騎士と鬼と真夜中の密談

やよ

『騎士と鬼と真夜中の密談』



 彼らはいつも、真夜中に逢う。

 街から離れた山の奥。里から離れた山の奥。どちらから見ても等しく、自らの生活や親しい人々から離れている。であればそれは、一種の異世界と呼べるのかもしれなかった。



 ルインツァー王国の王都から馬を飛ばして一刻ほどのところに、深い森を湛えた山がある。

 夜になると魔物が横行し人心を惑わす、という噂から、日が落ちてからここに足を踏み入れようとする者はいない。しかし、日付の切り替わった真夜中、魔物さえ眠っているかもしれない闇の深い時刻に、ひとりの騎士が山へと入っていった。

「ここで待っていておくれ」

 騎士は、手頃な木に馬の手綱をくくりつけ、声をかけると、山へ入っていった。

 騎士は魔法剣士でもあるため、《暗視》の魔法を使いながら山道を登った。これを目にかけると、闇夜が薄暗い夕暮れ時くらいにまで明るくなり、夜でも歩くことができる。

 もう何度も通った道だ。迷うことも、急な石に躓くこともなく、山の奥を目指した。

 やがて、薄い霧が立ち込めてきた。

 〝妖術〟による霧だ。

 この山には、魔物だけでなく、他にも人知れず住んでいる者達がいた。

 もはやお伽噺でしか聞くことのない亜人族――鬼族オ-ガである。

 鬼族は、古い時代にはともに魔族と戦ったこともある、親交深い種族だった。魔族の脅威が失せると、ヒト族は強靭な肉体と妖術を操る鬼族を恐れ、鬼族はヒト族に見切りをつけ、疎遠になっていった。

 今では、ヒト族のあいだでは、鬼族は恐ろしいもの、人を喰らうもの、と言われている。

「悪いことをしたら鬼族が来て、食べられてしまうよ」――子供の頃、そんな風に脅かされたものも多いだろう。

 身近な存在だけれど、誰も見たことがない、お伽噺のなかだけの存在。

 そんな風に、レインも思っていた。

「――動きはあったか?」

 葉の生い茂る木の上にレインが声をかけると、闇が応えるように返答があった。

 低く、どこか恐ろしげな響きを持った、男の声だ。

「――いいや。ここのところは、様子を見ることに決めたようだ。街に密偵らしい姿もなかった」

「そうか……。しかし、ルインツァーが不安定な今が絶好の機会だろうから、きっとなんらかの動きがあるだろう。〝あの方〟とは、接触できそうか?」

「渡りはつけてある。期日までに間に合うかは、五分五分だがな」

「報酬ははずむ。必要なものがあれば取り寄せる。一刻も早く頼む」

「鬼使いの荒いヒト族様だな」

 いつも逢うのは真夜中。聞こえるものは、葉の擦れる音と互いの声だけ。

 レインは懐から小さな麻袋を取り出して、上へと投げた。

「今回の代金だ」

 受け取って、中をあらためると、宝石の粒が幾つか入っている。

「……いつも言うが、報酬なんてものは要らないんだぜ」

「見返りのない仕事は、信用できないとまでは言わないが、不安なんだ。宝石なら、君達の世界でも使えるだろう。きちんとしたものだから、安心してくれ」

 鬼族の男は、キュッ、と小さな麻袋を握った。

「……なら、もらっておく」

 それからふたりは、少し話をした。

 王都に大道芸一座が来たとか、川の魚が食べ頃だとか、新しい品種の馬が出たとか。

 政治や経済、国の統治にも話は及んだ。

 立ち話のようなものだ。街角でばったり遭った友人同士が立ち話をしているようなもの。

 片方がヒト族でもう片方が鬼族。場所が真夜中の森の中、でなければ、何も可笑しくはない。

 しかし、そうであるなら奇怪な状況だろう。――それでもそれは、少なくともレインにとっては安堵できる時間だった。

 梟の鳴き声が聞こえて、レインは予定より時間が経っていることに気づいた。

 これ以上長居すると、明日からの仕事に支障をきたす。

「今日はこれで帰るよ……またな」

 レインが踵を返して、去っていく。

 木の上の気配も、いずこかへと消えた。




 鬼族オーガの男は、名を琅鬼ロウキといった。

 里長にも一目置かれるほど里の者達から信頼されている父の性質を受け継いだか、琅鬼も若い男達のあいだで慕われ、狩りの際には先頭に立っている。

 鬼族の里は、閉鎖的だが自然に恵まれ、穏やかな時間が流れている。

 ヒト族のあいだでは、鬼族は人を喰らうなどと言われているようだが、それはお伽噺で、ヒト族を食べようとする者など里にはひとりとしていないし、喰ったという話も聞いたことがない。肉は猪肉が一番だ。

 里での暮らしに不自由はない。いつかは嫁を娶って、子を成して、その子もまた、この里でそうやって生きていくのだろう。

 父のごとく峻厳とし、母のごとく温かい山に抱かれながら生きる。それを不満と思うことは、琅鬼にはなかった。

 しかし、琅鬼はひとつだけ、仲間にはない習慣を持っていた。

 夜中に、森を回って歩くことだ。

 趣味と言えるかもしれない。鬼族は夜目が利くので、暗闇を歩くことは容易たやすい。ある夜、ふと、夜の静寂しじまやひんやりとした空気を感じたくてフラリと里を出てみたのだが、そのまま習慣になってしまった。

 ただ、歩いて帰ってくるだけ。

 そんなある日、いつもと違うことが起こった。

(……魔物の唸り声がするな)

 遠くから声が聞こえることに気づき、琅鬼は足を止めた。

 夜行性の魔物は、躰が小さかったり飛べたりするものが多い。大型の魔物が活動している昼に眠り、夜に動くのだ。唸り声を発するような大型の魔物は、今の時刻はほとんど眠っている。

 大物の魔物同士が争っているのだろうか。それならそれで見物みものだ。漁夫の利で琅鬼が両方仕留めてもいい。

 そう思ってそちらへ向かうと――そこには、思わぬ〝生き物〟がいた。

「――あちらへ行け。向かってくるな」

 真っ暗闇のなかで見えたのは、鬼族と似ているようで、非なるものだった。

 初めて見る、ヒト族だ。

 鬼族なら、額にツノがある。それに、妖気をまとっている。

 木の下で小さな獣を庇っているその男には、ツノや亜人族特有の身体的特徴がない。そして、妖気の代わりに「魔素」を秘めていた。

(ヒト族がこんな夜中にこの山奥に来るとは、奇妙な話だな。それに、獣を庇ってやがる。腕に覚えがあるのかもしれんが……放っておけばいいものを)

 小さな獣のために魔物と戦うとは。酔狂なことだ。

 男が、手のひらに火を生じさせた。青白い炎。

 危険性を察知したのだろう。魔物がジリリ……と退きはじめた。

 頭のいい魔物ほど、勝てる見込みのない戦いはしない。

 やがて魔物は、闇のなかへと去っていった。

「……お前も、家族のもとへお帰り」

 ぷるぷると震えていた獣は、飛び跳ねるように、魔物が去ったのとは逆のほうへと逃げていった。

「こんな時間に起きている獣や魔物もいるんだな」

手前てめぇがそれを言うかね)

 琅鬼は、木の上で腕組みをしながら、心のなかで呟いた。

 ヒト族は鬼族よりずっと脆弱だという。適度に眠らなければ身体は弱るはずなのに、何故こんな山の奥へ来たのだろう。

 男は、高級たかそうな剣を鞘にしまった。

 いい身なりをしている。マントも服も、琅鬼が知るどんな服より上等だ。絹、革をふんだんに使い、刺繍も凝っている。布でできているような鬼族の里の服とは雲泥の差。まさしく世界が違う。

(そんなヒト族様が、こんな山奥になんの用だ?)

 もし、鬼族の里を探しているのだとしたら。

 里の者として、見過ごすわけにはいかない。

 すぅ……と、琅鬼は息を吸いこんだ。

『……コノ山ニ、何用ダ』

 声を変えて木上きじょうから話しかけると、ヒト族の男が驚いて硬直した。

「だ……誰だ!?」

『コチラノ問イニ答エロ。コノ山ニ、ナンノ用デ踏ミ入ッタ』

 ごくり、と、男は唾を呑んだ。

「……この山に棲むという、鬼族か……?」

 琅鬼は答えない。

 男は頭上を振り仰ぐように、顔を上げた。

「誤解しないでいただきたい。私は、眠れず遠乗りをしていてここに着いただけだ。貴方がたの棲み処を探すつもりはない。……しかし、気分を害したのなら申し訳ない。山を下りることにしよう」

 男の言葉に嘘はないようだった。

 そのまま、山を下りようとしている。

 その背に、なんとなく琅鬼は声をかけた。

「……ここには危険な魔物もいる。ただの好奇心で、入るものじゃないぜ」

 まるで同年代のような男の声が聞こえて、男はハッと振り返る。

 琅鬼は振り返ることなく、里へ帰っていった。

 初めて見た、ヒト族。小さな獣を庇って魔物と戦う変な種族。

 もう二度と、遭うことはないのだろうが。

 話は、通じそうな相手だった。




 考えとは裏腹に、そのヒト族は再び山へとやってきた。

 同じ夜更けである。

「いるか?」

 まるで、琅鬼の姿が見えているかのように、男は木の上に向かって声をかけてきた。

 辺りは真っ暗闇である。

「先日は、申し訳なかった。むやみにここの生態系に干渉して。その詫びというわけではないんだが……酒を持ってきたんだ。受け取ってもらえないだろうか」

 姿を見せる気にはなれず黙っていると、男は「ここに置く」と言って、木の袂に酒の瓶を置いた。

 そして自分は、その横に座った。

「君は、この山奥に棲むという鬼族オーガか?」

 だったらなんだ、と、琅鬼は胸の内で呟いた。

「俺は、レイン。ルインツァー王国騎士団所属の騎士で、レイン・ロー=アンブラという」

 琅鬼は、腕を組み、木の下から話を聞いた。別に酒に釣られたわけではないが。

「この山向こうに、ガノーヴァという国があるだろう。ルインツァーとガノーヴァは、建国時から仲が悪くてね。意気投合したためしがない。先日、我がルインツァーの国王が崩御なさった。幼い王子が玉座についたが、国内は落ち着かない。これをガノーヴァが狙うのではないかと思ったら気が気でなくて、遠乗りをしているうちにこの山に着いた。それ以外の他意はないんだ。そしてできたら、また立ち寄らせてもらえないだろうか。……ここの闇夜は、心地好い」

 それは、琅鬼にもわかる気がした。だからこそ琅鬼も、真夜中に山を散策する習慣できてしまったのだから。

「また来るよ」

 男が去ると、琅鬼は地面へと下りた。

 取り上げた酒は入れ物からして見たことがないものだった。

 琅鬼がよく飲む、稲を使った酒とは別物だったけれど、果実の渋みが舌に心地好い、いい酒だった。



 琅鬼が散策に出ると、何度かに一度の確率でレインと遭遇した。

 いるかどうかもわからないのにひとしきり話して帰っていくが、また来る。やがて、琅鬼のほうも面倒になって、声をかけた。

「……こうも何度も来るとは、酔狂なヒト族様だな」

 レインは、パッ!と嬉しそうな顔を上げた。

 彼らは、少しずつ打ち解けていった。

 名を交換し、生い立ちを話した。いつも木の下と上だったけれど、見えないからこそ種族の差を感じさせず、同年代の男同士のように話すことができた。

 それでいて、住む世界が違うからか、物珍しい話が飛び出してくる。石造りの屋敷、街の中を流れる川、稲という作物の収穫、年に一度の年越しの祭り――。

 騎士団という組織に所属しているレインは、気詰まりなことが多く、息抜きがしたいのだろう。琅鬼と話している間は始終楽しそうだった。

 ある夜、激しい雨が降った。

(さすがに今夜は、来ないだろう)

 里の屋敷の中から、琅鬼は冷たそうな雨を見上げた。いくらなんでも、こんな夜に山道を登ってくるとは思えない。自分も、こんな夜に散策に出るほど、物好きではない。

 だが、なんとなく嫌な予感がして、念のためにと、家族が寝静まった頃に屋敷を出た。

 すると、いつもの木の下に――雨具を被りながらうずくまっているレインがいた。

「……おい! お前、なんだってこんな夜にまで――」

 琅鬼は初めて地面に下り、うずくまっているレインの肩を揺すった。

「……王宮に、ガノーヴァから使者が来た」

 ぽつりと、レインが言った。

「新王への貢ぎ物にと、ルインナの肉を寄越してきた」

「それがどうし――」

「ルインナは、我が国の紋章に刻まれている聖鳥だ。どうしてその肉を贈ってきたんだ? ガノーヴァは、ルインツァーを狙っているんだろうか。わからない……戦が始まるんだろうか……」

 レインの抱える恐怖の欠片が、琅鬼の胸にも刺さってきた。

 友情を感じているわけではない。種族が違うのに、友人になれるとは思えない。そんな話は聞いたことがない。そもそもヒト族と鬼族はずっと分かたれてきたのだから。

 けれど、雨に打たれながら痛ましく膝を抱える騎士を、放っておくこともできなかった。

「……山向こうになら、行けないこともねぇ。少し、調べておいてやるよ」

 レインが顔を上げたとき、そこにはもう何者かの気配はなかった。



 それからふたりは、森のなかで密談を交わすようになった。

 琅鬼は昼のあいだにガノーヴァで情報を得て、レインに渡す。レインはその情報料に宝石を渡す。お互い、姿を闇夜に溶かしながら。

「君が協力してくれて、助かっているよ」

「そう思うんなら、次は酒も頼むぜ」

「わかったよ」

 そして時々、笑い声を響かせながら――。



 レインは、いつものように琅鬼との密談を終えると、なんとなく背後を振り返った。

 レインは、琅鬼の姿をまともに見たことがない。

 けれど、ただの一度だけ、その「眼」を見たことがあった。

 初めて宝石を渡そうとしたとき、彼が木の上から下りてきたのだ。

 深い闇のなか、その眼だけがぼんやりと光っていた。

 きっと、鬼族特有のものなのだろう。どんな宝石よりも妖しい輝きを放つ、みどりの眼だった。ひと目でヒトとは違うとわかる。恐ろしい、と思う者もいるだろう。

 レインは、恐ろしいとは思わなかった。

 哀しい、と思った。

 鬼の眼よりも、今は、人の心の闇のほうが恐ろしい。

 どうして人は争うのだろう。鬼とさえ、こうして解かりあえることもあるというのに。

 答えも出ず、山を下りる。心地良い静寂に背を向けて。



 琅鬼がレインの前に頑なに姿を見せなかったのは、恐ろしかったからなのかもしれない。

 ヒトと大きく異なる自分の姿を見たら、恐れられるのではないか。そんな思いが、常にあった。

 一度だけ、レインの前に姿を現したことがある。

 夜目は利かないようだが、真夜中の山を登ってくるくらいだから、なんらかの方法でレインも夜を見通していたのだろう。

 自分を見て、怯えるか、嫌悪するか。

 そのどちらでもなかった。

 何故だか――哀しそうな顔をした。

(ヒト族ってのは……複雑だな)

 自然に抱かれ、あるがままに時を享受する自分達とは何かが違う。何かを背負い、潰されそうになりながら、山を登っている。そして下り、また登るのだ。際限なく。

 だからこそ理解できるものがあり。

 だからこそ理解できないものがある。

 琅鬼はヒトではないから、いずれも理解はできない。

 だが、レインの来訪を受け止めることはできる。

 鬼さえも夢に落ちるこの真夜中の密談があの騎士の荷を少しでも軽くするのなら、もう少し手伝ってやるのも、悪くはない。その感情が友愛と呼ぶことを、知らなくても。



 願わくば、いつかすべての夜に安らぎを。

 見るものがよい夢だけであるように。







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騎士と鬼と真夜中の密談 やよ @futsukaduki

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