病んでも病められない
志村麦穂
『ストーカー 問題編』 尾居掛キタロー
「キタロー先輩、これってストーカーの仕業に違いありませんよ!」
部室に入るなり、あっと声をあげた我が部唯一の後輩、的井ルナ。ないないと騒いで机上を指さす。
「ほらぁ、私のリップのうなっとるもん! 絶対、もう絶対盗まれたって! ありえへんっ」
「もんって……どうせ、机の下とかに落ちてるんじゃないの?」
キンキンと耳にくる声を遠ざけようと、しゃがんでリップを探すフリをする。適当に手を動かして、やってますよアピールを醸し出す。
「あっ、今覗いたでしょ! タロ先輩えっちなんいけないと思うなぁ。いけんなぁ、いけんなぁ……ストーカーさんとどっちがいけないのかなぁ」
わざとらしくスカートの裾をひらひらさせて、どちらかといえば中身を見せびらかしてくる後輩。長さの不揃いなソックスから覗く白い太腿。肌にはやたら丸っこい文字で落書きが。マジックで『すけべ、みせパンでした♡』とサイン付きで書かれている。これがグラフィティってやつか?
「わかった。もう探すのやめるわ」
「タロくんは、私がストーカーに襲われちゃってもええのん? 今頃私のリップがひどい目にあってるかもしんないのに。きっと食べられちゃってるよ。フライパンで溶かして白身魚とムニエルだよ?」
「リップにバターみたいな使い道はないし、先輩はちゃんと付けろ」
ぼくは目の前の女に溜息を浴びせてやった。第一、ストーカーが怖いなどとどの口が言うのだろうか。
刺繍糸をバツ印に縫い付けた首元、ボディステッチだったか。体を切ったり、穴をあけたりするのが好きな女なのだ。手首の赤い線はリスカの痕。割れた舌先が覗く赤い唇。数えることもめんどくさいピアスの数。体の付属品のせいで制服が浮いている。いくら校則が緩いといっても絶対にアウトだと思われる、痛々しさを通り越した痛ましい改造女子体。
本来ならぼくひとりの聖域であった部室が、こんなに病んだ女子の侵略を受けることになるなんて……。
「このままじゃ、怖くておウチに帰れませんよぉ。先輩のお部屋に押し掛けるしかありませんねぇ。朝までタロくんに守ってもらわんと。やぁん、こわい、こわいねぇ」
「冗談じゃないぞ」
本当に冗談ではない。こいつならやりかねない。理性がぶっ飛ばないといいが。
なにしろこの的井ルナという女は正真正銘ぼくのストーカーなのだ。住所の特定はもちろん、ハンドルネームを使ったSNS、ソシャゲのアカウントまで知られているし、時々私物が消える。
仕方ない。リップの消え方を考える必要がありそうだ。
わずかでも口実を作らせてはいけない。つけこまれる隙はみせない。
「そもそも、リップを部室の机に置いていたのは確かなのか」
「もちろん。昨日部室で撮った写真に写っとりますよ。ほら」
見せられたのは的井のSNSの投稿。食べかけのコンビニデザートと一緒に写っている。ピンクの円筒形で女子女子しい外見のリップ。被写体であるデザートの右側に、裁縫箱やらバッテリーやらリップも含めた小物が固めて置かれている。これは的井のクセで、利き手側に物をまとめておく。雑然としていて、並べているという感じではない。一応写真のフォルダで日時を確認すると、昨日の17時30分に撮影されたものだった。
こんな日常を切り取っただけの一枚に数百も反応があるのをみると、それなりに人気配信者だというところか。本人はネットアイドルだといっているが、その線引きはどうでもいい。気に障る所があるとすれば、一々ぼくの分も用意して、わざと見切れるように写しているところか。
「おい、匂わせするなって言ってるだろ。お前が炎上しようがどうだっていいが、ぼくを巻き込むな」
「いえいえ、これファンサですから。知らないんですか? 私、ネトラレ系アイドルで売ってるんで。彼氏いるのは当たり前なんで。みんな喜んでくれるんですよ~? ぼくらのルナたんが~、でも抜けるって。きも~い、キャハハッ!」
同じ世界の人間なのか疑いたくなる発言だ。
「ちなみに、朴訥だった黒髪眼鏡の田舎っ子が、都会で悪いバンドマンに引っかかって体ごと男の好みに染められたって設定です」
「ぼくの知っているバンドはアジカンだけだから、そのバンドマン像は間違いだな」
第一まだ高校生のくせして、その売り出し方は倫理的にはどうなんだ。前々から知ってはいたが、イカれたヤツだ。頭痛を抑えて聞き流すとして、状況の整理を試みる。
「リップを部室に忘れて帰ったのはわかった。最後に鍵を閉めたのは的井だったな。さっき鍵を開けたときはどうだった? きちんと閉まっていたのか」
「はぁい、戸締りはしっかりと。開けたときもちゃんと閉まってましたよ? 貸出記録もみましたけど、私の名前ばっかり。たまには先輩が鍵返してくれてもいいんですケド」
「職員室に入りたくないんだよ。わかるだろ。逆に、お前はなんでその見てくれで職員室に入れるんだ」
「ヒケツは愛嬌です」
「あっそ」
部室である特別棟三階の空き教室は、使われてこそいないが講義室のひとつである関係上、逐一職員室を抜けて管理室から鍵を借りなくてはいけない。貸出名簿に記名しなければならず、鍵を使っての侵入は難しいだろう。管理室には警備員のじいさんがおり、きっちり管理されている。スペアキーの可能性も低い。腐っても学校施設だ。
扉は引き戸で廊下側に前後ふたつ。鍵の表面に円形の凹みがあるディンプルシリンダー錠タイプで、素人がピッキングできるとは思えない。扉の上下にも隙間はない。
的井曰く、戸締りはできていた。特別棟にベランダはないから、窓側からの侵入も考えにくい。単純なクレセント錠だが、ロックがかかっている。廊下側のサッシを確認してみたが、埃のつもり具合からして最近あけられた形跡はない。
「つまり、昨日ぼくらが帰ってから、今しがた開けるまで部室は完全な密室だったわけだ」
「誰も入れない部室から、私のリップだけ消えちゃったんですねっ! みすてりぃだぁ」
的井はやけにテンションが高い。自分の物が盗まれたくせに、嬉しそうなところが腹立つ。先ほどまでストーカーだとか騒いでいたのはどこの誰だ。
「考え方としてはふたつだな。時間と方法だ。盗まれた時間が違うか、窃盗のための未知の侵入方法があるか。あるいは中に入らず、リップだけを外に持ち出す方法があるか。はたまた、記録を残さず鍵を使える人物がいるか。昨日帰るまでと、部室に入ったときでなにか気付いたことはないか?」
「昨日はちょーレアな先輩からのお電話がありましたぁ。ひとりで先に帰ったかと思えば、机の上に課題忘れたから持ってこいやなんて。私タロくんの彼女じゃないんで。顎で使われるのは悪い気持ちじゃないですけど……けど! ご褒美が足りひんのやないかなぁって」
ストーカーのくせに図々しい女だ。聖域を侵したばかりでなく、対価まで要求するとは。
「特に異常はなかったってことだな」
的井のねっとりした意見は聞き流して、考えを整理する。
写真が撮られたのは17時30分。ぼくが電話をかけたのが17時50分。
施錠は確かにできていた。窓からの侵入痕跡はない。写真が撮られた時間まで、リップは確かに机の上にあった。気付ける範囲で部室に異常はなかった。リップはスティックタイプで、倒せば転がすこともできる。
学内ということを考えて、侵入者は学生、教員、用務員の三種類に限られる。学校の周囲には防犯カメラがあり、不審者の侵入には厳しい。鍵を持ち出す際には、教員や用務員も記録しなければならない。
リップだけが消えた。この状況に説明を付けるとするなら、結論はこれしかない。
「わかったぞ。リップの消えた理由が」
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