第51話 07月04日

 散髪に行った。

 これまでは額が隠れるくらい長めに揃えていた。患者様に良い印象を与えられるようにだ。

 それもこれも、あの仏頂面親父の遺伝が原因だ。心なしか年を重ねるたび私の目付きも鋭くなってきた気がする。

 しかし、こうも暑い日が続くと流石に鬱陶うっとうしくなったので、思い切ってサイドは刈り上げ全体的に短くした。


 翌日。出勤時に綾部あやべさんが早速と私の髪型について触れてくれた。

 「似合うかな」と尋ね返すも、答えはなく視線を逸らされた。やはり印象が悪くなったのか。

 もうすぐ午後診が始まるけれど、私は2階の事務所にでも引っ込んでるべきだろうか。そんなことを考えていると、


「ども! こんにちはっ!」


悩む私とは裏腹に、威勢の良い挨拶で一人の男性が入ってきた。

 医薬品卸会社メディセロの営業担当、小澤おざわさんだ。

 明るくダンディなオジサマといった印象で、マラソンや野球などスポーツが好きらしく、健康的に日焼けしている。

 以前に映画のチケットをくれたのも、他ならぬこの人だ。


 「あれ! 翔介しょうすけさん、髪切られましたね! いいですね、爽やかになられて!」

「はは、ありがとうございます。小澤おざわさんも相変わらず男前ですね」

「いえいえ。翔介しょうすけさんほどでは。ところで今、院長先生はお手すきですか?」

「はい。お待ちください」


 私は綾部あやべさんに目配せした。

 しかし、プイッと視線を逸らされ、彼女はそのまま事務所へ電話をかける。いつもなら頷き返してくれる場面なのに、そんなに嫌なのかな、この髪型。


 「すみません~、こんなお忙しい時間に~」

「いえいえ。でも、こんな時間に来られるなんて珍しいですね。なにかありました?」

「それがー、今度新しく近くに整形外科さんが出来るそうで。その打ち合わせに」

「へー、そうなんですか。ちなみにどちらで?」

「向こうの駅の近くです。写真屋さんが入っているビルの」

「ああ、そばに歯科さんのある」

「そうそう!」


小澤おざわさんは大袈裟に喜んでみせた。明らかに世辞と分かるが、決して気分は害されない。これが百戦錬磨の営業力か。


 「ちなみに、その整形の先生は御幾おいくつで?」

「実はこれがまだお若くて。ボクとそんなに変わらないんですよ。確か40前半とか」

「それはお若いですね」

「おまけに、この先生がまた美人で」

「へぇ、整形で女性の先生は珍しいですね」

「そうなんですよ~。でもこちらの事務員さんも、ねぇ。皆さん綺麗な方ばかりですけど」

「ははっ。まあ、ウチの自慢です」

「かぁ~、羨ましいっ!」


小澤おざわさんはまたしても、お笑い芸人のような反応で、自分のオデコをペチンと叩いた。


 「お話し中失礼いたします。小澤おざわ様。院長が2階の事務所へお越し下さるようにと」

「あ、承知しました!」

「ご案内致します」


綾部あやべさんは院を出ると、小澤おざわさんも「それでは」と会釈して二階の事務所へ向かった。

 すると、ほぼ同時。二人に入れ違うよう、お嬢ちゃんが出勤した。


 「おはようございます」

「おはよう」

「あっ、髪短くされたんですね」

「変かな。印象悪くなったかも」

「そんなことないです。素敵です」


そう言って、お嬢ちゃんは少しだけ照れ臭そうに微笑んだ。もう一生この髪型をキープしようかと思った。


 「いま事務長だけですか?」

「うん。事務所に営業さん来てるから」

「そうですか……あの、事務長」

「なに?」

「今度の日曜日って、お暇ですか?」

「日曜? 特に用事は無いけど」


何の気なしに答えると、お嬢ちゃんは制服のポケットから、なにか取り出した。


「あの……良かったらこれ、来てもらえませんか…?」


上目遣いに差し出されたのは、色彩豊かな一枚のチケット。映画のそれではないようだが。

 受け取るや私は首を傾げて「これは?」と尋ねる。


 「実は、私がレッスン受け持っている子ども達が、このイベントにモデルとして出演でるんです」

「レッスン……え? お嬢ちゃんがモデルなんじゃないの?」

「それは昔の話で、今は同じ事務所の子供達にモデルのレッスンをしてるんです。週に2~3回くらいの、ボランティアみたいなものなんですけど」

「へー、すごいね。先生なんだ」

「そんな……わたしなんて全然です」


お嬢ちゃんは顔を真っ赤にして俯き、綺麗な両手を小さく振った。

縮こまったその姿が、可愛らしくて仕方がない。


 「ところで、チケットって他にもあるの? せっかくだし綾部あやべさんや薬局長キングも誘おうかと思うんだけど」

「あ……すみません。そのチケット、数に限りがあって…」

「ああ、そうなんだ」

「ダメ……ですか?」


お嬢ちゃんは、おずおずと、今にも泣き出しそうな声で返した。

 庇護欲というのだろうか。愛らしさが一層と増した彼女に、顔が熱くなった私は目線を逸らした。


「ダ、ダメじゃないけど、僕が行ってもいいのかなって。誘うなら薬局長キングとかの方が…」

「いえ。事務長に来てもらいたいんです」


凛とした声に、私は思わず顔を上げた。

 するとそこには、真っ直ぐに私を見つめるお嬢ちゃんが。

 引っ込み思案で奥ゆかしい普段の彼女とは、まるで別人。

 疑念を抱きつつ、私は言葉を飲み込むより他に無かった。


「今度の日曜日、必ず行くよ」


そう答えると、お嬢ちゃんは、あどけない、向日葵ひまわりのような笑顔を返してくれた。

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