彼女が催眠術にかかったら~黒髪ロングの女の子は清楚だと思っていた時期が俺にもありました~
白玉ぜんざい
第1話
誰かと被ることなく図書委員になれたことは、俺こと加藤啓介が高校に入ってから幸運だと思った数少ない出来事のうちの一つだ。
その上、ペアとなる女子があの氷室真冬だというのだから最早言うことは何もない。
「今日も早いわね、加藤君」
「まあ、特にすることないからね」
週に一度、今のローテションで言うならば月曜日の放課後。俺は図書委員の仕事で午後五時までの間、図書室にいなければならない。
仕事といっても室内を何回か見回ることと、貸出の手続きを行うくらいで難しくも忙しくもないが。
それらの仕事をしていない時間は自由にしていて構わないというのだから、読書好きの俺からすれば苦痛でも何でもない。
むしろそれは天国とさえ思える。
「今日は何を読んでるの?」
しかも相方は同じクラスの氷室真冬。
黒髪ロングのさらさらヘアーをなびかせ、校内を歩くとすれ違った誰もが振り向く美しさを持つ。
長いまつ毛も、大きな目も、小さな鼻も、さくら色の唇も、白い肌も、華奢な腕も、そのくせ大きい胸も、くびれたウエストも、程よく肉付いた太ももも、ピンと伸びた背筋も、その全てが完璧を思わせる。
最近までは半袖の夏服だったが、文化祭も終わり冬が近づくにつれ肌寒くなったこともあり、制服は冬服に移行している。
紺色のブレザーに青いチェックスカート。そこから伸びる足はタイツに包まれ守られている。
男の理想をそのままはめ込んだような才色兼備な大和撫子。それが氷室真冬だ。
それでいて気さくで優しく気遣い上手とくるもんだから、男子で彼女のことを好きじゃない奴はいないと言い切れる。
もちろん俺だって好きだ。
誰もが氷室を恋人にしたいと思っている。まさに完璧というべき彼女に告白されて断る人間はこの地球上に存在しないだろう。
いたら多分殺される。
「これを」
俺は読んでいた本を見せる。
この図書室には様々な種類の本が置いてある。
小説や参考書、エッセイやラノベ、数は少ないが漫画も置いてある。ハウツー本や自己啓発本など、ジャンルも多い。
そんな中、その日俺が手にしていたのは『誰でもできる催眠術』という本だった。
「催眠術?」
表紙を見た氷室は胡散臭そうに思っていそうな視線を向けてきた。無理もないが。
「そう」
催眠術と言われてどんなイメージを抱くのかは人それぞれだが、それを信じている人間は恐らく少ない。テレビで極々たまに目にすることがあるが、あんなのはヤラセだろうと思っている人がほとんどだろうから。
氷室もその一人だろう。リアクションがそれを物語っている。
「催眠術ってあれよね? テレビとかでたまに見る犬になるとかそういうの」
「まあ安直に言うならそうだけど、とどのつまりは究極の自己暗示なんだよな」
「自己暗示?」
こてんと首を傾げながら氷室が言う。
「思い込みの力ってやつ。経験ないか?」
「どうかしら。例えばどんなのがあるの?」
そう訊かれて俺は腕を組んだ。
言っては見たものの、俺自身がそんな経験をしたことがない気がする。したとしても記憶に残らないような弱いイベントだ。
「極端なことを言うならスポーツのパフォーマンスとか? 自分は出来る、やれると強く思うことで実力以上の力を出せる……みたいな。逆にピンチに陥ってマイナスなイメージばかりを浮かべていると実力の半分程度の力しか発揮できなかったり」
「……ううん」
氷室は唸りながら改めて考えているようだが、やはりピンとはこないらしい。
「まあ、深く考える必要はないんだよ。つまりそういうことってだけだし」
「加藤君は自己暗示をかけたいの?」
「いや、別にそういうわけじゃないよ。なんとなく気になったから読んでるだけだし。俺だって別に信じているわけではない」
図書委員は図書室に入ってすぐのところにあるカウンターの中で待機するのが基本だ。
その中でなら何をしていてもいいので俺は本を読むし、氷室も本を読むことが多い。
けど終始無言ということはなく、こうして話すことも結構ある。
いつもなら図書室に来たらとりあえずその日読む本を物色しに行くのだけど、彼女は今日はそのまま隣に座った。
それが何だか珍しく思え、ついじっと見てしまう。
「どうしたの?」
「いや、今日は本見に行かないのかなと思って」
「加藤君とお話しようと思って。迷惑かしら?」
そんなこと言われるとテンション上がるじゃねえかおい。でもバレると恥ずかしいので俺は平然を装う。
「氷室にそんなこと言われて迷惑なんて言う男がいたら、漏れなく全校生徒からボコボコにされるだろうよ」
「あはは、面白い冗談」
冗談じゃないんだけど。
まあ、どうでもいいことだからわざわざ訂正することもない。
「それで、何か話したいことでも?」
こうして面と向かって話したいと言われたことは思い返すとこれまでなかった。
つい構えてしまう。
「さっきの催眠術の話。ちょっと興味があるというか、面白そうだったからもう少し聞きたいなって」
「ああ、そういうこと」
まだ半分くらいしか読んでないから全てを把握しているわけではないし、何ならめちゃくちゃミーハーだから大した知識も披露できないだろう。
「でも珍しいな。催眠術なんかどう考えても胡散臭いものとしか思えないだろ」
「それを加藤君が言うのね」
そんな本読んでるのに、とでも言いたいのだろう。
俺とて別にこれを完全に信じているわけではない。何となく、へーと思うくらいだ。
「テレビなんかで見てもヤラセを疑っちゃうし、漫画とかでもロクな使われ方しないだろ?」
「ロクな使われ方? 私、あまり漫画とかは読まないから分からないんだけど、例えば?」
「……」
催眠術で暗示かけてエロいことしまくる、とはもちろん言えない。そうでなくてもどうしてもそっち方面のことに使用しているイメージがある。
催眠療法なんかがあるけど、ロクな使われ方とか言ってしまったからこれは当てはまらない。
自分で言ってから自分の発言の間違いに気づいてしまう。
「……まあ、ほら、ちょっとアダルトなね」
「アダルト?」
「俺も詳しくは知らないけど。クラスの奴がそんなことを言ってたんだよ! そういうの好きだから!」
誤魔化す。
「ふーん」
誤魔化せたかは謎だ。この間にさっさと話を切り替えよう。
「といっても、所詮はそんなのフィクションの世界のものだから現実で起こることはまあない」
「そうなの?」
「本を見てると、催眠術によってリラックス効果を生み出して日頃のストレスとかを癒やしたりとか、そういう使われ方が多いらしいよ」
催眠術によってエロいことをするというのは全男子の夢だ。クラスメイトを催眠術にかけたら……なんて妄想は誰もが一度は通っているはずだ。
通ってるよな?
「加藤君は催眠術かけれるの?」
「かけたことないから分からんけど、やり方は書いてるから手順を追えば誰でもできるんじゃないか?」
パラパラとページを捲ってそのページを氷室に見せると、彼女は興味津々にふむふむと眺めていた。
そして、顔を上げた氷室はどこか楽しげに、まるでいたずらを思いついた子供のような顔をしてこんなことを言ったのだ。
「ねえ、試しに私にかけてみてよ」
と。
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