第28話 経済封鎖


ジュリアンは戦争に行ってしまった。もう、カエルの世話をすることもない。そもそも彼は人間の姿に戻ったのだから、今まで使っていた水槽や漏斗などの飼育用具は不要だ。


けれどわたしはそれらを捨てかねていた。だって、人生で一番幸せな時間、わたしのそばにあったから。ジュリアンと一緒だった大切な愛しい時間に、いつも身近にあったものだから。



モランシー公国を、再びスパルタノス軍が攻めてくることはなかった。父の軍は、シューヴェンの要塞の包囲を開始した。敵が築いた砦の周辺に塹壕を掘っている。戦闘が始まったら、塹壕に潜って、敵を銃撃するのだ。


シューヴェンの外にいた別動隊……食料その他・現地調達部隊ともいう……は、要塞に戻れなくなってしまった。東へ進むスパルタノス軍本体に合流することはせず、彼らは、ばらばらになってレメニー河を渡り、河の西側へ戻っていった。その中には、あの黒髪口髭の将軍の師団も混じっていた。


この情報は、出発前にジュリアンが教えてくれた。レメニー河の下流から、カエル達の伝言リレーで伝えられてきたという。ジュリアンのお友達が齎してくれた情報だ。

本当に彼は、人望(?)のあるカエルだった(不吉じゃないわよね? ジュリアンは人型に戻ったのだから、過去形にしてもいいのよね?)……。


帰国した略奪部隊の連中が、フェーリアの守護魔法の恐ろしさを、スパルタノス中に喧伝してくれるといい、とわたしは思った。

決してわたしの失敗を吹聴して欲しくはなかったが。



つまり、何が言いたいかと言うと、わたしは暇だった。

敵は攻めてこず、世話をすべきカエルはいなくなり……。

ジュリアン。

どうしているのかな。

大丈夫、彼はもう、カエルじゃないもの。

きっと無事に帰ってきてくれると信じているよ。

会いたいな。会いたい……。



「コルデリア!」

ドアがばんと開いた。フェーリアだった。この城の方が国境に近いと言って、彼女は修道院を出て、小川の城で暮らしているのだ。

軍を引き連れてきたので、城はまるで、駐屯地のようになっていた。


何度言ってもノックをしない彼女は、部屋の中のわたしを、呆れたような顔で見た。


「何をほやほやしている? ん? それは何だ?」

「こっ、これは!」

わたしは慌てて前に立ち塞がり、背中に隠そうとした。しかし、一瞬遅かった。


「おや、それは、私が作ったものじゃないか! 懐かしいなあ。子どもの頃に作った恐竜だ」

昔から、フェーリアは、手先が器用だった。特に針金細工が得意で、いろんなオブジェを造るのが好きだった。

「恐竜じゃないから!」

わたしはむくれた。

「カエルだから!」


「いや、恐竜だ。たしか、オビラプトルだったはず。製作者が言ってるんだから間違いない」

「今は、アマガエルなの!」


「恐竜が進化した子孫は、鳥だぞ? 両生類ではなく。カエルは、恐竜時代にはすでに存在していたのだ。その後、恐竜の大絶滅も生き延び、爆発的な多様性を獲得、現在まで生き残っている」

「へえ。そうなの!?」


思わず話に釣り込まれてしまった。

油断していた。


フェーリアはさっと、わたしの後ろから、針金細工を取り上げた。

「ゴミかな? わたしの傑作を、膜が覆っているぞ」


「あ! 返してよ!」

「コルデリア、お前、このゴミに頬ずりしてたな? 大丈夫か?」

「ゴミじゃないから! 返して! それ、返してよ!」


大切な宝物を取り上げられ、半狂乱になってわたしは叫んだ。

わざとらしく、フェーリアがため息を吐いた。


「ゴミに頬ずりとは。かわいそうに、きっと疲れてるんだな。オウム先生に言って、魔術のレッスンの手加減をしてもらおうか?」

「余計なお世話よ!」


飛び上がり、わたしはフェーリアの手から奪い返した。

ジュリアンの脱皮の皮を。


「ああ、あ。ムキになっちゃって」

フェーリアがにやにや笑っている。彼女は、これが何であるか知っているのだ。


わたしの頬に血が上った。

「フェーリアこそ、こんなところへ、何しに来たのよ! ここはわたしの部屋よ。貴女、暇? 暇なのね!?」


「暇ではないぞ」

フェーリアの顔が、さっと引き締まった。

「ロタリンギアのデズデモーナから至急便が届いた。只今から、閣僚、将校を集め、会議を行う。コルデリア、お前も来るように」


デズデモーナは、フェーリアの双子の姉だ。ロンバット王から離婚された後、ロタリンギア王の4人目の妃となった。つまり、ジュリアンの義母だ。


先に立って、フェーリアは歩き始めた。わたしは慌てて、異母姉の後に続いた。







「ロタリンギア王国は、スパルタノス帝国に対し、経済封鎖を行うことにした。同盟国として、モランシーは、同帝国に対する経済制裁に参加する。今後、スパルタノスとの貿易は、一切、認めない。輸出、輸入ともにだ」


デズデモーナからの手紙を読み上げた後、フェーリアは宣言した。

ざわざわと、国の重鎮たちはどよめいた。


声を張り上げ、フェーリアは続けた。

「なお、モランシー周辺の公国、領邦も、この封鎖に参加する」


「レメニー河東側諸国が一丸となって、軍事帝国スパルタノスに立ち向かうわけですね。胸が躍ります」


真っ先に賛意を表明したのは、駐屯部隊司令官だった。

同時に彼は、疑念を表明した。


「しかし、ロタリンギアは豊かな農業国家です。輸出入を止められたとて、困ることはないのでは?」


「食料はな」

にたりとフェーリアは笑った。

「だが、たとえば鉄鋼や硝石の輸入ができなくなったらどうする?」


「なるほど。鉄や硝石……武器の原料か」


鉄は、大砲や銃、船を造るのに必要だ。硝石は、火薬の原料となる。

司令官に向かって頷きかけ、別の書類を、フェーリアは取り出した。


「ロタリンギアのエーリッヒ宰相からの報告書だ。これによると、スパルタノスの鉄の備蓄は突きかけているという。レメニー河を超えて攻め入ってくる前から、あの国は、西のエーデル王国や島国のアゲイル国と戦っていたからな。その上、徴兵制に反対する国民が、あちこちで蜂起を起こしている。これの鎮圧もしなければならない」


「硝石については、スパルタノスにおいて、国内生産が可能なのでは?」

補佐官が問う。

「硝石は、人や家畜の排せつ物や、草などが、土壌で分解されることにより、造ることができます」


フェーリアは動じなかった。

「わがモランシーもそうだが、国内製硝石は、南の大陸からの輸入品に比べ、遥かに品質が劣る。その上、スパルタノスでは、ここ数年、雨が多かった」


硝石は、水に溶けやすい。

湿潤なわがモランシーでは、硝石の殆どを、乾燥地帯が広がる南の大陸からの輸入で補っている。


「南の大陸とスパルタノスの交易については、アゲイル国が、巡回船を使って、海上封鎖を行っている。そもそもこの経済封鎖作戦は、アゲイルの発案なのだ」


アゲイルとスパルタノスは、スパルタノスが軍事帝国になる前からの、いわば、天敵同士だった。



「輸出ばかりでなく、輸入も制限するとなると……わがモランシーでは、農畜産物の多くを、スパルタノスから輸入しています。我が国の食料事情に打撃があるのでは?」

心配そうに大臣が口を出した。


「食料に関しては、ロタリンギアからの輸入が増大する見込みだ。スパルタノスに輸出していた分を、モランシー及び周辺領邦へ回してくれるそうだから」


フェーリアが答え、安堵の色が、大臣の顔に浮かんだ。


「ただし、」

フェーリアの声は思いがけず響き、集まった人々は、ぎょっとした。

「ただし、白いパンは、今までほど食べられなくなると覚悟してほしい。ロタリンギアの主食は、ライ麦とジャガイモなんだ」


緊張がほぐれた。

モランシーの土壌も、ロタリンギアと似たようなものだ。国民の主食は、ライ麦とジャガイモで、白いパンは、特別な時にしか食べられていない。


「パンは白くなくても我慢できます。それに、スパルタノス自身も打撃を蒙るのですからね。食料の輸出ができなければ、外貨獲得が困難になるわけですから」


「そういうわけだ」


大臣はすっかり納得したようだった。



「はいはいはい!」

わたしは手を上げた。途端に、フェーリアは不機嫌そうになった。

「なんだ、コルデリア。大事な会議中だぞ?」


いや、その大事な会議に、わたしも参加しているんですけど。

もっと言えば、会議に参加するよう、わざわざ迎えに来たのはフェーリア自身なんですけど!


「モランシー領土内の空いている土地に、畑を作りましょう! ジャガイモを、もっともっと、増産するのです」

「お前は今の話を聞いていなかったのか? 食糧なら、ロタリンギアから輸入すると……」


「食べ物は大事!」

金切り声で叫んで、わたしはフェーリアを黙らせた。

「河のすぐ向こうのスパルタノスと違い、ロタリンギアは遠い。しかも陸路です。何かあった時でも“食”だけは守らねば。食料は自給自足できるよう、体制を整えておくべきです!」


食料不足なんて、まっぴらだわ! 


「お腹を空かせて死ぬなんて、そんな残酷なことを、わが民に強いるわけにはいきません!」


「なんだかんだ言って、自分がいやなのだな。子どもの頃から、お前は意地汚かったもんな。よく私のおやつを横取りしたもんな」

フェーリアがぶつぶつ言っている。


「いや、コルデリア姫の言うことにも一理ありましょう。幸い、モランシーには遊んでいる土地がどっさりあります。ここは、銃後の民が一丸となって、開墾に勤しむのがよろしいかと」


わあい!

大臣から褒められた!

初めてだわ!


「勝手にするが良い」

苦虫を噛みつぶしたような顔で、フェーリアは吐き捨てた。








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