第09話 03月10日~03月14日

 「――では、その30歳の方を採用されたのですか?」

「うん…」


面接の翌日、3月10日の昼すぎ。

 郵便局へ出かけようとする私に、事務所で休憩していた綾部あやべさんが驚いた様子で尋ね返した。


「良いのですか?」

「仕方ないよ。父さん……院長もそう言うよ」

「……そうですか。事務長がそう仰るのであれば、私はもう何も言いません」


どこかねたような仕草で、綾部あやべさんは紅茶を啜った。


「なんだよ、それ。思うコトがあるなら言ってよ」

「いえ。ただの従業員でしかない私が、経営にまで口出しすべきではありませんので」

綾部あやべさんはただの従業員さんじゃないよ。僕の大切な相談役………パートナーだよ」

「セクハラです」

「いまのでも!?」


私のツッコミが鬱陶うっとうしかったのか、マグカップをテーブルに置くと、綾部あやべさんはあからさまな溜め息を吐いた。


「とにかく、採用を伝えたのなら前に進むしかありません。後戻りは出来ないのですから、長く勤務して頂けるよう尽力しましょう」

「そうだね」

「ところで、その手にお持ちの封筒は?」

「ああ、お預かりした履歴書だよ。返送しようと思って」

「では、私が帰りに郵送しておきます。最寄りの駅前にポストがありますから」

「本当に? ありがとう、助かるよ」

「いえ。事務長が郵便局へ行くのにかこつけてサボるのを防止しているだけです」

「サボらないよ!?」


内心ギクリとしながら、私は綾部あやべさんに封筒の束を渡した。もちろん、御応募頂いた全員分だ。

 浮ついた自分の気持ちに、区切りを付ける意味でも。



 ※※※



 そうして、翌月曜日を迎えた。

 あれから応募は2件ほど頂いたが、どちらもメールの時点で条件が合わず面接にさえ至らなかった。

 そのまま求人掲載は終了した。掲載延長は依頼していない。当然だろう。今日の昼には、先日面接した30歳既婚女性が入職されるのだから。

 だが朝礼では「本日の休診時間に新人さんが来られる」ことを伝えなかった。

 なんとなく、そうすべきだと思った。

 唯一事情を知っている綾部あやべさんも何も言わなかった。

 本日も無事に御前診察も終え、休憩も済まし、間もなく約束の14時になろうかという頃。

 突然に院内の電話が鳴り響いて、


『すみません、やっぱり採用を辞退します』


そう、告げられた。

 血の引いていく音が、耳の奥で聞こえた。

 お約束していた時間の、ほんの10分前だった。

 混乱する頭で理由をお伺いすると、他にも受けていた面接で採用が決まり、そちらを優先したようだ。

 その後は何を話したか、よく覚えていない。いつの間にか受話器を置いていた。

 鈴鹿すずかさんの退職予定日まであと3週間もない。今から求人情報を掲載しても、最速で翌月曜日の21日だ。

 仮に1週間で採用できたとしても、業務開始は鈴鹿すずかさんが辞めた後になるだろう。

 業務自体は私がフォローに周り綾部あやべさんにも手伝って貰えばなんとか回せるだろうが、それでは教育にかける時間が無い。

 なによりも鈴鹿すずかさんに「自分の後継がいない」と心配させたまま退職してほしくない。

 即日広告が出せるネット求人は反響が乏しい。出すならやはり有名な媒体を利用したい。だが、それでは時間的に…。

 絶望が見えない圧力となって覆い被さる。

 私は、力なく項垂れることしか出来ないでいた。

 頭を「次の募集をかけること」と「を採用しなかったことへの後悔」で埋め尽くしながら…。

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