ミレニアム――千年を超えた誓い
原滝 飛沫
一章
第1話 伝説の准将
研究室は地下にあった。人工的な光で照らされた空間には大型の装置が鎮座している。
門のような、内側に何かを秘めていそうな形状。重そうな暗い扉が固く閉ざされている。
大気や土壌の成分を分析するための機材も点在している。あっちこっちに謎めいた機械が置かれるさまはさながら研究室だ。知的に演出された空間が踏み入った者の自尊心を増長させる。
別室にはテーブルとチェア。一つの人影が右手にコーヒーカップを持っている。
烈日を思わせる金髪に黒い衣装が似合っている。胸部には多くの勲章。襟元につく階級章は、男性が准将の地位にあることを示している。
准将のわりにかなり若い。二十代前半だから当たり前だが、世界を見渡してもこの年で准将の座につく人物はそういない。
コツンと空間に音が響く。
軍靴が階段を叩く音だ。上の階層から一つの人影が下りてくる。同じ色合いの軍服を身に着けた女性が研究室の床に靴裏を付ける。
頭から伸びた耳がふわふわした毛におおわれている。尾骨のあたりで一本の尻尾がぎこちなく揺れる。
締め付けるような空気の中、女性がビシッと右まゆに手刀を当てた。
「陸軍少尉ハミントン、参りました」
はきはきとした口調が響き渡る。
男性が振り向いた。
「ラディウス・ラスター准将だ。そう硬くならないでくれ。見ているこっちが緊張する」
引き結ばれていた口元が弧を描く。
部屋を満たしていた重い空気が霧散した。
「立っているのもつらいだろう。好きな椅子に座ってくれ」
「はっ、失礼いたします」
軍靴が床を踏み鳴らした。ハミントンがラディウスの近くにある椅子に腰を下ろす。
「コーヒーは余っているが、君はコーヒーをたしなむのか?」
「はい。いただけるのでしたら、ぜひたしなませてください」
「分かった。ならばご馳走しよう」
ラディウスが椅子を立つ。
ハミントンが慌てて腰を上げた。
「コーヒーを入れるくらいは自分がやります! 閣下のお手をわずらわせるわけには!」
「君は自分で
「いえ、自分でコーヒーを淹れたことはありません」
「ならば少尉ゆえの義務感か? それとも男性が淹れた物への警戒か?」
「い、いえ! そのようなこと、自分はみじんも!」
ハミントンは声を張り上げた。閣下の機嫌を損ねたか? 自問自答する間も背に冷たいものが走る。
ラディウスが振り向く。
整った顔立ちには苦笑が浮かんでいた。
「すまない、少々意地悪を言った。階級にあまんじた振る舞いも大事だが、今の君には対等な語り相手になってほしいんだ。何か特別な理由がないなら私に淹れさせてほしい。こう見えてコーヒーを淹れるのは上手いんだ」
「そ、そういうことでしたらお願いしたく存じます」
ハミントンはほっと胸をなで下ろす。
柔和な立ち振る舞いこそあれ、正面にいる
ラディウスがお盆を手に戻った。ソーサーの底でテーブルの天板を鳴らし、ハミントンの前にそっとコーヒーカップが置かれる。
「ありがとうございます。いただきます」
出された以上は遠慮する理由もない。ハミントンはコーヒーカップの取っ手を握って口元に近付ける。深みのある香りに口元を緩めて、そっと一口含む。
ハミントンは目を見張った。
「美味しい!」
「いい豆を使っているからな」
「豆のおかげだけ、なんですかねこれ」
コーヒーの味は淹れる者によっても変わるが、今飲んだコーヒーの味はちょっとしたテクニックで出せるレベルを超えている。経験を積んだプロにしか出せない味だ。
眼前の上司は極秘のプロジェクトで忙しい。休日を摂るのも稀と聞く。時間に余裕のない軍人が淹れられる味とは思えない。
「どうした? ずいぶん静かじゃないか」
「いえ、自分は普段からこの調子ですので」
「何を言っているんだ、君はムードメーカーじゃないか。友人に冗談を言って笑わせるのが得意だと記憶しているが」
「え⁉」
驚愕の声が口を突いた。
閣下の言葉は当たっている。ハミントンはジョークを言うのが好きだ。友人につまらないとげんなりされても、全く
そんな姿を見られていた。穴があったら入りたい衝動に駆られる。
「どうした? 何か気に障るようなことを言ってしまったか?」
「い、いえ、ちょっと意外でした。閣下が私のことを知っていたなんて。私まだ少尉なのに」
「階級は関係ない。部下の名前は士官兵卒問わず覚えている」
「問わずって、全員の名前を覚えているんですか⁉」
「ああ。気持ち悪いか?」
「あ、いや、閣下に名前を呼ばれるのは嬉しいですけど、ディクロストの軍人は百や千じゃありませんよ? こうおっしゃっては何ですが、さすがに嘘ですよね?」
「どうだろうな」
ラディウスの口元が弧を描く。
そこではぐらかしますか! ハミントンは突っ込もうとして自重する。
和やかな雰囲気に流されそうになるものの、眼前の男性は准将だ。本来馴れ馴れしく接してはいけない相手だ。
そうでなくともラディウス・ラスターと言えば伝説の人物。緊張がいまだに抜けきらないのは、目の前にいる相手がまぎれもない偉人だからだ。
ハミントンは息を呑む。
面と向かって話す機会はそうそうない。一秒も無駄にできないのだ。
「あの、閣下。今お時間よろしいでしょうか?」
「無論だ。何が聞きたい?」
「閣下の武勇伝についてお聞かせ願いたいのです」
「すでに聞き及んでいるんじゃないか?」
「耳にしたことはありますが、内容がバラバラでわけ分からなくて。一人で師団を止めたとか、大帝の右腕を単独撃破したとか、あげくの果てには千年生きた超人だとか、もうめちゃくちゃでして」
ラディウスが肩をすくめる。
「いつの時代も面白おかしく飾られるな。噂というやつは」
「そうなんですよね。どうしてみんな嘘を交えちゃうんでしょうね」
「そうだな。真実を知りたい側にとってはもどかしい限りだろう」
共感を得られた。
これ幸いと、ハミントンは身を乗り出した。
「というわけで閣下。真実をお教えいただけないでしょうか? 魔族嫌いで知られていた閣下が、どうして魔族との融和を推し進めるようになったのか。すごく興味があるんです」
「別に構わないが、長くなるかもしれないぞ」
「望むところです!」
ラディウスが両手をかざす。端正な顔に、苦々しい笑みが浮かぶ。
「分かったから座れ。俺は逃げも隠れもしない」
「す、すみません!」
ハミントンは慌てて椅子に尻もちをつく。
准将の地位にいる男性が天井を仰いだ。どこか遠い目をして口を開く。
ハミントンにとっては、未知にあふれた輝かしい英雄譚。
ラディウスにとっては、苦難に満ちた苦々しい争いの物語。
「そうだな、どこから話そうか」
ラディウスがおもむろに語り出す。
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