第76話 08月12日【神永光希 編】

 「光希みつき、ちょっといいか?」


久しぶりの休日。実家へ帰った私に、父が唐突と切り出した。 

 夕食の準備も母に任せて、私は父の前に座った。


「なに? お父さん」

「いや……お前も研修医期間を終えて、ようやく一人前になったんだな」

「そうね。ね」


父の言葉に、私は少しだけ苛立ちを覚えた。

 そんな私の心境を知ってか知らずか、父は取って付けたように笑顔を貼り付ける。


「実は見合いの話があるんだ。相手は開業医の御子息だ。きっと、お前の仕事の助けになってくれるぞ」


言いながら、父は貼り付けた笑顔を僅かに引き攣らせた。本当に嘘の下手な人だ。

 言われるまでも無く、父の思惑は分かっている。私が総合病院で働くことを案じているのだろう。

 学生の頃から人付き合いが下手で、思ったことを忖度そんたくなく口に出してしまう。そんな性格の私が、閉塞的で旧態依然とした総合病院などで働けるのかと、父は疑問に感じているのだ。

 そういえば私が『医師を目指す』と言った時も、父はひどく反対したものだ。


「そのドクターと、お父さんの関係は?」


敢えて険しい視線で問うと、父は少しだけ視線を下げた。


「高校時代の先輩だよ。とても面倒見の良い人で、私も何度も世話になったんだ。光希みつきの大学の先輩でもあるよ」

「……そう」


なるほど、父はそのドクターとの関係を保つためにも、見合いの話を受けたのだ。

 本当なら今すぐ断りたい。けれど父の体裁もある。なにより私と同じ大学の先輩だ。軽々しく拒絶も出来ない。


「分かった。でも、気に入らなかったら断るから」


辟易しながらも私が答えると、澱んだ父の顔がぱっと晴れやかに変わった。


「ああ、勿論だ。それと、あちらの希望で見合い用に簡単な履歴書が欲しいそうなんだが…」


眉尻を下げ腰を低くする父に、私は大きな溜め息で返した。


「写真は貼らないけど、それでもいい?」

「それは…」


キッ…、と私は強く父を睨んだ。


「……ああ、いや、構わないよ。先方には私から上手く伝えておくから」


及び腰のまま父は席を立ち、私は再び夕食の準備に取り掛かった。

 そうして、その日のうちに簡単な経歴書をしたため、帰り際に父へ渡した。

 それから数日経過した、見合いの日。気乗りしないながらも、私は父と二人で見合い場所であるホテルへ赴いた。

 父はどうか知らないが、私は高級感を漂わせる場所がひどく苦手だった。漂う空気に吐き気を催してしまう。


 「どうした、光希みつき

「大丈夫。なんでもないから」


私は心の無い笑顔を繕った。

 仮面のような微笑を貼り付けたまま、私は見合い会場のレストランに向かった。

 相手の方は先に到着してテーブルに着いていた。

 私が目の前に立って挨拶をするなり、彼は驚いた様子で声を上擦らせた。

 緊張がありありと伝わって、私は思わず吹き出してしまった。

 

 そんな彼の第一印象は、『パッとしない素朴な人』だった。


 緊張しているのか人見知りなのか、彼は強張こわばって自分からは話をしなかった。

 時折私を見ていたので、微笑み返すと、そのたびに顔を赤くして視線を落とした。


『まるで中学生のように初心うぶな人』。それが、第二印象。


 けれどその後、本当に気分が優れなくなった私は、無礼を承知で席を中座した。どうせ親同士の決めた見合いだ。御破算になっても私にはして支障ない。

 レストランを出て早足にロビーを歩いていると、後ろから大きな音が聞こえた。

 見れば恰幅かっぷくの良い中年男性が倒れている。その隣で私の見合い相手である津上つがみ翔介しょうすけさんも。

 彼は倒れた男性を介助したが、酩酊めいていする男性に怒鳴られ、あまつさえ平手打ちを受けた。

 それでも彼は相手の立場や状況を鑑みて、理不尽な行為も笑って許した。

 

『掴みどころのない、変わった人』というのが第三印象。


その時、私は少しだけ彼に興味を持った。

 それから彼と二人きりで話をした。


 彼は素朴で、裏表が無くて、どこか頼りなく抜けていて、だけど優しく穏やかな、底の見えない人だった。


 私は昔から人の言葉の裏を読み、口には出さない真意を理解することにけていた。だから上辺だけの言葉や優しさはすぐに見抜くことが出来た。

 けれど彼は違った。考えが読み取れなかった。思考の底が見つけられない。いや、心と言葉が一致しているのだ。

 疑うことも裏を読むこともなく、純粋に言葉のり取りを楽しんだのは何時いつ以来だろう。


 気付けば私は、彼に惹かれていた。

 

 他愛のない世間話程度でも、言葉を重ねる度に私は彼のことをもっと知りたくなった。

 彼の眼を見る度、心臓が高鳴った。

 彼の声を聴く度、体温の上昇を感じた。


 いつまでもこの時間が続けば……そう思った。

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