第53話 07月10日〜07月12日
お嬢ちゃんも出演したイベント。その終了後、私は彼女に車で送る提案をした。
だがここは隣県。電車の方が早いかもしれない。
すると案の定とでも言うべきか。丁重に断われた。
けれど「どうせ帰る方向は同じだし」というと、少しだけ考え「じゃあ御言葉に甘えて」と遠慮がちに助手席へ乗ってくれた。
こんなことなら、アロマディフューザーでも買っておけば良かった。
※※※
「――そうだ、お嬢ちゃん。ひとつ聞いてもいいかな」
「なんですか?」
イベント会場を出て間もなく。ハンドル握りフロントガラスを見つめたまま問いかける私に、助手席のお嬢ちゃんは首を返した。
「どうして僕を誘ってくれたの? もしかしてチケットは一枚しか無かったんじゃない?」
「あ………そう、ですね」
言葉を探しているのか、姿勢正しく座るお嬢ちゃんは自分の足元を見つめた。
「もともと……あのチケットは私が自分で買ったものなのなんです。この前に映画のチケットを頂いた御礼というか……私がモデルをやってたことは事務長しか知らないし…」
「……そっか」
などと言いつつ、私は話が見えていなかった。
要するに、以前営業の
「それに、事務長には見て貰いたいな、って思って」
「んっ、どゆこと?」
「……ナイショですっ」
悪戯っぽく笑いながら唇に指立てるその姿は、小悪魔のごとき妖艶さを孕んでいた。
本当に可愛いな、この子は。
※※※
その後、私達は今日のイベントの感想や舞台裏の小話などを中心に、好きな映画の話や飼っていたペットの話などで盛り上がった。
少しだけ仕事の話もした。
覚えることは多いし簡単ではないけれど、子供や患者さんが喜んでくれるのが嬉しいと言ってくれた。
特に先日、泣いている赤ちゃんに「いないいない、ばあ」をしたら笑ってくれて、くしゃっとした笑顔がとても可愛かったのだと。
私は、その場に居なかった自分の運命を呪った。
そうこうするうち、徐々に見慣れた街の風景に戻ってきた。
楽しい時間はあっという間に過ぎてしまうもの。
お嬢ちゃんの家の最寄駅まで送ろうと思ったが、「流石に悪いから」と言われて、クリニックに程近い駅で彼女を降ろした。
もう日も暮れてしまったというのに、私の車が見えなくなるまで、お嬢ちゃんはずっと手を振り続けてくれた。
本当に、可愛くて仕方ないな…。
※※※
「おはようございます!」
景気の良い挨拶と共に、
残念ながら社会保険事務所からの電話対応をしていた私は、
「事務長。院長がお呼びです」
「え? あ、うん。分かった」
社会保険事務所からの対応を終えて一息ついていた私に、受話器を持つ
いったい何の用事かと事務所に上がり執務室へ入れば、相変わらず険しい表情の父が私を迎える。
「そこに座れ」
父は私のデスクを指差した。
なんとなく
そうして父は私の正面に構え、前のめりに
「
能面のような声で私に問うた。
「……っ?!」
私は言葉を失った。”彼女”とは一体誰のことだ。
お嬢ちゃんか。
目まぐるしく回転する思考。思い当たるフシが全員にある。
そんな私の考えを見透かすかのように、父の鋭い視線が突き刺す。
冷たく研がれたその目に、私は氷の如く固まってしまった。
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