第12話 西暦2015年:6
闇が、蠢いている。
魔法少女・新藤桃の眼下では、無数の魔獣がひしめき合っていた。
魔獣、という言葉を桃は脳裏に漢字で思い描き、これらは本当に魔獣なのだろうかと疑問に思った。
何故なら、無数の敵は蟻の姿をとっていたからだ。
桃は蟻をまじまじと観察したことはないので、蟻型の魔獣と実際の蟻に、どこまで差異があるのかは分からない。ただ違うところを挙げるなら、蟻型の魔獣は、昆虫の蟻より大きいということだ。
一体一体が、乗用車ほどの大きさである。
怪物、と言っていいだろう。
本来なら、こんなものが一体でも街に出れば、人々はパニックになるだろう。
小口径の弾丸程度では貫けそうにない、確かな存在感がある。
それが、無数。
正確な数は分からない。
敵の数を数える魔法、なんてものもあるのかもしれないが、桃を含め、チームの誰もそんな魔法を習得していなかった。
チーム。
桃は、上を見た。
夜空が見える。星が綺麗だ。星座も星も、何も知らない桃だが、星空を綺麗と思う感性はある。
視界に入るのは星空だけではない。
見えるのは、観覧車のゴンドラだ。
桃自身も、ゴンドラに、内部ではなく外側の上部に腰を下ろしている。
下までの距離はおおよそ50m。
生身で落ちればひとたまりもないが、桃の頭には既に猫耳が生えていた。
「どう思う?」
と、最も高い位置にあるゴンドラで仁王立ちしている少女が言った。
日向ひなた。桃の所属するチームのリーダーである。
「くじらちゃんの所感を聞きたいところだけど」
「そうですわね。これは、チャンスということでしょうか」
「というと?」
ひなたは面白がっているように見えた。
先日、リーダーであるひなたと新人であるくじらの間で意見が対立した。二人は、桃から見ればとても大人びたやり取りをして、双方納得していた。
それ以来、日向は桃を含めた新人三人組の中でも、くじらに特別目をかけているというか、一目置いている節がある。それがひなたの妹である雫には面白くないであろうことも。
(面倒くさいことにならなきゃいいけど)
「今までと同じく、あれ一匹一匹が魔獣なのですよね」
「そうだよ」
「ならばこの大量に出ている状態は、いわばボーナス状態ですわ。討伐クエスト何回、いや、何十回分のポイントが手に入ると、考えてよろしいのでは」
「合ってる。くじらちゃんの認識はまったく正しいよ」
レギオン、とひなたは言った。
「時々魔獣が大量発生する。これを魔法少女はレギオンって呼ぶの。魔獣討伐クエスト最大の難易度で最高の報酬がゲットできる。もしかしたら今日でみんな、願いが叶うかもしれないよ」
願いが叶う。猫になれる。
桃は思わず、猫耳を撫でた。
くじらに目を向ければ、表情が引き締まっている。
彼女もまた、願いを叶えるために魔法少女になったと、桃は記憶している。
「さて、チーム同士で獲物の取り合いなんてのは勘弁だから、だいたいの割り振りを決めましょう。ここから正門までの方向は私、北門までは刀子。プールエリアはくじらちゃん、サーキットエリアは雫、正門駐車場とその周辺は桃ちゃんお願いね。だいたい掃討したら他の人手伝ってもらうわ。じゃ、解散!」
言葉と同時に、五人の魔法少女が観覧車から飛び降りる。桃もまた、ゴンドラから飛び降り、すぐ下のゴンドラの天井に着地し、それを繰り返して徐々に地上へと向かう。
雫、くじらも同様の方法で徐々に高度を下げていく。
三人と比較し、ひなた、刀子は、一足で地上に着地を決めた。一年の年期の違い。それは、純粋な身体能力にも表れている。
次に速かったのは桃だ。討伐クエストをこなしレベルを上げていくうちに、身のこなし、俊敏性がくじらや雫とは差がついてきたと感じていた。
仮に反復横跳びや障害物競争をすれば三人で自分が一番なのでは、という自負がある。
逆に、腕力ではくじらに、魔力量では雫に劣っている自覚があった。
(願いに応じて、少しずつ差別化されていくのかな)
個性の発露。
少しずつ猫に近づいている。
そして今日、いよいよ猫になれるのかもしれない。
襲いかかって来た蟻型の魔獣の頭部を、一瞥すらせずに「猫クロ―」で粉砕しながら、桃は笑顔を浮かべた。
猫になればあらゆる願いから解放される、そんな気がした。
◇
遊園地。廃れているわけでもなく、今なお日本でベスト30にはランクインする人気レジャー施設である。
夜間といえど目撃者の存在が気になるが、どうせ妖精が記憶を消すのだろう。
そのことに今も不快感は残るが、今は気にしない。
広い駐車場の中央で、周囲を魔獣に囲まれながら、桃は回転していた。
恐怖で錯乱したわけではない。
右手には「猫クロ―」、左手には「猫クロ―」。すなわちまったく同じ肉球武器を彼女は両手にそれぞれ装備していた。
それを振り回す。魔獣は全方位に居る。故に回転する。
桃一人に視点を絞れば、頭の猫耳も相まって、ふざけているようにしか見えないだろう。しかし、視点を少しでも広く持てば、これは紛れもない戦いであり、魔法少女による一方的な狩りだということが分かるはずだ。
ジョークグッズのような面持ちの「猫クロ―」の爪が、魔獣に触れる度に、破壊が発生する。
一撃。一撃。桃を殺そうと迫る魔獣は、いずれも一撃が掠る度に絶命する。
夏休みにもなれば満席になる広い駐車場が、魔獣の死体で埋め尽くされていく。
一定の時が過ぎれば残骸は粒子となって消え去るが、今はまだ、新藤桃の起こした蹂躙の痕を色濃く示していた。
(……簡単すぎる)
と、桃は思う。
(これじゃ、前の廃工場で倒した奴と同じだ。あれから私ももっと強くなったけど、でも、それにしたって、これがレギオン、討伐クエスト最大難易度……こんな簡単なはずがない)
何しろ、これをクリアすれば願いさえ叶うのだという。
新藤桃が魔法少女になったきっかけ、猫になりたいという願いが叶う。
こんなにも簡単に。
—―ぞわり、と嫌な予感がした。
桃は咄嗟に右に跳ねた。
真横を、白く、粘性のあるものが通過する。
それは、コンクリートに着弾すると、瞬時に溶かし、人間一人分ほどの穴を開けた。
桃が飛来した方角に目を向けると、そこには魔獣がいた。
さっきまで虐殺していた蟻型の魔獣、ではない。
大きさが数倍以上違う。
遊園地で例えるなら、メリーゴーランドを覆えるほどに大きい。
それは蜘蛛だった。
蜘蛛型の魔獣。
新藤桃が初めて討伐クエストで遭遇した物と、同タイプの怪物が、駐車場に姿を現していた。
◇
魔獣は、大きければ大きい程強い、と桃は10と少しの経験から推測している。今のところ例外は出現していない。
そして、今桃の眼前に現れた魔獣は、桃が今まで遭遇した魔獣で、最も巨大なサイズだった。
生身で出会えば、逃げる事さえ諦めるサイズ。恐らく恐竜の時代でも天下を取れるであろう巨体。
八本の脚も、胴体も、頭部も黒いが、複眼だけが赤い。
(なるほどね)
知らずのうちに、桃の口角は吊り上がっていた。
(少しは楽しめそうなやつが出てきた)
戦闘狂めいた思考さえ浮かぶ。
魔獣討伐は、レベルを上げてしまえば、作業だった。
こちらの攻撃で相手は即死し、向こうの攻撃は痛くも痒くもない。
チートコードでゲームをしているような座りの悪さ。無為にすら感じる時間。
新藤桃は魔法少女である。人を超えた超人である。
自分がどれだけ強くなったのか試したい。
桃は心のどこかでそう思っていた。
獣じみた闘争本能。
桃は蜘蛛に向かって駆けた。
蜘蛛の口から、唾のようなものが発射される。
桃は身を捻って躱し、頭部を「猫クロ―」で薙ごうとする。しかし、蜘蛛は瞬時に移動し、脚を桃に振り下ろす。桃はそれを「猫クロ―」で迎え撃ち、両者は火花を散らし弾きあった。
(嘘、互角じゃん)
桃の心中を驚きが満たす。
今まで魔獣の爪や牙と武器がぶつかったときは何度もあったが、その度に魔獣の方が耐え切れられず破壊されていた。接触すれば絶対に勝てる。それが魔獣との戦いだった。
今夜、その常識が覆される。
(私の「猫クロ―」の一撃と、あいつの八本の脚は、同じ威力を秘めてるってことだ)
桃は両手に、「猫クロ―」を持っている。二本。
蜘蛛の脚。八本。
(……あれ、私が負けてる?)
おまけに、この魔獣は口から溶解性の糸を発射している。当たれば魔法少女でも、ただでは済まない。
身のこなしの速さも同程度だ。
勝てない。
そう結論を下しそうになって、慌てて頭を振る。
(これだけ強いってことは、貰えるポイントも多いはず。じゃあ、頑張らないと)
それにしても大きい。
蜘蛛という生物の構造上、常に桃は下から攻め、蜘蛛は上から攻めることになる。これも不利だ。具体的にどこがどう不利なのか、桃は言語化できないが、何か不利な気がする。
(待って、ということは、上から攻めれば私が有利ってこと?)
蜘蛛の脚は振り下ろすことは出来ても、天高く振り上げることは出来ないだろう。
上体を持ち上げて前部の二本程度なら上からの敵に対応できるかもしれないが、残りの六本は姿勢制御に使うはず。
(下から攻めるときは脚八本+糸。でも、上から攻めれば脚二本+糸。実質実力は四分の一になる……! すごい、私、戦いの天才じゃん……!)
自尊心に満ちた桃は、周囲に高いものを探した。
駐車場は、恐らく遊園地の中で最も平面な空間だ。けれど、全てが平面というわけではない。
桃が目につけたのは、遊園地名がでかでかと描かれた、看板。あの上に飛び乗れば、蜘蛛を上から攻撃できるかもしれない。
桃は蜘蛛に注意を向けながら看板に向かって走り出した。
蜘蛛も桃の後を追う。好都合だ。
後三歩で看板に飛び乗れる距離まで近づいた時だった。
砲弾が、看板に直撃した。
それは看板に大穴を開け、轟音を響かせる。
桃は足を止めた。
強化された動体視力が、砲弾の姿を捉えていたのだ。
(今の、刀子先輩じゃなかった?)
同じチームの先輩で、刀を扱い、近接戦闘を得意とする魔法少女。
それが、看板を突き破って茂みの中に消えていった。
(刀子先輩が、自分から看板に突っ込んでいった。違う、そんなロックな性格じゃなかった。いったい何が……)
「くくく、また会ったわね、迷い猫」
声が聞こえた。
振り向くと、そこには一人の魔法少女と、ボーリング玉サイズのサイコロステーキ状にバラバラにされた蜘蛛。
「あんたは……」
桃は覚えている。最初の討伐クエストで襲い掛かって来た、眼帯を付けた、鋏を操る魔法少女。
名は……。
(……何だっけ)
何か名乗っていた気はするが、桃は覚えていなかった。
持っていた武器に絡んだ名前だったような気がする。
桃はしばし考え、仕方ないのでそのまま言うことにした。
「…………鋏!」
「……………………。くくく、私の名は、マット・シザー」
狂的な笑みを浮かべた魔法少女は、刃に顔を近づけ、少し思案した後、頬ずりをしたのだった。
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