第41話 刃は向かう

 アイリスとルディアらが襲撃に遭い、病院に運ばれてから二日が経過した。

 法条司ほうじょうつかさら反アイリス勢力の襲撃を懸念した桑水流くわずるは毎日欠かさずアイリスの眠る病院へと向かい、可能な限りの仕事を院内で済ませるようにした。

 

 曇天が目立つ午後三時。旧式のコンピュータとモニタに映された情報を桑水流は追っていた。

 右下に座す長方形。遥か昔は当たり前のように行われていたオンライン会議も、レトロ気質な桑水流くらいしか使う者はいなくなった。

「神帝裁判が行われるにはまだ数日猶予があると。あれ、君はどっちって名乗ってるんだっけ」

 長方形の画面に映る青髪の男——桐崎・ジャック・ルベライトは、偏頭痛にこめかみを抑えるような様子で言った。

「名目は反アイリス派ですよ。都合がいいってだけで、彼女に恨みはありませんが」

 彼が頭を悩ませるのは、何も桑水流の問いに対して呆れたからではない。

 この会議が始まって二十分。ジャックとアイリスの間に起こったこと、桑水流が見たアイリスの様子——それぞれから状況を整理した結果、事態の厄介さが発覚して辟易としていたのだ。

「この段階で法条司が絡んでくるのは予想外でした。裁判の開始が遅れるよう、何とか努力はしていますけどね。いつまで持つかわからないのが現状です」

「了解。あまり深追いすると名簿から名前が消える。注意するんだよ」

 病院の古びた椅子がぎしっと唸り声を上げる。

 神帝裁判は、アイリスの無実を証明するために開催を望まれていた。

 しかし、肝心のアイリスは法条に襲撃され意識不明の重体。犠牲となる和倉五鈴は既に皇帝隊の手の中にある。想像しうる中でも特段厳しい状況の中で、いかに開催を遅らせるかが親アイリス派の課題となったのが現状であった。

 桑水流の忠告を受けた後、ジャックは顔に焦りを宿して口にする。

「まずいことになりましたね。Xにとって最大の敵が一年後に攻めてくるとして、我々は神帝裁判とXの復興を一年以内に行わなければならない。あまりに時間が少なすぎる」

「……一つ考えがある。既にその計画を進めていたんだが、まだ投げていなかったね、説明しておこうか」

 桑水流はキーボードを力強く打ち、表示された情報を画面の向こうのジャックに共有した。

 状況と狙いが簡単にまとめられただけの簡素なスライドだったが、表示されるのは国家を揺るがすに足るだけの情報だった。

「この僅かな間で、既にこれだけの準備を?」

「そっちに一人、君以外にも協力者がいてね。彼のお陰でうまく進んだんだ」


 

 ちょうどその時。

 二人が乗せられた情報について話を進めようとした、まさにその瞬間だった。

「せん、輩?」

「え。ちょっと待って。キミ、なんで起きてんの。それに何、その髪」

 ベッドが軋む音がして、戸惑う様子のアイリスが目を覚ました。

 何よりも異常だったのはその髪色。桑水流の気にいるアイリスの金髪は、後ろ髪が枯れた茶色に変色していた。かつて黒金定国くろがねじょうこくとの戦闘で発言した、紫紺化の前の変化と同じ色だった。

 アイリスは顔に巻かれた包帯を取る。現れたのは綺麗に修復された真っ白の肌で、法条に傷つけられたはずの外傷はもはや欠片も残っていなかった。

「私は法条に顔面をやられて、外傷と脳への衝撃で気絶していた……その筈です。あれから何日が」

「二日。これを短いとするか長いと捉えるかだが、桐崎隊長はどう考える?」

 そこで、ただ呆然と画面を見つめるジャックに二人の視線が映った。

 話の前に数日前の無礼を詫びて、ジャックは自分の見解を述べる。

「現場には粉々になった看板があったんですよね。相当重いものだったと聞きましたけど、それを至近距離で受けたんだ。脳震盪のうしんとうを起こしたり、何かしらのショックを受けていてもおかしくない。なのに彼女はピンピンしている。外傷も何もない状態でね」

 ジャックの言うことに間違いはない。

 そもそも、あの時点で法条が投げた看板に当たれば、強化細胞を搭載した人間であってもまず耐えられない。アイリスはそれを怪我で済ませたのだ。加えて外傷が二日間で全てくっつくなど、もはや常人の域を超えている。

「確かにそうだ。常人の感覚で見れば異常な回復力だよね」

 一方、桑水流にはもう一つの見方があった。

 

「ジャック。君は紫紺化を知っているか?」


 アイリスの顔に動揺が見られる。

 紫紺化。かつてアイリスが黒金定国との死闘の際、また、迅雷と〝戦〟の残党狩りを行った際、彼女が耳にした言葉だった。

「聞いたことがありません」

 画面の向こうで表情を硬直させたままの死神に、ジャックは疑問の視線を送る。

 桑水流は二人に向けて、声を少し抑えて続けた。

「そう、アイリスは知っているみたいだね。紫紺化は強化細胞の特異変化で、ただでさえ跳ね上がった身体能力を更に増幅させる大技だ。だが、紫紺化がもたらす影響はそれだけじゃない。生物としての極端な成長、言い換えるならが与えられる。尤も発見されたのはAI戦争終了後で、本格的な戦闘で使われた実例はないはずだけど」

 桑水流はアイリスを一瞥して口角を上げる。全てを見通されているような気がしたアイリスが小さく身震いしたのは言うまでもない。

 そんな二人の関係を知らないジャックは、空気を読む素振りも見せずに淡々と言った。

「なるほど、その回復力を以ってすればあの外傷を治すのには数日で事足りると。桑水流隊長の言葉に乗っ取れば、アイリス隊長がすぐに目覚めたのにも納得がいく」

「不意打ちでやられた私を守ってくれたのはルディアで、受けた傷は少しです。だからきっと、桑水流先輩の言う紫紺化が回復の理由なのは確実。……いや、私が聞きたいのはそこじゃない。桐崎、えっと……」

「桐崎・ジャック・ルベライトだ。貴方が動けるようになったら、あの時の無礼を詫びさせてほしい」

 アイリスとジャックの物理的距離が近くなる。ふとアイリスが横を見た時、すぐそこに桑水流がいた。

「あ、ああ。こっちにも非はあったろう……気にするな」

 アイリスがぎこちなく謝罪の言葉を述べた後で、桑水流が話を仕切り直す。

「詳しくは守時隊長に聞いてみよう。少なくとも、アイリスの紫紺化は常軌を逸する回復力だよ」

 桑水流はアイリスの茶色い髪を撫で、その後すぐにキーボードへと指を移す。

 紫紺化の話題から離れた桑水流が持ち出したのは、先ほど彼に見せるはずだった情報だった。

「私はXを立て直す手段として、また、首都襲撃の報復として、Y国ピスケス家への攻撃を提案する」

 死神と星皇の反応はそれぞれ大きく異なっていた。

 後者は知っていた風な顔で。前者は、桑水流の言葉がとても信じられないといった様子だった。

「神帝裁判の開催直後、アイリスを筆頭に軍を編成する。狙うはY国皇太子エクリヴァン・ピスケス及び、今回の首都襲撃に関連する可能性の高い王族だ。現在炎帝が中心になって軍を編成している……神帝裁判にて発表、疾く侵攻を開始する」

 桑水流は淡々と、されど険しい顔で口にした。

 その時アイリスの脳裏に過ぎったのは、煌々と燃え盛るXを背景に立つエクリヴァンの姿。何者かと手を組んで首都に攻め入ったかの男を、この死神が許すはずもない。

「了解。今日中に病院を出る……桐崎、海月に伝えておいてくれ。私はもう十分だ。できる限り早く神帝裁判を開始したいと」

「わかった。死神アイリス、無理は禁物だぞ。では桑水流さん、僕はこれで」

 ジャックが画面の右端から消えた。桑水流はコンピュータをスリープさせ、病衣を脱ぎ始めるアイリスを手伝った。二人の距離が近くなり肌が触れるも、どちらも表情を崩すことはない。

 桑水流はアイリスを抱き寄せて、耳元で小さく囁いた。

「神帝裁判、君は無実を証明すればいい。いや、語るのはロベリアに任せたって構わない。この先に待ち受ける戦地はきっと想像を絶するものになる。キミはできる限り身体を休めるんだ」

 病衣を桑水流に預けたアイリスは、ベッドの横に置かれた荷物から自分の服を適当に取り出して、乱雑に着てみせた。

「わかりました。ところで、ルディアはどちらに?」

「安心しな、別の部屋にいる。今更言う必要もないと思うけど、顔を見せてあげるんだよ」

「ええ。そしてその分、私はあいつに報いますから」

 アイリスがぎゅっと拳を握る。

 桑水流は淡い目で彼女の手に視線を落とし、抱きしめる力を少し強くした。たとえ何を失おうとも、アイリスだけは守る。血肉を燃料に燃える戦場、それを何度も視た桑水流だからこそ、その決意には重みがあった。

 

 それぞれの思惑が交差するこのX国。敵が一つに定められた時、王の刃は猛り狂う。

 世界を震撼させる戦いの始まりまで、残る時間はそう長くない。

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