異能脳髄摘出始末 8

「それで、今すぐ移動するのか?」


 巧と撫子(なでしこ)。二人の間の契約は成ったと見て、龍助が尋ねた。

 

 日向(ひなた)も同じように判断したらしく、巧に対して注意を喚起(かんき)する。


「行く前に櫛谷(くしたに)さんに書類を書いてもらわないと。外から正規の手続きを踏まないで来てしまったわけですし」

 

 しかし、巧は首を横に振って、意外なことを口にした。


「まだ出発はしませんよ。細かいことを詰めて置かないと契約書が作れない。主に護衛に関して」


 日向は不審ふしんそうに首を傾(かし)げる。


「別に詰めるほどのことも無いでしょう? 特区との交渉もなしに、国立機関の連中がずかずか入り込んでくる訳じゃなし。そんな馬鹿はいません。下手をすれば抗争になります」


 日向の言葉に、巧は意味深に笑った。


「日向さんはこう言っていますけど……、櫛谷さんはどう思われますか?」


 撫子はぴくりと身を震わせた。その顔に現れているのは、まごうこと無き恐怖。


 その様子に、日向は心底嫌そうな顔をして問うた。


「心当たりがあるんですね? そんなお馬鹿さんに」



●●●



「情報を集めてまいりました」


 入室して来た秘書は言った。


 だが、それらの情報を報告する前に、秘書は気がかりな様子で尋ねる。


「ところで所長、櫛谷追跡の指令は――」


 秘書が言いかけた言葉に、所長は首を横に振る。


「それは時期尚早じきしょうそうだ。特区に正面からの殴り込みなんてできる筈(はず)がない。……仮に奪還だっかんに動くとしても、可能な限り慎重に行くべきだ。場合によっては櫛谷は諦める」

「……では、所長が追跡の指令を出したわけではないのですね?」

「どういうことだい?」


 秘書の言葉に、所長は問うた。酷く恐ろしい予感が襲う。


「見当たらないんです。克尾かつおと、それから……白羽しらはねの姿が。部屋も確認しました。寝ている訳ではないようです。積み荷が特区に奪われたという報告があって以降、誰も姿を見ていません」

「……偶然報告を聞いていた可能性が?」

「最初に報告した職員は極度きょくどに動揺していたようです。通路で見つけた上司に、その場で報告を大声で言いかけた、と」


 所長は顔を青くしたまま、しばらくは言葉を発せられないでいた。


 その顔に現れた苦悩は、「撫子を特区に奪われた」と聞いた時より遥(はる)かに深い。


「数十年前の大規模抗争以来の、国家と特区の緊張状態。特区に無断侵入する国立機関の戦闘員。……ひょっとしたら、私は歴史に名を残してしまうかもな」



●●●



「――で、その馬鹿がこちらになります、と」


 深夜の道。


 先ほど手入れした棒で、相手の刃をはじいた直後、巧は幾分か面白そうに呟(つぶや)く。


「正確にはこの人の上司です。あの人は確か克尾かつおという名前です」


 巧の背後で撫子が言う。


 冷静を装っているが、内心では極度に緊張しているのが、巧には手にとるように分かった。


「悪いが不意(ふい)打(う)ちしても無駄だ。そういうのには鼻が利く」


 巧は撫子をかばいつつ、彼等に襲い掛かって来た克尾を見やる。


 特区外の人間らしい、特徴のない身体に顔。


 唯一目を引くのは、背から伸びる、さそりのような巨大な尾。


 最前(さいぜん)巧が防いだ一撃は、尾の先端の凶器――太く長い針によるものだ。


「それからこれも一応言っとくが、特区では許可を受けていない限り、毒薬を生成、注入する武装(ぶそう)器官(きかん)の所持は違法だ。その毒針、使用許可書は持ってるか?」

「……もう彼女の身柄(みがら)を確保したのか。特区らしい目ざとさだ」


 巧のからかいには応じず、克尾はそう低くつぶやく。


「別に致死性の毒じゃない。だがしばらくは動けなくなる。その女をこっちに寄こせ。路上で寝たくなければな」


 視線を向けられ、撫子の鼓動が高まる。緊張と恐怖の感情が、汗の臭いに感じられた。


 そんな撫子に聞かせるように、巧はきっぱりと言った。


「悪いな。こっちも仕事なんだ」

「そうか。では……こちらもそれ相応の対処を」


 そう言って、克尾は足を大きく踏み込む。


 同時に赤い尾を伸ばし、針を素早く突き込んできた。


 巧は先程と同様、その刺突しとつを棒で難なく防ぐ。


 けれど克尾は攻撃の手を緩(ゆる)めない。続けて一突き、二突き、三突き……。


 巧の腰に、腹に、或(ある)いは腕に、長大な針が矢のような速さで襲い掛かる。


 街灯を反射して冷たく光る凶刃(きょうじん)。


 それは頑強(がんきょう)な戦闘用の身体であろうと、まともに当たれば骨肉こつにくつらぬくほどの威力を備えていた。


 だが巧は平然とした顔を崩さず、それらの刺突のことごとくをさばく。


 様々な方向から、容赦(ようしゃ)なく襲い掛かる針を、巧は棒で受け止め、はじらし、押し戻す。


 棒を動かす度毎たびごとに、周囲には耳障みみざわりな金属音が鳴り響き、火花が飛び散る。


 けれども巧の肌がそこなわれることはなく、その体から、血は一滴も流れない。


「済まない。注射は苦手なんだ」

「良い大人だろう? 子供じみたことを言わないでくれ」


 あだなる猛攻(もうこう)を続けることしばし、酷使こくしされた尾が限界に達し、一瞬動きを止める。


 その時、それを予期していたかのように、巧が足を踏み出し、克尾の顔面目掛けて棒を突きこむ。


 克尾は殆(ほとん)ど反射的に首を傾け、その一撃から何とか逃れる。


 鋭い突き込みが、こめかみの皮膚を僅(わず)かに破った。


 直後、克尾は再び尾を動かし、先端の針を渾身こんしんの力で打ち込む。


 巧は即座に棒を引き戻す。


 針の先に巧の武器がかざされ、再び無慈悲な毒針を防御しようとする。


 だが――、


「使い過ぎだ。もろくなっているぞ?」


 針がぶつけられた瞬間、巧の棒が無残に砕け折れた。


 さらされる無防備な胴。


 逃げる隙を与えず、克尾はとどめの一撃を放った。


「悪いがそこで寝ていてくれ。今の季節なら風邪もひかない」

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