第一章 異能脳髄摘出始末 1(全25回)

 ノックに答えると、「失礼します。所長」という言葉とともに、最近異動してきた秘書が入室してきた。


 いつも通りの生真面目きまじめな顔つき。


 その表情を崩すことなく、秘書は真剣な声音こわねで言った。


「いい知らせと悪い知らせがあります。どちらからお聞きになりますか?」

「……ひょっとして気にしてる? この前『ユーモアのセンスに欠ける』って言ったこと」


 所長の問いかけに、秘書は首を横に振った。


「いいえ。気に掛けてはおりません。……それほどまでは」


 所長はあきれたようにため息を一つく。


「悪かったよ。では、良い方のニュースから頼めるかい?」

「承知しました」


 秘書は表情を崩すことなくそう答え、報告を淡々と口にした。


「指示された偽装工作はうまく行ったようです。積み荷の正体には誰も気づいていません」


 その言葉に、所長は自賛じさんの笑みを浮かべた。


「そうか。これでひとまずは安心だ。肉屋のトラックに偽装するのもただじゃないし、成功して良かった。……じゃあ、積み荷は予定通りあの高慢こうまん外道外科医げどうげかいに?」


 だが所長の問いかけに、秘書はやはり淡々とした様子で答えた。


「いえ――」


 何となく嫌な予感がした。


「こちらは悪い知らせなのですが……トラックが強盗に盗まれました。恐らくは食肉が目当だと思われます」

「……ごみ収集車の方が良かったかな?」

霊柩車れいきゅうしゃなどはいかがでしょう?」


 真剣な口調の秘書の言葉に、所長は真顔で答えた。


「……検討にあたいする」



●●●



 椀田わんだ龍助りゅうすけが車道に立って制止するにもかかわらず、トラックはスピードを上げた。


 深夜のオフィス街の静寂せいじゃくを、車輪のけたたましい音が破る。


 それを見ながら、井原いばらたくみは「悪手あくしゅだな」と思う。


 長い金属製の棒を持ってたたずむ巧。


 その表情は面白い見世物を見ているようで、友人の龍助の身を案じているようには見えない。


「高くつくぞ?」


 龍助が不敵に笑いながら言うのが聞こえた。


 突進する車両の強烈なライトを浴びながら、龍助はひるむことなくこぶしを構える。


 その左腕は右腕よりも一回り大きく、うろこが全面を覆っている。


 指先には長く伸びた鋭利な爪。


 その鱗と爪が、ライトを反射してきらりと光った。


 武装ぶそう器官きかん五爪龍ごそうりゅう」。


 筋力を強化した腕を、高硬度こうこうどの鱗で覆った代物しろもの


 その凶腕きょうわんが、渾身こんしんの力で振るわれようとしていた。


 直後、疾走する車両に、龍助のこぶしが真っ向から叩きつけられた。


 衝撃に車体が大きく揺れ、前面が大きくへこむ。


 窓ガラスが割れ、細かい破片がばら撒かれる。


 龍助の体も後方に押し出されるが、それもわずかのこと。今や龍助はしっかりと地を踏まえ、トラックを完全に押し止めていた。


 だが、運転手の判断は速かった。


 龍助の腕に止められたと見るや、即座にドアを開け、車両を捨てて逃げ出す。


「思い切りだけは良い」と、巧は素直に感心する。


 運転手は顔を含む左半身が、つやのある黒い体毛に覆われていた。左手には太い指が三本のみ。


三毒指さんどくし」。武装器官ではない。アウトローを気取る若者に人気のファッション。


 その三本の指は、大ぶりの曲刀を掴んでいる。飛び出すときに咄嗟とっさに手に取ったらしい。巧は益々ますます感心する。


「おい井原、サボってないでそいつを捕まえろ」


 龍助が叫んだ。


 戦闘用にカスタマイズされた龍助の身体なら、逃亡する運転手を追いかけて捕まえるなど造作ぞうさもないことだろう。


 だが二人で夜警をしているのに、自分一人働くのは納得がいかないようだ。


 巧は特に文句も言わず、懸命に逃げようとする運転手の前に立ちふさがる。


 龍助の存在に気を取られて、運転手は巧の存在に気づいていなかったらしい。


 棒を持った巧を見て、運転手はあからさまな狼狽ろうばいの色を浮かべる。


 とはいえ、咄嗟に曲刀を振るうことができたのは賞賛すべきだろう。たとえその一撃が、容易たやすく巧に避けられてしまうものだったとしても。


 棒で受け止めるまでもなく、巧はわずかに体をずらして、その一撃を回避する。


 曲刀は虚しくくうを切り、運転手は無防備な体を巧の前にさらす。


 すかさず両手で持った棒をさっと払い、運転手の不安定な足をすくう。


 反応できず、棒をまともに食らう運転手。


 言葉にならぬ声を漏らしながら、あっけなく路上に倒れることとなった。


 地に倒れる体を観察する限り、特に危険な器官を持っている訳ではなさそうだ。


 恐らくはアスリート用の身体。通常の身体より運動能力に優れ、戦闘用の身体ほどには高くない。


 立ち上がろうと藻掻もがく運転手の鼻先に棒を突き付けながら、巧はいささか落胆してつぶやく。


「小悪党、だな。あまり金にはならなさそうだ」


 もっともその呟きは小さく、悪態をく運転手には聞こえていなかっただろうが。

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