堕眠のセツナは森に住む

シュガー後輩

第1話 プロローグ ~休日に森に向かった理由~

 見渡す限りの木、木、木。鬱蒼と茂ったその木々は太陽をも隠し、薄暗い。ふぅとオレは額の汗を拭う。


 おもむろにオレは懐から地図を取り出す。地図を回してみる。斜めにしてみる。裏返してみる。


 「うん」


 オレは一つ頷くと地図をしまった。


 「なるほど、迷子か」


 よくある。よくある。オレは木の枝を拾ってそれに運命を託すことにした。さてなぜ町生まれ町育ちのオレが森の中にいるかというとそれにはとてつもなく深い理由がある。


 ***


 時は、昨日に戻る。


 オレはいつものように仕事が終わると、疲れた体を引きずってバーに来ていた。


 オレの職場からほど近い名も無きバー。路地裏の怪しい階段を降りるとたどり着くことができるバーで、お客さんはほとんどこないと言っていいだろう。オレはその階段を迷わず下る。


 カランカランカラン


 バーのドアを開けるといつものように閑古鳥が鳴く店内と、こちらをじろりとにらむバーのマスター。別にマスターにオレが嫌われているわけではない。そういう顔なのだ。禿で険しい表情をした筋肉もりもりのマスター。シャツがパツパツで相変わらずバーテンダーの格好が似合っていない。仕事あってますか?おすすめの仕事がありますよ。お金を回収するだけの簡単なお仕事なんですけど。


 「どうも、マスター」


 「帰れ」


 もしかしたら嫌われているのかもしれない。


 「ひどいなマスター。常連客に向かって」


 「自分で常連と名乗る客が俺は嫌いだ。そしてお前は客じゃねぇ」


 「本当にひどいな」


 常連云々の話は思ってても言うなよ。確かになんとなく常連面しているやつはうざいけども。オレは構わずにマスターの前の席に座る。


 「いいか。ここはバーだ」


 「知ってる」


 「バーつうのは酒を楽しむ所だ」


 「知ってる」


 「……お前がいつも頼んでるのは?」


 「水」


 「帰れよ」


 「いや、だってここで一番美味しいの水じゃん」


 「うるせぇ!」


 否定はしないんですよ。なぜなら事実だから。数少ないお客さんに聞くと水割りで飲むお酒やチェイサーとして水が出てくるお酒が人気だ。それぐらい水が美味しいのだ。一番美味しいものを頼むなというのか。ひどいマスターだぜ。


 「わかった。わかった。水以外を頼めばいいんだろ」


 「お前が譲ったみたいな言い方すんな」


 「腹に溜まるものをくれ」


 「あるかよ。バーだって言ってんだろ」


 「じゃあおつまみ大盛りで」


 「そんな言葉はこの世にねぇ」


 チッと舌打ちをしながら、マスターはカウンターから割と大きめな紙袋を取り出すとザラザラとその中の豆を雑に皿に開ける。そしてコップに水を注いでくれる。


 「ほらよつまみと水だ」


 「いや、豆て」


 もっとこだわったおつまみだそうぜ。折角こんなにお酒揃えているんだから。なのに焼いた豆って。しかもこれ近くの屋台で買ったやつだよな。すごくお財布に優しいやつ。


 これでも自分良いものを食べてますよ。それで満足できるとお思いですか。


 豆に罪はないから食べるけどさ。


 全くこんなものが美味しいわけ…………うん、豆うまい!


 豆農家さんいつもありがとう!


 このうまい水によく合うんだなこれが。どっちも止まらない。これがマリアージュというやつだろうか。違うな。ただしょっぱいから進むだけ。でもうまい。


 「それでいいなら家で食えよ……」


 「仕事帰りに家まで帰る元気などない!」


 「威張っていうことか」


 オレはカウンターにぐでっとへばりつく。


 「元気など……ない……」


 「別に弱々しく言い直せってことじゃねぇよ」


 全く要求が多いマスターだこと。


 はぁっとため息をつきながら、マスターはジョッキを取り出して酒を豪快に注ぐ。オレは自分のコップを掲げるとマスターはジョッキを乱暴に合わせた。


 「おい、お酒が入るだろ」

 

 コツンぐらいでいいんだよ。


 「おう、サービスだ。酒の代金いらんぞ」


 もし請求されたら訴えているところだ。


 うえ。酒の匂いがオレの水からする。顔を顰めたオレの姿がそんなに嬉しいのか、笑いながら豆を摘むマスター。おい、それオレの豆な。


 「そういや聞いたか?東の森の噂」


 「聞いてないな」


 オレの上司に十円ハゲがあるという噂を聞いたことはある。流石に上司に頭を見せてくださいというわけにはいかないので確かめてはいない。本当だったらご自愛してほしい。それにしても一体何がそんなにストレスなんだろうなぁ。


 「ファントムシープが出たそうだ」


 「何だと」


 思わずつまんでいた豆が手から零れ落ちる。オレは驚愕の表情でマスターを見つめる。したり顔のマスター。そのムカつく表情にいつもなら殴りかかっているところだが、今はそんなことはどうでもいい。


 ファントムシープは、とても大きな羊の魔物だと言われている。名前の通り、正確な情報はあまりない。目撃情報はたまにあるのだが、捕縛情報や討伐情報は全く入らないのだ。しかし見たものは口を揃えて言う。その羊毛はまるで空に浮かぶ雲のようで、思わず触りたくなるような不思議な魔力を持っていたと。ここでいう魔力が比喩表現なのか本当に魔力を放ったいたのかもわからない。


 オレはそのファントムシープを探していた。


 その未詳の魔物を詳しく調べて世界魔物学会に激震を走らせたい、などという理由はない。魔物の解明などどうでもいいことだ。


 もっと高尚な理由がオレにはある。


 それは布団を作ることだ。


 ……何か文句でも?


 その魔物の毛でオレは布団を作りたいのだ。その毛を使えば、最高級の寝具ができるのではないか。オレはそう考えていた。


 「それは本当だろうな?」


 「そういう噂があるってのは本当だ。ファントムシープが本当にいるかどうかは知らん。何でもそれを目撃したのはひよっこのハンターらしいからな。見慣れない魔物には近づかない。ハンターの常識だ。討伐依頼が出てたわけでもないし報酬があるわけもない。ハンターは遠目に目撃して帰ってきたそうだ」

 

 「そうか。まあそれは自分で確かめればいい。明日は丁度仕事が休みだしな。東の森に行くとしよう」


 「ちゃんと明後日には戻ってきて仕事に行けよ。じゃないとまたお前の上司の髪の毛がまた抜けるぞ」


 「オレがいた方が髪の毛が抜けるんじゃないか」


 「お前が原因だという自覚あんのかい」


 

 ***


 さてそんな感じで森の中にきたわけだが、完全に迷子だ。もはやどっちから来たかもわからない。


 オレは拾った棒を頼りに進んでいた。


 その目撃したというハンターから大まかな場所を聞いてきたのだが、現在地がわからない現状ではやはりそれも無駄なこと。


 「木登りでもするか」


 オレはこの辺でひときわ大きい木をみつめながら呟いた。木に登って上から景色を見る。そうすれば町の場所ぐらい見えるだろう。問題は木登りなんてできないことだな。子供の時にもっと外で遊んでおくべきだった。


 そこへドシンドシンと地響きがおこる。獣の鳴き声が聞こえ、獣の臭いが鼻につく。


 振り返ると茂みからのっそりと魔物が現れた。黒色の毛に大きな体躯、鋭い爪に獰猛な性格。クラッシュグリズリーという魔物だ。一体どれだけ何かを壊したらその名がつくのか。


 「ガァァァァァァァァァァァ!」


 クラッシュグリズリーは後ろ足で立ち上がると、空に向かって吠えた。あるある。突然名状しがたい感情空に向かって放ちたいことあるよね。青春だね。


 「グワァァァァァァァァァァァ!」


 振り回した爪が近くの木にあたる。木は簡単にえぐられてその身を大地へと伏す。あの一撃がオレに当たったらどうなるだろうか。凄惨だね。


 「ガウワァァァァァァァァァァ!」


 クラッシュグリズリーがオレに向かってとびかかる。それはまるで久しぶりに再会した恋人のような勢いで。恋人いたことないから、知らんけど。


 「〈眠りスリープ〉」


 ガクリとクラッシュグリズリーの四肢から力が抜けた。


 盛大に地面に打ち付けられるが、相当丈夫だというので心配ないだろう。お気持ちは嬉しいんですけど、強引な人はちょっと……と一声謝ってからオレは歩き始める。


 ここら辺はクラッシュグリズリーの縄張りでオレがお邪魔したのかもしれないしな。


 しかしこれでは明日の仕事に戻れるかもわからんな。これは事故だから仕方がないやつだと笑って許してもらえないだろうか。ダメだろうな。


 オレはそんな益体もないことを考えながら、森の中を突き進むだのだった。


 目指すファントムシープ、もしくは人里。


 

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