掌編 DESIRE
月の出ない夜に歩く人
1
クリスマスの繁華街を一人で歩いていたのは、24日が25日に変わったばかりの午前0時過ぎだった。通りに面した店はどこも、二日間ある一大イベントの一日目の終わりの余韻に浸っていた。
顔に微笑を貼り付けたどこかの店の従業員たちの表情は見る角度によって様々に変わった。営業終了まで、どこまでも売り上げを伸ばそうという貪欲さを垣間見たかと思えば、次の瞬間は惰性で続く忙しなさに身を委ねているだけのように思えてくる。
怠惰というのは持続的なものだけではないことを僕は知っている。それに惰性的な緊張は悪だということも。
軒先の彼らが都度表情を変えるように、僕たちはどこかで帳尻を合わせなくちゃならない。
人間はそういう風に出来ているのだ。
僕はといえば、仕事を夜八時頃に終えて、何をするでもなく、かといってこのまま帰って一人で過ごすのもしゃくだったために、夕飯を食べた後で繁華街を飲み歩いている。
綺麗に舗装された人工的な街並みはゴミ一つ無かった。そのかわりに、この地区の自治体によって配備された清掃ドローンが至る所で自らに課せられた労役に従事している。
学生の頃よりも居心地の良くなった街並みは、けれども以前と変わることはなく、鬱屈した人間の精神を核になり立っているのだった。
通りを歩けばネオンを灯した看板がいくつもあった。この手の看板はある種のいかがわしさを主張する色彩をしている。
どの建物の前にも警備兼ボディーガード兼案内役を任された大柄の人型――アンドロイド――が位置情報の電波を飛ばしながら立っていた。
客引きという概念は数年前に完全になくなってしまった。いまでは、たとえそれが飲食店であっても、風俗店であっても、アプリケーションを通して集客を完結させている。通りを歩いて声をかけられることはなくなったかわりに、通りを歩いているだけで通知が飛んでくるようになった。
人工臓器――インプラント――を入れている人間であれば、それらの通知は視界の邪魔にならないところにポップされ、店舗から一定以上離れると自動的に削除される。
興味のある店舗の通知を開けると五秒程度のプロモーションが流れ、瞬時に視界の中に誘導用の矢印が表示される。店までの案内とその店のいいところを紹介する場合もある。
期限付きのクーポンがダウンロードされることもあった。クーポンは登録してある決済用のIDに勝手に紐付けられ、決済時に有効であれば自動的に利用されるから、僕たちは使用時に持っているクーポンを使い忘れることがなくなった。もちろんその恩恵を得るためには店舗から送られて来る通知を開いて広告を見る必要があるのだけど。
自らすすんでクリスマスの繁華街を歩いていたのだから当たり前なのだが僕の視界にはひっきりなしに通知が来ていた。
通知は案内役のドローンやアンドロイドが近くを通りがかった客の中から集客を見込めそうな客層に対して自動で送られてくる。通知が来た店舗というのは、つまり僕が興味を持ちそうな店や商品の広告ということだった。
増え続ける通知欄を横目に、有害な広告を打つIDを一つずつブロックした。そうすることで街を歩くたびに生じる不快感を軽減することが出来た。これで店側が案内役のドローンやアンドロイドを変更しない限り、同じ店舗の広告が通知欄に並ぶことはなくなる。
一昔前までは機体のIDをブロックすることにそれほどの意味はなかった。店舗が機体を新しくしたり、IDを再発行することが出来たために、一度ブロックした店の広告が次のときには全く同じ店の広告が新しいIDから送られてくるのだった。
次々と新しい機体が購入される時流は、ドローンバブルと言われる経済的な発展をもたらした一方、機体の大量廃棄という社会問題を生じさせた。一昨年改定された産業ドローン廃棄法はそうした商用ドローンの過剰な廃棄を抑制するための条文が組み込まれた。条文には、主な目的なドローンやアンドロイドの不法投棄を厳しく制限すること、と書かれているのだが、実質的には問題視されているアンドロイドの不法利用を取り締まるためだった。改定にともない、アンドロイドの所有者はすべて所有する機体のIDと呼称を自治体に登録しなければいけなくなった。
この改定で広告のための機体を次々に変えるという手法は店舗側からすればリスクが大きくなった。そのおかげで通知欄を気にする労力がかなり減った。
25日を迎えたとき僕はまだ街を歩いていた。飲んだアルコールは体内に入れた浄化槽のおかげで一時間ほどで分解が完了する。この時はちょうど酔いが覚めてきたときで、帰ろうか、それともどこか空いている店に入ろうかと迷いはじめていた。
繁華街の中でも飲食店の建ち並ぶエリアを歩いているとき――中にはいくつか飲食を目的としない店もあったが――道の真ん中に何かが落ちているのを見つけた。清掃ドローンは道の左右の端を忙しなく掃除していている最中だった。
珍しいものを見つけたことで興味が湧いたのかもしれない――僕は普段はしない行動を取った。道に落ちていた何かよく分からない代物を拾い上げて、中に何が入っているかを確認しようとしたのだ。道行く誰も僕の行動を気にしなかった。遺失物の処理はドローンに任せた方がよほど迅速で、こうして拾い上げることによって、持ち主を割り出すのに必要な処理がひとつ増えることになる――とはいえ、ドローンに内蔵された演算装置による処理がコンマ一秒も増えるというわけではなかったが。普段なら躊躇する行動をこのときだけは何の躊躇もなく行った。結果的に僕は、翌朝になってその短絡的な行動を後悔した。
落ちていた何かは女物の小さな肩掛け鞄だった。中身はほとんど空で、口腔内に貼り付けて使う簡易インプラントの箱だけが入っていた。何か入っていたなら中身はそれほど目立たなかっただろう――そのほうがよかった。銘柄は『Desire』インプラント向け麻薬として名の知れた銘柄だった。拾ったものをそのまま落ちていた場所に戻せばよかった。そうすれば警察から事情聴取をされることはあったにせよ、これほどのことにはならなかった。
けれども僕はそうしなかった。少なくともそのときの僕には、自分の指紋が付いた不法な代物をその場において帰ることのほうが憚られた。僕はその日、その遺失物を持ったまま自宅に帰ってしまった。そして翌日、目を覚ました後で後悔にかられている。
朝起きてすぐ、その日のうちに最寄りの警察署へ行こうと思った。警察に届けるべきだ、というのが冷静になった後に出した答えだった。幸いにして、その日は土曜日で、終日何の予定もなかった。
朝起きて顔を洗い、歯を磨いて、外出の用意をした。朝の習慣で、それまでに届いたメッセージに一つ一つ目を通していった。大抵は登録しているサービスや以前利用した店舗や会員制サービスからのダイレクトメールだった。
メッセージボックスに並ぶそれらをほとんど気にすることなく、目を通し、重要なもの以外はすべて削除する――普段ならそれだけだった。
けれど今日に限っては、いつも通りではなかった。メッセージボックスには見慣れないIDからのメッセージが届いていた。
件名は「持ち主様」となっていた。思い当たる節が何もなければ、いくつかの疑念を抱きつつ削除しただろう。いたずらやスパムメールの類いだと断じて、それでおしまいだった。僕の頭には昨晩の記憶がありありと残っていたから、そのメッセージを開かないわけにはいかなかった。
『親切な貴方
あの日お店で取り違えてしまった荷物について、まずは謝罪を。けれど、あれだけよく似た鞄を持っていたのですから、家に帰るまで気が付かなかったのはきっとお互いなのではないでしょうか。いま貴方の荷物は私の手元にあります。私の荷物が貴方の手元にあるのかと存じます。(もしもあなたがまだ私の荷物を持っていたらですが、きっと持っていてくれると信じています)今日もまた同じ店で会えるかしら? 取り違えた荷物を持っていきますから、貴方が持ち帰ってしまった私の鞄を持ってきていただけると助かります。
追伸 中身を見たのだとしたら、きっと驚かれたのでしょうね。見ていないのなら、中を確認しないことをおすすめします
親愛なる友人 ×××より』
メッセージは音声だった。
(2へ続く)
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