第14話 奔走は空虚

 アイリスの脇腹を、三日月に沿ってハルバードが切り裂いた。

 亀卦川にはそう見えていた。

死神の撚糸カトリエーム・ミラージュ

 しかし、斬られていたのは亀卦川だった。その腹を透明なナイフで一閃、シャツが新鮮な赤に滲む。

「小洒落た必殺技じゃねえかこの野郎。嫌いじゃないねぇ」

 亀卦川は淡月をバックに立ち、ニヒルな笑みを浮かべる。瞳は墨より黒く蠢き、自販機と月しか明かりのない路地裏によく溶け込んでいた。

 雄叫びと共に、亀卦川はハルバードを槍のように突いた。本来止めを刺すために使われる部位——それを突発的に使う、同じく不意打ち技の一つだろう。

「チッ⁉︎」

 今度こそアイリスの腹を掠めたそれは、生身の人間であれば深手となるだろう。しかし、感覚を研ぎ澄ませたアイリスはダメージを最小限に抑えていた。

 冷たいアスファルトを蹴り上げると、アイリスは一気に後退する。

「お道具箱コートがなけりゃ、手数は厳しいんじゃねーの?」

「それでもお前よりは多いよ」

 アイリスが取り出したのはダガーナイフ。だが、ハルバート相手ではリーチが違いすぎる――どう考えても悪手だった。

「舐めプはダメだろ、死神ぃ」

「もう死神じゃない。ただの抜け殻だ」

 金と白。二つが至近距離で交差したかと思うと、甲高い金属音が鳴り響いた。

 続けざまにもう一度。

「なぁ亀卦川、私のボディーガードで雇われないか? わざわざ殺し屋を続ける意味はなかろうに」

「俺はこの仕事好きなんだよ。殺し合いってさ、友達と喧嘩してるみたいだろ?」

「だから意味がわからないよ、お前!」

 その間にも、振り下ろされるハルバードは重くなっていく。間に合わせのダガーナイフでは対応しきれず、アイリスの躍るリズムは崩れていく。

 不定な間隔で得物同士が衝突し、二人は殺しう。

「っ……」

「もらったぁ!」

 アイリスの視界が地面と近くなる。無防備なその脳天を、亀卦川のハルバードが襲った——アイリスは皮一枚でそれを避けると、流れるように背後を取った。手に力を込めると、勢いのままに亀卦川を自販機に叩きつける。

 衝突と同時に大量の缶が中から落ちてくる。自販機は珍妙な音を立てて動かなくなった。

「お前すげぇよ。誰に磨かれたんだぁ、そのセンス」

 亀卦川は振り向きざまにハルバードを薙ぐ。

「知り合い——いや、誰だったか?」

「おいおい、まだボケる年齢じゃねえだろ」

 横薙ぎの銀色を屈んで回避すると、アイリスは流れるように独特の構えを見せた。暗い色をしたその瞳が、妖しく煌めく。

「覚えているのはこいつくらいだ」



 次の瞬間。

 辺りの空気が冷たくなる。夜に溶け込んだ静寂と共に、アイリスの体が蛇のように低く唸り出した。

「〝蛇紋岩流〟岩砂含沙射影」

 呪文に近い漢字の羅列。アイリスは高速で亀卦川に拳を叩き込んだ。

「ウオォッ⁉︎」

 ノーガードの亀卦川は連撃をもろに受ける。

 影という死角からの攻撃である故、光が無に等しい状態でなければ発動できない。月明かり以外の光を全て絶つため、アイリスは自販機を破壊したのだ。

 ラッシュが終わると、亀卦川は力強くその場に倒れ込む。体の痛みにもがいてアイリスを見上げると、また笑った。

「俺の出番、これだけかよ……?」

 世界が少しだけ動く夜。

 亀卦川を放置して、アイリスはその場を去った。



 ——街灯は陽炎のようで、足元を照らすことすらしてくれない。

 普段の分厚く重たいロングコートはなく、アイリスが纏うのは真っ白なセーターのみ。自販機から「あたたかい」コーヒーを拝借、口にすると、紺色の空を見上げてため息をついた。

「この街は嫌いじゃないが、もう住めないか」

 寒さに腕を摩り、壊れた自宅の方をアイリスは見る。

 静かな街の中、微かに人の足音を聞き取った。

「ッ⁉︎」

 間髪を容れず金属音が鳴り響く。アイリスが懐に潜めていたナイフと、拳銃がぶつかっていた。

「……せん、ぱい。なんでここに」

 アイリスの顔に僅かな畏怖が宿る。

 それは、陽炎に佇む幽霊の如く。桑水流麗奈がいた。

「いーなーそれ。でも、お金払ってないでしょ」

 アイリスの頬を汗が伝う。神帝会議に出ていたはずなのに何故ここにいるのか、その顔に満ちた狂気はなんなのか——ナイフを握る力が強くなる。

「何も殺そうってんじゃないよ。一つ話を聞こうと思ってね」

 その言葉と同時、アイリスは壁に追いやられた。一瞬のうちに無力化され、アイリスの喉に尖った金属が向けられる。

「戦の首領、黒金定国。彼を殺したのは、皇帝隊には関係のない組織の暗殺者だ。この調査結果に間違いはないな?」

 自分と大して変わらない背丈、同じような感覚を持つ人物。だが、アイリスは桑水流麗奈が大の苦手であった。

「……えぇ」

 たとえ自分の味方であったとしても、細胞全体が畏怖を示す。

 それはきっと、アイリスの中にある過去に起因するのだろう。

「ねぇアイリス。ご飯行こっか」


 

 そうして。

 突然のことに困惑するアイリスをよそに、桑水流は影の街の外れにある駐車場までやってきていた。

「ねぇアイリス」

 アイリスは言葉を返さない。

 桑水流はポケットからカイロを取り出すと、アイリスに投げて渡した。

「こういうの好きでしょ。暖かいからあげるよ」

 不意に投げられたカイロを受け取ると、アイリスはそれをぎゅっと握りしめた。戦いの後のかじかんだもろ手が、旧式の人工熱で温まっていく。

 そんなアイリスを尻目に、桑水流は数メートル先の愛車にバンドのついた右腕を向ける。すると、唸り声を上げるバイクが二人の顔を白く照らしてやってきた。

「美味しい料理屋があるんだ。この後どう?」

「……ぜひ、お供いたします」

 いわゆる白バイを改造したのか、桑水流の愛車は尖ったフォルムをしていた。桑水流が先頭に座ると、それに続いてアイリスも後ろに腰掛ける。

 二人を乗せた自動自転車は、ゆっくりと動き出した。



 夜風は少し肌寒い。

 終わりの冬にアイリスが走った高速道路を、今度はバイクに乗った二人が走る。

「こうやって二人で出かけるの、AI戦争が落ち着いた日以来かな」

「そうですね。もうかなり時間が経ったかと」

 光と影のグラデーションは、白い車体を淡く照らす。

 桑水流はぽつぽつと語り始めた。

「そんな君に、一つ話をしよう。

 ——昔、正義感の強いヒトがいた。そのヒトには守るべきものと強い信念があって、同じかそれ以上の正義感のある相棒を持っていた。

 だがある日。ヒトは相棒を失った。激しく正義に奔走した結果、何者かにやられたそうだ。

 残されたヒトは、たった一人で二人分の正義を継ごうとした。しかし、背負い切れる正義には限界があった。一人だけでは守れるものが半分になり、届かない手に苛まれるようになった。無敵の力という大義を奪われたヒトはこれまでの全てを失ったが、己の中にある正義の炎は揺らいでいた。それから、逆転の時を待ち続けていた。

 ——キミはこのヒトの末路をどう予測する?」

 ぐらり、と視界が揺れる。それは疲労でも事故でもない、急なカーブによるバイクの傾斜だった。

 あまりに強く重い正義が暴走し、半分の力以外の何をも失ったヒト。それは確然的な自業自得で、正義のために刃を過剰に振り回した者の結末であるのだろう。

 暫しの沈黙の後、アイリスは口を開く。

「私は、人間は動けない生き物だと思っています。変わることは簡単でも、根本ごと動くことなど、他に誰かがいなければ……いても難しい。そのヒトはきっと、逆転の時に正義の旗を掲げて足掻くでしょう。ヒトの中にある正義は、もはや抜けないほどに深い——羨ましく思います。根付いた正義は、意味のあるもの。ヒトを人たらしめるものですから」

 体を震わす悪寒はとうに消え去っていた。

 アイリスが見せた心の内は、顔を見せずとも桑水流麗奈を引き込む。

 背景は動く。変動する夜の中であった。

「そう、安心したよ。キミは変わった。変わったけど、動いてないもの」

 小さく呟かれたその言葉を、バイクの激しい音が遮る。

 いつの間にか、二人は料理屋の前にいた。

「続きは中で話そう。今日は私の奢りだ」

「えぇ。約束ですから」

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