第2章 レメニー河の歌

第21話 軍靴の響き



悠々と流れる大河、レメニー河。

その東には、わたし達のモランシー公国やイヲの母国シューヴェン辺境伯領、それに、ジュリアンの母国ロタリンギアなどの国々が、細かく領土を分かち合う。



そして、河の向こうの西側には、広大なスパルタノス帝国が広がっている。スパルタノスは、将校出身の皇帝による軍事帝国だ。

皇帝位は、つい最近、世襲制になった。つまり、それだけ、皇帝の権力は安定し、強大になったわけだ。


昔からスパルタノスは、虎視眈々とレメニー河東側の諸国を狙っていた。今までは表立っての軍事行動は控えていたが、皇帝が世襲となり、ついに、最後の一線を超えた。

スパルタノス帝国軍は、モランシーの北のシューヴェンでレメニー河を渡河してきた。そのまま西へ進めば、ロタリンギアの首都ローレンだ。



河の東岸では、ロタリンギア王国が中心となって、対スパルタノス同盟が結成された。防衛協定に基づいて、わがモランシー公国もこの同盟に加盟した。







北から、続々と人や馬車が避難してくる。

シューヴェンで渡河したスパルタノス軍は、そこに要塞を造り、レメニー河東岸進出への足掛かりとした。

彼らは、食料などの物資を現地調達することで有名だ。略奪をされる前に、住民たちは、自ら家を焼き払い、南へ逃げてきたのだ。


先頭を、一大の馬車が走っている。紋章は外してあったが、わたしにはすぐにわかった。あれは、シューヴェン辺境伯家の馬車だ。イヲの馬車だ。



「コルデリア!」

転がるように、イヲが、馬車から下りてきた。


「ああ、イヲ! 無事で!」

胸がいっぱいになり、わたしは叫んだ。


「当たり前よ。統治者の一族が死ぬようでは、戦いは負けよ!」

イヲは不敵に微笑んだ。彼女の家の領土は、その大半を、スパルタノスに占領されてしまったのだけれど。

「まだ、勝ち目はあるわ。ほら。シューヴェン辺境伯家の財宝が、ここに!」


古ぼけた馬車には、宝石や金、王冠や宝剣など、シューヴェンの財宝がぎっしりと詰め込まれていた。いずれもすぐに換金できるものばかりだ。


「これさえあれば、シューヴェンはすぐに復興できる」


「避難してきた民のことは任せて。宿と食料、必要な人には医療を提供するわ」

力強く、わたしは請け合った。いまのところ、それくらいしか、わたしにできることはない。


「ありがとう、コルデリア。辺境伯と妃は捕虜になったわ……私の父と母は」

いつだって強いはずのイヲの目に、涙が浮かんだ。しかし、それは零れ落ちることはなかった。強く、彼女は、首を横に振った。

「あんまりゆっくりしてられないの。敵はシューヴェンの財宝を欲しがっているはず。あなたの国を巻き込むわけにはいかないわ」


「水臭いことを言わないで。一緒に戦いましょう!」


「コルデリア……」

再び、イヲの目に涙が浮かんだ。だが今回も、それが彼女の頬を流れることはなかった。

「ここにはシューヴェンの民がいる。もちろん、モランシーの民も。民間人を戦いに巻き込んだりしたら、為政者として最低だわ。それだけはできない」


シューヴェンの財宝を守る為に移動を続けると、イヲは言った。


「でも、どこへ?」

「わからない。とにかく動き回るの。そこが肝心」

どうやらイヲは、財宝を積んだ馬車に乗って、大陸中を逃げ回るつもりのようだった。


スパルタノスは、レメニー河を東へ渡河してしまった。母なるレメニー河は、西の強敵から、わたし達を護ってくれなかったのだ。


「ぎりぎりロタリンギアの首都ローレンまで。それより東へ、スパルタノス軍の侵攻を許してはならない」


不意に下から声が響き、わたしとイヲは飛び上がった。

カエルのジュリアンだった。つややかなエメラルド色に輝くジュリアン。彼は、いつの間にか、わたしの上着のポケットに入りこんでいた。


「ジュリアン! あなた、昔の知り合いに会いたくなかったんじゃ……」


「ケロケロ」


ポケットの縁に水かきのついた両手を掛け、顔を外に覗かせながら、ジュリアンが鳴いた。


「今はそんなことを言ってる時じゃない。カエルかカエルでないかなんて、どうだっていい。ロタリンギアを信じてくれ、イヲ。僕の国が防波堤となる。だから君は、ローレンより東へ行くんだ」


「わかった。あなたを見直したわ、ジュリアン! 少しは物を考えることができるのね!」

毒舌を吐きつつ、イヲは、泣き笑いのような変な顔を作った。そのまま、再び馬車に乗り込んでいく。


「無事でね、コルデリア。ジュリアン」

「あなたも!」


重い轍の音を響かせ、イヲは走り去っていった。







ロタリンギア王国では、直ちに、ジュリアンの弟アルフレッド殿下の元、軍が編成された。

慌ただしく、ただならぬ気配が、大陸を覆っていた。



モランシーもまた、父を総司令官に、4個歩兵連隊と2個騎兵隊からなる大隊が、北へ進軍することになった。シューヴェンの要塞を包囲し、本国スパルタノスからの補給を絶つ策略だ。






そんなある日、窓の下を、重い甲冑の音を響かせてモランシー軍が通り過ぎてゆくのに気がついた。


「わたしも行く!」


慌てて愛馬に飛び乗った。

出発の日時は秘されていた。取る物もとりあえず、最後尾から、後に続こうとする。


「コルデリア、この、愚か者めが!」

軍の先頭から、風に乗って父の怒声が届いた。

「お前にはお前の義務があろう!」


愛馬が嘶き、前足を上げて急停止した。後ろ足で立ち上がった馬の背から、危うくわたしは振り落とされるところだった。


「モランシーの嫁き遅れの義務を忘れるな!」


雷鳴のような父の罵声が、縦隊を組んで行進していた兵士達の頭上を吹き渡ってきた。


居並ぶ兵士たちの背に、緊張が走った。次の瞬間、ブーツの踵を打ち鳴らし、全軍が回れ右した。

整然と立ち並び、兵士たちは、わたしと向き合っていた。わたしと軍の間に、レメニー河の河風が吹き渡った。


最後尾には、騎上の司令官がいた。彼は抜刀し、抜身の剣を頭上で打ち鳴らした。モランシー軍における、最高の敬意だ。


「公女コルデリア。留守を頼みましたぞ」

それを合図に、口々に兵士たちが叫ぶ。


「幼いわが子を」

「老いた父母を」

「妊娠中の妻を」

「牧場の羊を。アヒルを」

「懐かしい、古いわが家を!」


「どうか、頼みましたぞ」



そうだ。モランシーの公女には、務めがある。魔力で結界を張り、領邦を守護するという、聖なる務めが。


魔力が使えるのは、モランシー家の人間だけ。敵が攻めてきたら、公民の楯となるのは、守るべき自分の子を持たない、独身の公爵令嬢なのだ。

3人の異母妹達は、まだ幼い。今、領邦守護の任を負えるのは、わたしと、異母姉のフェーリア(ロタリンギアへ嫁いだデズデモーナの双子の妹)のみだ。



「わかったか。今度ばかりは、失敗は許さぬぞ!」

再び父の怒鳴り声。さっきより小さい。最前列は、既に行軍を再開しているのだ。


「全軍回れ右! 前へ進め!」


一糸乱れず、まるで何事もなかったかのように、モランシー軍は、行軍を再開した。








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