庭の藤棚
だからと言って、ここを出る気にはなれなかった。
我慢をすれば良い話。
もしかしたら、春成の言うお化けの仕業かもしれないし……。
でも、と思う。
あの勢い良く斬り捨てることの出来る春成がそのようなお化けにいとも簡単に取り憑かれるだろうかと。
朝になり、ご飯を作り、掃除のついでに何をしようと思っていると藤の花が咲くのか、立派そうな藤棚を庭の奥深くに見つけた。
今までここには何回か来ているのに見つけられなかった。
あれは元からあった物よね? そんな事を考えていると後ろから。
「今は冬になろうとしているから、立派に咲くにはまだ時間がある。どうだ? ここの生活には慣れたか?」
と春成が現れた。
いつもと変わらぬ元気さ。
「はい……」
頭を撫でるような事はして来ない。
言えば良いのだろうか、正直に。
あの夜中にやった事を覚えていますか? と、どうしてあんな事をしたのですか? と差し障りはないだろう。
だが、この
きっとそうしたら、自分から言って来るはずなのに何故――。
言わなければ上手く行くのだろうか。
だとすれば、私もそうしよう。
ここを出て、また元の家に戻るのは嫌だ。
あの家は少し変わっているし、また心配されてしまう。
それは心底嫌な事だった。
何か違う事を考えたいと思った時、不意に春成が言った。
「俺は
「え? 藤川さん? では、藤川春成さんなのですね」
「ああ、いろいろ混ざっているから、うちは……」
最後の方は消え入りそうなほど鮮明ではなかった。どうしてだろう? と考えていれば、そんなことは言わなかったように春成はふと思い出したことを冬野に訊いた。
「お前には、親しい男がいるか?」
「え? 親しいとは?」
なかなか答えが見つりそうにない冬野を春成は見る。
「――俺が夢の中で会ったんでなかったら、現実の話だが、お前は都に居ただろう? その時に俺と同じ年頃の青年と居たはず」
「……
「とうや……」
春成は考え込んでしまった。それっきり何も言わない。
何を言えば良いのか……。
凍也は冬野の従姉妹の家族の家の近くに生まれ、ずっとそこに住んでおり、冬野が小さい時に不慮の事故で両親を亡くしてやって来てから仲良くなった幼馴染だ。一つ年上で春成とも同い年だろうか。その凍也が何をしたのだろう。
「凍也が何か?」
「いや、お前が笑いかけていたあの青年がとても気になっただけだ」
「それは霊が憑いているとかそういう?」
心配する冬野に春成は軽く笑い。
「いや違う、お前が何の疑問もなく屈託なく素直に笑っていて、羨ましくてな」
は? 分からない。
この人の言う事はあまりにも分からない。
「どういうことですか?」
「……」
彼はまた何も言わなくなった。
「あの……」
黙ったまま。
「何か気に障りましたか?」
「いや、あんまり言うのもなんだが……、実はな、その時に、その笑顔にうっかり惚れてしまったんだ」
「誰がです?」
「俺だ」
はっきりと言った春成を冬野はじっと見て驚いてしまった。
え! 何で?
「大馬鹿だったよ、すぐに惚れてしまうとは……前世も同じだな」
意味が分からない。
「何故、前世が出て来るのですか?」
「そのくらいのときめきだったんだ」
そう言って彼は笑い、明るくなった。
おかしい、実におかしな話だ。
「認めると楽になるな」
そう言って彼は咲いていない藤の花の方を見る。
もう本当にこの人は――。
他に聞きたいことがあったのにそれすらもままならない。
私はいつか、この人と同じ『藤川』になるのだろうか。
いや、ならないだろう。
きっと私は違う道を行く。
「藤の花言葉を知っているか?」
唐突に訊かれ、頭を振る。
知っているはずがない、そんな知識は必要ないから。
「確か、歓迎だったよ」
その他にもあるだろうにそれを彼は言った。
それはどういう意味だろう。
「冬、お前はきっと俺が守るから、ずっとここに居てくれるな?」
そう言って、こちらを見る彼に私は「はい」とだけ答えた。
だって、この人は本当に私の知っている事を上回りそうだったから。
何かを教えてくれるなら教えて欲しい。そんな願いもそっと添えて、そんな彼を見上げる。
その目はとても鋭く、また藤の花を見て怖かったけれど、こちらをまた見た瞬間に陽だまりみたいに変わった。
ほっとしたような優しさがそこにはあった。
釣られて自分までそのようになってしまったのには驚いた。
こんな私を好いてくれるだろうか、そんな浅はかな思いは何ともすぐに終わりそうだけど、冬のように長く待っていればやって来るのだろう、こんな風な雪解けが。
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