みのある声が、頭の上から響いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます