1. 黄昏-26

*****



 あの日、自信と日常を取り戻した篠井さんは、この世の全ての感情を一度に感じたと聞く。元の姿に戻ることができた喜び。家に帰ると何もなかったかのように迎え入れた家族への怒り。ニュースで知った、師と仰ぐほどの存在の死への哀しみ。それこそあの姿のように絡みついたままの感情が、数か月の非日常の名残だった。

 しかし、その束縛は思ったより早く解消され、今は服を作る楽しみに包まれているらしい。あのドレスも、いよいよ完成を迎えるとのことだ。


「お待たせ!」


 すっかり健康的な顔立ちに戻りつつも、どこか疲れた様子の彼女が僕を自室へ招き入れる。中に入ると、ここ一か月ですっかり見慣れた、あの夕日のように熱いドレスをまとったお姫様がいた。


「……どうかな」


「いいじゃん!」


「ふふん、でしょー?」


 篠井さんは隣で得意気に鼻を鳴らした。こうやって見ると、同年代の女子と比べても幼く見える。これまでの重圧が無くなった反動か、何週間も悩んでいたこのドレスは、ほんの数日で完成したそうだ。きちんと、裾にはきれいな白薔薇が飾られている。


「ちょっと。私の感想もらってないんだけど」


 ティアラに目線を移そうとしたが、不服な顔に止められてしまった。目が合うと、すぐに頬を緩めた寺田さんは、せっかくの機会とのことだったので軽く化粧をしたらしい。以前は暗闇でよく見えなかったが、普段より大人びて見える。


「うん。お姫様みたいでいいね」


「お姫様みたいに?」


「うん」


「……そうじゃなくて、お姫様みたいにー?」


 寺田さんが耳を傾け、僕が首をかしげていると、横からわき腹をつつかれた。


「あ、そういうことか」


 僕は悟った。でも、さすがに面と向かって言うのは恥ずかしい。でもこの状況、言わなければ帰してもらえなさそうだ。


「とても、きれいです」


「ふふっ、ありがとう。お世辞でもうれしい」


 僕に向けられるはずじゃなかった笑顔に、思わず顔が熱くなる。


「そんなことないよ。本当にきれいだと思ってる。モデルみたい」


「顔引きつってるけど?」


「それは、恥ずかしいから……」


 二人に笑われてもっと恥ずかしくなってきた。


「それにしてもよかったね。これが日の目を浴びることができて」


 無限に続きそうな二人の爆笑を遮るように、僕は一回手を叩いた。


「本当に。感情はぐちゃぐちゃだけどね」


 彼女がドレスを完成させるまでに、毎年応募していたコンクールの期限は過ぎてしまった。しかし、尊敬していたアーティストの死を悼んで、今年の冬に特別なコンクールをするとの発表があった。多くのライバルはこの夏に賭けていたとのことで、チャンスが巡ってきたと意気込んでいる。


「でも、それより先に披露する機会が、もうすぐだもんね」


 彼女は頷いた。

 高校生活三度目の祭りは、もうすぐだ。

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