市松ちゃんの恋

桜野 叶う

市松ちゃんの恋

 とある中学の一年生の間で、噂は広まっている。便所など人の目に付かないところでの、世間話の材料になることが多い。

「知ってる? あの、三組にいる、雪田せつだ市松いちまつって子」

「知ってる、知ってる。名前の通り、市松人形にそっくりってね」

「そーそー、髪型も顔もまんまそれで、背もちっさくて、本当に人形みたいだから、近づいたら呪われるっていう、噂もあるとか」

「えー、怖ーい」

「あんま、相手にしんほうがいーよ」

 春の大型連休の休みと休みの間にある、登校日。いっそのこと、今日も休みにしてしまえばいいのにと、うだうだと嘆きごとをほざきながら、登校する生徒たち。朝からだるだると冴えない様子だ。

 しかし、だるだるどころか、ピシッと気を張り詰めて登校する生徒がいた。一年三組の雪田市松という、一人の女子生徒だ。肌は色白、しなやかにたなびく細い目。小さく愛らしいおちょぼ口。肩まで伸びたおかっぱ頭は、雛祭りによく飾られる、市松人形そのものだ。学校指定の通学カバンを肩に掛け、その紐を両手でギュッと握りしめて、心臓をドキドキさせていた。

 教室の、後ろの入り口の前に立って、一つ深呼吸をした。改めてカバンの紐を握ると、足を教室の中に踏み入れた。

「おはよ」

 すでに教室にいるクラスメイトの皆に挨拶をした。市松の声は届いていないのか、誰も振り向きもしない。そのまま、自分の席に向かった。

(よし言った! 皆に挨拶、ちゃんと言ったよ)

 市松の顔は、張り詰めていたのが解けたかのように、晴々していた。今はまだ朝だが、一日で一番の大仕事を成しえた後の如くさっぱりとした顔をしていた。

 内気な性格の市松にとって、誰かに挨拶をすることは、学校生活における最大の試練と言っても過言ではない。それを達成した。中学生になって、丸々新しい環境に変わってからは、自分も大幅に変わろうと決意したのだ。そのため非力ながらも、毎朝、毎朝、皆に挨拶を欠かさない。

「はよーっす、皆」

 教室内に、再び皆に挨拶をする声が響いた。見ると、市松はハッと反応した。そして心をときめかせた。

満幸みゆきくんだ。何日ぶりにその顔をみたなー)

 岡地おかじ満幸みゆき。社交的で気さくで、誰彼構わず話しかけるような、キラキラ男子。内気で挨拶するのにも一苦労の市松にとって、憧れの的である。

 満幸が一つ挨拶をすれば、皆が彼によっていく。まるで、妖しく美しき花に集まる虫々の如し。

 市松とは違い、満幸には人を惹きつけるような、スーパーパワーが備わっているんだな。同じクラスの生徒であるはずなのに、とても離れた距離にいるように感じた。実際、二人の席は離れていた。市松の席は、一番後ろの端っこ。窓側の隅のところに位置している。皆に囲まれた席ではないから、ちょっと気楽なような、ちょっと寂しいような。対して満幸の席は、教室のど真ん中にあり、四方を囲まれている。

 誰彼構わず気さくに優しく接する彼だから、彼の近くにいる人たちなんかは、毎日が最高なのだろうと、市松はちょっと羨ましかった。次の席替えでは、彼の近くになれたらいいなと切望している。

 満幸を取り囲む人たちの中に、市松が加わることはできなかった。そんな勇気を持っていない。市松は、人形みたいで気味が悪いと、皆から快く思われていないことは知っている。影で自分の悪口や変な噂話をしているのも、直に届いていた。

 そんな市松が、満幸に近づくなど、この場にいる誰もが許さないだろう。何しろ、満幸に近づいている人たちというのは、満幸と同じような、社交的な人たち。授業でも目立つような、キラキラした女子や男子たちなのだ。ああいう人たちが、一番市松を嫌っていた。悪口も変な噂も、大抵が彼らや同じ類いの人たちの口から聞く。例え近づいたとしても、除け者にされるのが目に見えている。それも怖いから、なかなか近づけない。

 ところがなぜか、満幸は市松に積極的に近づてくるのだ。彼は周りの人たちが向ける眼差しなど、みじんも気に留めることなく、飄々としていた。

 今朝も集まった人たちを押しのけて、まっすぐ市松のところへやってきた。

「おはよっ! 市松ちゃん」

 市松に対しても、気さくに挨拶をしてくれた。

「おはよ、満幸くん」

 市松はドキドキしながらも、挨拶を返した。満幸はふっと笑顔になると、市松の頭を撫でた。

 顔の様相は困り顔からさほど変わらないものの、内心は激しく慌てふためいていた。

(ま、また満幸くんに頭を撫でられた!!)

 満幸に撫でられるのは、これまでしょっちゅうされたことであるが、平穏でいられたことは一度たりともない。

 

 互いに知り合う仲になったのは、中学に入学してまだ日が浅いうちの頃だ。市松とは違う小学校出身の男子たち三人グループの一人が、顔も名前もまだ知らない市松に目を当てて言った。「なんかあいつ、マジで人形にそっくりだよな」

と。その輪の中心にいた満幸は、市松を見て目をキラキラと輝かせた。そして、市松に近づいた。

「雪田市松さんだよね!」

 いきなり話しかけられて、戸惑う市松。満幸は構うことなく、軽く前屈みになって、市松をじっと見た。

「可愛い。ホントにお人形みたい」

 そう言って、市松の左頬に手を当てた。

 想定外のことが度重なり、市松の頭の中は、ビックリマークやハテナマークがいっぱい混在して、混乱状態の最中にある。

「満幸は可愛いもん好きだからなー」

「だが、そのセンスはちょっと変わってんだよな」

「まー、そーだな」

 側に立って見ていた、他の二人の男子たちが、口々に言った。後者の、満幸のセンスをみくびるような言いぐさには、「あン?」と反応した。

「何が変わってんだ。可愛いだろ、市松っちゃん!」

 と、市松の両肩をがっしり掴んで、仲間たち皆の前に突き出した。まるで、己の自慢の逸品でも見せびらかすかのように。

 仲間たちは、品定めをするように、市松をじろじろと見ていた。その顔は一貫して、無愛想。そんな彼らに満幸は、不服な顔をした。

「なんだよ、その顔。もう、いい」

 満幸は頬をふくらした。

「悪りぃな、市松ちゃん」

 と謝罪してから、市松の頭をそっと撫でた。からかってはいない。単純に市松を可愛く思い、愛しんでいる。可愛いもの好き男子、満幸。それを市松は、感じた。

 周りの人たちに構うことなく、「可愛い」と言ってくれたとき、市松は戸惑うとともに、体内では、大きな衝撃が走った。お寺の大きな釣り鐘を渾身の力で突いたような、窓ガラスもカチ割れる大きな衝撃だ。

「可愛い」なんて、特に学校なんかでは、言われたことがなかった。市松を見て、必ずこぼれる第一声である「お人形みたい」は、褒め言葉ではない。怪しいものだとわらっているのだ。

 しかし、満幸が言った「お人形みたい」は、可愛いというプラスの意味が含まれていた。「お人形みたい」て言葉の新しい側面が見えたようで、新鮮というか、険しい宝探しの末に、見事立派な宝箱を見つけられたような、そんなうれしさを覚えた。それは今でも忘れていない。

 あの時以来、自然と彼の姿を追ってしまう。市松の目が意識が、どうしても満幸の方へ向いてしまう。あんまり見続けるのはよくないと、目をそらしたりもするが、あまり長くは続かない。すぐに満幸の姿を捉えたがってしまう。

 市松の方から近くことはできないから、遠く離れた席に座って、満幸の様相をじっくりと観察をする。周りの仲の良い人たちと、楽しそうに話している様子。幸せそうに笑っている様子。会話の内容も盗み聞いて、彼の趣味や性格なんかも知っていく。それはまるで、見つけた宝箱の中身を確認するかのよう。側からは盗人と思われてしまいそうで、手は強張る。

 自分から近くに寄ることはできないにもかかわらず、満幸の方からは、一日のうちに何度でも声をかけてくれる。市松のような、内気で目立たない女子に対しても、なんの隔たりもなく接してくれる。

(なんていい人だ……)

 市松は、何度も満幸に心を奪われていた。その反面、自ずと沸き起こる後悔の念が、地味に長い尾を引いている。

 近づきたい。けれど、近づけない。様子を見て、行きたいと思えど、行けばその後がどうなるか。厳しい試練が待ち構えていることは、避けては通れない道だ。

 満幸は、女の子にもよく好かれる。中でも群を抜けて、彼を好いているのが、柚木ゆずきここあという、満幸と同じようなキラキラ女子。クラスの学級委員なんかにも、進んで立候補する優等生だ。身なりや仕草なんかも、品があって、可愛らしい。満幸とも仲良く楽しげに話しているのを見て、お似合いだなという声も聞こえる。

 満幸とここあの間に割って入るのは気が引ける。邪魔しちゃ悪いというのもあるが、柚木ここあという女子こそが、誰よりも市松を嫌っていた。気に食わないのだろう。満幸が「可愛い」と、愛して大切にする女子の存在を。その本気度は絶大だ。何しろ、影でこそこそと陰口を言っているだけでなく、市松の前にも現れて、正々堂々とものを言った。

 四月も終わりに近づいた、週末の頃。大型連休の前日だ。授業が終わって、家に帰ろうと校門を出ると、珍しくここあが一人でいた。連れの友達でも待っているかと思えば、市松に近づいてきて「ちょっと来て」と腕を引っ張られた。そして、中学校のすぐ近くにある、小さな公園にて二人は向き合った。

 一体、何を言われるのか。想定できていないわけではないが、市松の胸中は不安がいっぱいで、息をするにも窮屈だ。

「ねぇ」

 ここあは口を開いた。

「ねぇ、なんで? なんでアンタばっかりに、満幸が!」

 そう言い放つと、両方の拳を握り、ギロリと市松を睨んだ。

「アンタってそんな可愛いか? 不気味な日本人形にそっくりで、今にも呪われそう。そんなお人形に、どうして可愛いって近寄るのよ!」

 声は震えていた。

「私ね、満幸のこと、小五の頃から好きなんだよ。でも、小六でも同じクラスになれなくて、それでも委員会や係なんかで一緒になって、よく話したり、手伝ったり。中学になってやっと同じクラスになったと思えば、満幸は妙なお人形に夢中でいる。もう、呪いにかかったんじゃないの? この、疫病神!」

 溜まっていた思いを全て出し切ると、そっぽを向いて、そのまま帰っていった。

 市松は状況が呑み込めないまま、ぼーっと立ち尽くしていた。ただ、心がちくちくと傷んで、もやもやと息苦しかった。


 連休の合間の、登校日である今朝。満幸よりも少し遅れて、ここあが登校してきた。なんだか、晴れない顔をしていた。

 体育の授業の前の、着替えの最中、いつもの友達に囲まれているここあは、顔を歪ませて、愚痴を吐き出していた。

「あー、最悪。なんであんなヤツをずっと好きでいたんだろ」

 ここあが吐き出した言葉が耳に入って、浮かび上がった人物の顔を見て、激しい動揺が広がった。強く波打つ湖畔の如く。

「それって、岡地満幸のこと?」

「そう、満幸」

 彼女はその名をはっきりと口にした。市松は、たやすく呑み込むことができない。

(どうして? 休み前までは、彼をあんなに好きで、私を嫌っていたのに)

 これには周りの友達も、驚いていた。

「え、ウソ!? 小学校の頃からずっと好きだったのに?」

「うん、でももう嫌だアイツ」

「えー、なんで?」

「ゴールデンウィークの初日に、満幸に台湾料理のフェスに誘われたの。そんで待ち合わせの場所に来てみたら、アイツめちゃくちゃダサい格好してて、幻滅した。すぐに帰ってやったわ」

「え、どんなの?」

「それがさ……」

 ここあはぐだぐだと、出来事の詳細を話した。市松は、その話を注意して聞いていた。しかし、あんなに満幸を好きだと叫んでいた彼女が、こうも短期間で、満幸のことを嫌いになってしまうのか。

 

「あの、満幸くん」

「ん? 市松ちゃん、どうしたの」

 昼放課の時間に、市松は満幸を訪ねた。どうしても、聞いておきたかったことがある。

「休みの時に、柚木さんを誘ったって」

「ああ、八木沢公園の広場でやってる台湾料理のフェスにな。すぐに帰ったけど」

 市松は、次の言葉を見失ってしまった。失礼なことを言わないようにと、慎重に捜索しているが、何も浮かばない。

「そのイベントさ、明日もやってるから、二人で行こうよ」

「……え?」

  今、満幸くんに誘われた。ちょっと信じがたいことである。

「明日って、何か予定はある?」

「うん、特に予定はないよ」

「じゃあ、行ける?」

「……行けるよ」

「おお、サンキュ。じゃ、明日の朝十時に、本橋駅でね」

 返事をして、市松の中では、大きな衝撃が広がった。満幸と二人で、イベントに参加するのだ。満幸の着てくる格好も気になるが、それよりも市松自身の格好に、気合を入れようと心を燃やした。

 

 翌日、午前十時前の本橋駅。市松は、待ち合い時刻の一時間前から待っていた。そして、待ち合い時刻の十分前にやってきた。

「おはよ」

「おぉ、おはよー、市松ちゃん。ずいぶん早く来たんだな」

「うん、遅れちゃうよりかは、待ってた方がいいから。それはそうと、満幸くん、思ってたよりもずっと普通の服装だけど……」

「ああ、柚木のときは、ワザとめっちゃダッセェの着て行ったんだ」

「……それって、わざと嫌われに行ったってこと?」

「そうさ」

 どうしてそんなことをしたのか。市松は心苦しく思った。満幸のような、気さくでいい人が、誰かに嫌われるだなんて、信じられないことだ。

「な、なんでそんなことしたの」

 市松は満幸に尋ねた。満幸は優しく微笑んだ。

「そんなの、君と一緒いたいからに決まってんじゃん、市松ちゃん」

 さあ、行こうぜ。と市松の手を取った。市松は、状況を上手く整理することができず、テンパる気持ちがどんどん昂ぶっていく。

(そのためなら、誰かに嫌われても構わないということなの?)

「切符買うか」

「あ、もう買ってあるよ。満幸くんの分も」

 肩から提げた、がま口の小さなカバンを開き、二つの切符を取り出した。そのうちの一つを満幸に渡した。

「サンキューな」


 そして二人は、電車に乗り込んだ。

「そういや、ずっと気になってたけど、どうして着物なの」

「私、普段から和服なの。洋服よりも似合うから」

「……うん、たしかに似合い過ぎてる。こうなったら、もうホントに市松人形だな」

「満幸くんになら、別に言われてもいいよ」

(なぜなら、満幸くんは、私にとって、“特別なお宝” なのだから )


 



 



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