第14話 追加の託宣


喚き合う尼僧長とわたし、ジュリアンの鳴き声と、窓の外から聞こえるカエル達の大合唱。大変な混乱の中へ、副尼僧長が、飛び込んできた。


「コルデリア様! 神様から、追加の御託宣が!」


賢くも彼女は、耳にイヤーマフを当てがっていた。スパルタノス製で、高性能のやつだ。


「追加の御託宣! して、神はなんと?」

尼僧長が尋ねる。噛みつくような声だ。

慌てず騒がず、副尼僧長は応えた。

「頭に響く、静かにしろと!」


わたしと尼僧長はともかく、下界でこれだけカエルが鳴けば、天上の神様も、そりゃ、うるさいわよね。

わたしは納得した。


「コルデリアを侮辱するからだ! かわいいコルデリア。ステキな女の子……」

一際大きな声で、ジュリアンが鳴き喚く。


「ジュリアン様、あなた、目がついてます?」

尼僧長は不安げだ。


「ゲロゲロ! ゲロゲロ!」



「あの、ですね! 神は、こう、おっしゃっています」


尼僧長の声を聞こうと、少しだけずらしていたイヤーマフを、副尼僧長は、慌てて耳に装着し直した。あれは、軍事大国スパルタノスが誇る、射撃用のイヤーマフだ。もはや彼女には、周囲の音は、何も聞こえていない。


外界の騒音を全て遮断し、副尼僧長は声を張り上げた。


「とにかくそのカエルを追い出せ! そうしたら、ヨメにしてやる!!」


その声は、もはや、物静かな彼女の声ではなかった。

仁王立ちになって、副尼僧長は辺りを睥睨していた。そのさまは、敬虔な彼女に、あたかも神が乗り移ったかのようだ。


ぴたりと、カエルの声が止んだ。窓の外も静まり返った。静けさが、きーんと耳に痛い。



「君がそれを望むなら……修道院へ入ることを」


静まり返った部屋の中へ、水槽の中から、か細い声がした。いつの間にか彼は、水槽の中に戻っていた。

透明な壁に貼り付き、白いお腹をべったりと水槽に押し付け、ジュリアンは言った。


「お別れだ、コルデリア」


この格好では、彼の腹部しか見えない。ガラスにべとっと張り付いたお腹は、純白だった。


「え? どゆこと?」

なぜわたしが、カエルと別れなければいけないの? こんなにかわいいのに。


「コルデリア様。あなたは、副尼僧長の話を聞いていなかったんですか!」

「大声を出さなくても聞こえますわ、尼僧長様」

全く年寄りは耳が遠いんだから、は、言わなかった。私は親切なのよ。


堂々と尼僧長は言い放った。

「そんなんだから、神に嫌われるのですよ! 神は、愚か者がお嫌いです」



「コルデリアを侮辱するな! また鳴くぞ!」

水槽の中から、抗議の声がした。

「ひえーーーーっ、それだけはお止めになって」

尼僧長は逃げ腰だ。



「コルデリア。君に会えて、お詫びも言えた。僕はもう、思い残すことはない」

真っ白なお腹を見せたまま、ジュリアンが言う。彼の心臓ハートがびくびくしているのがわかる。

「河へ帰るよ。そこで、カエルとして、一生を終えるんだ。だから君は、安心して、修道院へ行くがいい」


「ならば、許す。修道院へ来るがいい、コルデリア!」

別人のような声で、副尼僧長が叫ぶ。彼女はまだ、イヤーマフをつけたままだ。するとこれは、託宣の続き?


「待ってよ」

わたしは慌てた。

「なんでジュリアンが出て行かなくちゃならないの? だってあなたは、わたしを守ってくれるんでしょ?」


ジュリアンは、私に近づく悪い虫を食べてくれると誓った……。


「君を護りたかった。でも、僕がいたら、迷惑なんだ。君は、君の思う通りの人生を歩むことができなくなる」

水槽の壁から、ジュリアンは、ぴょんと飛び降りた。瞼を限界まで上げて、黒い目が全開になっている。

か、かわいい……。


「迷惑だなんて思ってないから」


気がついたら、わたしはそう答えていた。

水槽の底のカエルは、つやつやしていて、まるで宝石のようだ。身近に置いて、もっともっと観察したかった。


ジュリアンは、とてもわたしに懐いているし、食事をするのも上手になった。今では、立派な手乗りカエルだ。今は水槽に入っているけど、尼僧たちがいない時は、わたしの膝の上で暮らしている。


正直、人間の時のジュリアンはあんまり好きじゃなかった。でも、カエルのジュリアンは、大好き。可憐でキュートで愛らしい。

いつまでも一緒にいたい。お別れなんて、悲しすぎる。



「カエルはダメじゃ。カエルは追い出せ!」

人が変わったような胴間声で、尼僧院長が叫ぶ。


わたしとジュリアンは、顔を見合わせた。ジュリアンの瞳がクリっと動き、半空きの口から、舌がのぞけている。


知ってる? 意外と太いのよ、カエルの舌って。だから、飛んでる虫を巻き取れるわけね。いわば筋肉の塊。桃色の。

口の間から、その舌を惜しげもなく覗かせているジュリアン。もう、食べちゃいたいくらい、かわいいんだから!


「修道院には入らない」


わたしは言った。何のためらいもなかった。水槽からジュリアンを掬いだし、机の上に乗せ、屈む。目と目の高さを同じにし、言った。


「わたしには、あなたの方が大切よ、ジュリアン。だって、かわいいんだもん!」

「コルデリア……」

「あなたを追い出せなんて、確かに神様は、間違ってるわ!」

きっぱりと私は言い切った。


「これ、コルデリア様!」

慌てて尼僧院長が遮ろうとする。その彼女を真正面から見据え、わたしは宣言した。


「神様とジュリアンだったら、わたしはジュリアンを選びます!」



「きっ、君は、僕を選んでくれるんだね!」

ぴょんと、ジュリアンが跳ね上がった。わたしの手に近づき、水かきのついた小さな手を、人差し指の上に置く。


胸を張り、私は答えた。

「わたし、あなたを選びますわ」

「僕を……」

「はい」

「この僕を!」


「そうよ。カエルをね!」


「え……」

指に上りかけていたジュリアンが、滑って落ちた。



尼僧長は蒼白になっていた。

「コルデリア様。そのようなことをおっしゃると、祟りが……。モランシー公国に、水害旱魃疫病が!」



「モランシーの民には祟らぬ」

立ったままの尼僧院長が言った。こちらも、断固とした声だった。

「そもそもわしは、ここな公女は、貰いたくなかったのじゃ」


「では、洪水日照り疾病は……」

「くどい! 儂は民に祟らぬ。そして、公女も貰ってやらぬ。これで、痛み分けじゃ」


「はあ。そうでございますね……」

へなへなと、尼僧長は床に座り込んでしまった。








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