第20話 王太子と宰相と




「いやだよ。イヲ・ヴォン・シューヴェンには会いたくない」

水盤の岩の上で、ジュリアンが駄々をこねている。

「イヲって、学園で一緒だった、あの子だろ? 背が小さくて、頭のてっぺんで輪っかを二つ結っている」


「そうよ。わたしの友達よ」

肯定してから、わたしははっとした。

「ジュリアン。あなたなぜ、彼女の名前を知ってるの?」

だって、シューヴェンでは女性は、身内(この中には、著書の愛読者も含まれるらしい)の他には、恋人か婚約者にしか、自分の名前を教えないって、イヲは言った。


わたしは、イヲを信じている。イヲはわたしの大切な友達だ。

でも、もし万が一、親友に大切なカエルを略奪されたら……。


「普通に学生名簿を見たんだけど」

「あ、そうなの?」

「卒業生名簿にも載ってるよ」

「ふうん」


「会いたくない」

つるんとした顔を撫で、ジュリアンは背を向けた。取り付く島もないとはこのことだ。


そこへ、メイドが水を湛えたボウルを運んできてテーブルに置いた。冷たい水にわたしは右手を浸す。

「ねえ、お願い。わたしの大事な友達に会ってあげて」

カエルは、熱が苦手だ。ボウルの水で充分に冷やしたてのひらを、そっと岩の上に横たえた。カエル座りをしているジュリアンの、すぐ横だ。

「さあ、どうぞ」


いつもなら、ジュリアンは、大喜びでわたしの手に乗ってくる。ところが、この日は、つん、と背中を向けたまま、見向きもしない。


「お乗りなさいな」

「いやだ!」


ぴょん、と跳ね、水に飛び込んだ。あんまりに露骨に逃げるので、わたしは呆れた。

「だって、イヲは、ジュリアンの学友でもあるわけでしょ? お友達は大切にしなくちゃ」


「だからだよ」

泳ぎながら振り返ったジュリアンは、今にも泣きそうだった。

「こんな姿になった僕を、知り合いには見られたくない……」


そういえば、ジュリアンったら、前は、金髪碧眼の王子だったわ。それが、今じゃ、手のひらに乗るくらいの小さな青いカエル。


「いいえ。今のあなたの方が魅力的。前よりずっとずっとイケテるわ!」

なぜ同窓生に会うのを恥ずかしがるのか、わからない。


「コルデリア……」

水の中でジュリアンは、大きな目を瞠った。黒い瞳が、とってもキュート。口の両端がきゅっと上がっているのも、チャームポイントだわ。


「僕は、君だけのカエルでいたい。いけないだろうか?」

殺し文句だった。わたしは、砂だらけになった手を、水槽から引き上げた。







「でね。お肌がつやつやしていて、ぷるりん、って水をはじくの。目の縁は金色で、黒い瞳に光を反射してきらきら光るの。時々わたしの顔が映ったりすると、もう……」


ジュリアンが会おうとしないので、わたしはイヲに、彼の愛らしさを伝えるのに、躍起になっていた。


「いつも喉がひくひく動いているのよ。きりっとしている時は、お口の真ん中がきゅってすぼまってるんだけど、時々、ぽかん、ってしている時もあって、そういう時は、お口が開いててね。舌がのぞけてるの! これがもう、きれいな濃いピンクの、それはそれはチャーミングな舌なの! 摘まんでみたら結構肉厚で、」


「えっ!? 摘まんだの? 彼の舌を?」

「うん。ぷにゅってしてて、可愛かった。ジュリアンったら、びっくりしたみたい」

「……そりゃ、そうでしょうよ」

「その舌でね。目にも止まらぬ早業で虫を捕まえるの」


「なんですって!」

イヲは本気で怒っていた。

「虫がかわいそうじゃない!」


わたしは慌てた。

「安心して、害虫よ。ジュリアンはベールゼブフォ(悪魔カエル)じゃないわ。彼は、わたしの騎士なの。わたしに寄り付いてくる悪い虫を、退治してくれるのよ!」


「コルデリア」

イヲが名前を呼んだ。まじめな声だった。

「それじゃ、まるで恋じゃない」


「ええ! 恋してるわ!」

素直にわたしは認めた。

「わたし、ジュリアンが大好き!」


「やっぱり!」


「カエルの彼は、非の打ちどころがないわ!」

「カエル?」

「カエルよ」

「ジュリアンじゃなくて?」

「カエルのジュリアンなの」


「……むごいことだわ」

ぽつんと、イヲがつぶやいた。

「なんですって?」

急にシリアスになってしまった親友が、わたしには理解できなかった。


深いため息を、イヲはついた。

「いい、コルデリア。怒らないで聞いてね。ここへ来たばかりの頃、宰相の公式発表があったって言ったでしょ。あれには続きがあるの」



 ……「人間の姿に戻る為に、ジュリアン殿下は今、真実の愛を模索していらっしゃる。彼を愛し、人間の姿に戻してくれる、麗しい乙女を探しておられるのだ」


 宰相はそう宣言した後で付け加えたそうだ。


 ……「そして、その旅も終わりに近づいている。間もなく彼は、元通りの凛々しい王子の姿に戻って国民の前に現れるであろう。殿下に今少し、時間を差し上げようではないか。さすれば彼は、父王のように立派にこの国を治めるであろう」



わたしには納得できなかった。

「ジュリアンは、ずっとカエルでいるのよ? だから、ロタリンギアの王位継承権は、弟のアルフレッド王子に移ったはずだわ」

少なくとも、ジュリアンはそう言っていた。


イヲは肩を竦めた。

「宰相は、ごりごりの正統派だからね。王位継承は、長男でないと許されないと主張しているのよ」

声を潜め、付け加えた。

「アルフレッド王子は有能だから。彼が即位したら、宰相は、今までみたく、やりたい放題できなくなっちゃうからね」


「ええと、それって、ジュリアンが王になったら、宰相のやりたい放題になるってこと?」

「そうよ」

「なんで?」

「ジュリアン殿下って、結構アレでしょ? 素直っていうか、人を疑わないっていうか、いっそ、アホ……、」

言いかけて、イヲは咳ばらいをした。

「そんなことはどうだっていいのよ! 問題は、殿下はいつだって、人間の姿に戻れるってことよ!」


「えーと……」

どういうことかしら?


「王妃様がおっしゃってたわ。eiの魔法には解毒方があるって!」



【eiの解毒魔法】

彼が元の姿に戻る為には、女性と臥所を共にすること。



「ジュリアン王子は、彼女を見つけたんだわ!」

「彼女?」

「愛する女性よ!」

「でも、彼にカエルの恋人はいないわ! ジュリアンは……」


混乱し、わたしが言いかけた時だった。


「王女! イヲ王女!」

イヲの付き人が飛び込んできた。


「なんですか、はしたない。モランシー公女と、大切なお話の最中ですよ」

態度をころりと変えて、イヲがたしなめた。しかし、付き人は、完全に動転していた。

「早馬が来ました」

「馬? 牛ではなくて?」

「呑気に牛に乗ってる場合じゃないんです、早馬です」

一息に付き人は叫び、続けた。


「大変です! スパルタノス帝国軍が、シューヴェンの対岸に集結しています。やつら、レメニー河を渡河し、われらがシューヴェンへ進軍するつもりです!」


「なんですって!」

イヲの顔色が変わった。


「一度、国へお戻りを。父君がお呼びです」

付き人の声は切迫していた。


無言でイヲはわたしを見た。その目は、呆然としたように見開かれていた。







波乱は、軍靴の響きとなって、迫ってきた。

西の大国スパルタノス帝国が、レメニー河を越え、侵略してきたのだ。







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