第06話 03月08日【2】

 2階の事務所へ向かっている途中、たかぶる心臓の音を煩わしく思うと一方で、私の心には不安が満ちていった。

 こんな芸能人みたく美人で若い子が、ウチみたいな小さな診療所で働いてくれるわけがないからだ。

 私はチラと後ろを振り返った。

 気品がある。歩き方や立ち居振る舞いひとつとっても「普通」ではない。

 何よりその装い。

 多くの方が普段着で面接にお越しになられる中、スーツで来て下さる方はそれだけで印象が良い。

 実際、綾部あやべさんや鈴鹿すずかさんを始め、スーツでお越しくださった方は真面目で優秀な人ばかりだ。

 しかし、テレビアナウンサーが着ているような、上等の身なりで来られたのは彼女が初めてだ。


「ど、どうぞ、こちらへ」

「は、はい。失礼しましゅ…」


あ、今嚙んだ。

 改めて聞くと、声も可愛らしい。声優さんが喋っているかのようだ。少し、か細くて弱々しいが。

 白いマスクから覗く頬を赤らめたまま、彼女は椅子に腰を下ろした。


「それでは、こちらの質問用紙にご記入ください。本日、履歴書はお持ちいただいてますか?」

「は、はいっ」


いそいそと、彼女は鞄からA 4サイズの封筒を取り出した。片隅には『履歴書在中』と書かれている。


「お預かり致します。拝見して参りますので、こちらの用紙にご記入になってお待ちください」

「はい」


彼女は用紙にペンを走らせた。

 いそいそと紙コップに冷たい緑茶を注いで差し出して、私は逃げるように奥の部屋へ引っ込んだ。


「ふぅ…」


ドキドキが、心臓の鼓動が止まらない。面接でこれほど緊張したのは綾部あやべさん以来だ。


「とりあえず、履歴書を確認するか…」


私は封筒を開け、ゆっくりと中身を引き出した。


「うわ綺麗っ…」


私は思わず心音を漏らした。マスクを着けていない素顔の彼女が、履歴書の小さな写真に収められていたからだ。

 こういった証明写真は実物より見劣りすることが多い。けれど彼女は違った。素顔の半分を隠している白いマスクを、恨めしく思うほどに。

 高鳴り、早まる心音。

 震える指先。

 荒ぶる呼吸を必死に治めて、私は履歴書の文字を追った。


小篠こしのさんね…」


 中学校から有名な私立の進学校に通い、大学までずっと女子高育ち。それも金持ちや美人が多いと有名な女子大だ。本当に「良い所のお嬢様」なのか。

 大学を卒業後は、就職せず耳鼻咽喉科で看護助手のアルバイトをしていたようだ。このクリニックは私も知っている。

 大学時代にもいくつかバイトはしているようだが、どれも数か月で辞めている。短期バイトというわけではなさそうだが。

 当院もすぐに辞めてしまうのだろうか。

 それに、就職が決まれば途端に辞めてしまうかもしれない。あれだけの器量だ。今はコロナ禍で就職が難しかっただけかもしれない。


程度に考えられても困るしな…」


その辺りはハッキリ聞いておくべきだ。けれど大丈夫だろうか。緊張して聞けるか不安だ……私が面接する立場だというのに。


「あ、もうすぐ誕生日なのか」


生年月日の欄に【3月18日】と記載されている。なるほど、だから今はまだ22歳だけど大卒なのはそういう理由か。


 履歴書に一通り目を通すと、ちょうど良い時間になった。彼女も質問用紙に記入を終えている頃か。


――コン、コンッ、コンッ!


一応とノックを入れてから、私は事務所へ繋がるドアを開いた。


「お待たせいたしました」

「あ…」


ペコリ、と。お辞儀を返してくれた。

 私は履歴書を片手に、彼女と向かい合うよう腰を下ろした。


「それでは面接を始めさせて頂きます。改めまして、私は当院で事務長をしております津上つがみと申します。本日は面接を担当させて頂きます。宜しくお願い致します」

「あ、こ……小篠こしのです。よ、よろしくお願いします」


深々と、彼女はお辞儀を返してくれた。緊張しているのが伝わってくる。


「どうぞ、肩の力を抜いてリラックスしてください。ご記入いただいた質問用紙をお預かりしますね」

「あ、はい。あ、ありがとうございます。お願いします…」

「拝見します」


私は記入いただいた用紙に目線を落とした。

 とても綺麗な字体だった。

 まるで、自身の清らかさを表しているかのように。

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