第3章

 西から指す茜色の視線が、その棚の一所を照らしている。穴に鍵を差し込むと、小さくぎぃと音を立てて錆びかけた扉を開けた。中には書簡が一つ、収められていた。それを見つめた彼の瞳には、あの日の記憶が蘇よみがえった。


 「娘を好いて下さってありがとうございました」

 傾きかけた陽がリディアの父の頬に窓枠の影を落とした。その腕には目を閉じたままの娘を抱きかかえている。

 二人と向き合ったアレンは、ただぼんやりとその様子を見ていた。

 父親が一礼して去っていく。アレンは気が付いてその後ろ姿に向かって叫んだ。

 「待って!」

 慌てて走りだそうとしたが動かない。傍らにいた侍従がアレンの肩を掴んでいた。それでも動こうとするアレンに対し、侍従はそっと諭すように言った。

 「オーレン侯爵はリディア様を守るためにご決断なさったのです」

 「嫌だ!」

 アレンは必死に抵抗した。だが彼にはわかっていた。今の自分には、彼女の手を握ることしかできない。それでもその手を離せば二度とリディアには会えなくなる。彼の手が空を切った。無情にもその姿が遠ざかっていく。やがて二人の姿が見えなくなると、力なく床に崩れ落ちた。そして彼はまじまじと思い知らされた。

 何の力も持たないただの子どもであることを。アレンは悔しくてたまらなかった。

 小さくも大きな絶望の叫びが城内にこだました。


 日がとっぷりと暮れた薄暗い室内をそっと覗き込む者があった。

 「まだ落ち着かれないご様子です」

 侍従がやんわりと止めに入るのを制し、王は部屋の中へと歩みを進めた。

 寝台の上でうずくまる息子に王は近づいた。気配に気づいたアレンが埋めていた枕から顔を上げた。彼は相手を認めてきっと睨んだ。それを無言の目が見つめ返した。

 ややあって王は彼の手元に視線を落とした。色が変わるほど強く握られている。王は自身の手を重ねると、その目線に合わせた。

 「別れとは辛いものだな」

 優しい声色に、思いがけず王子の目元が緩んだ。

「思い入れが深ければなおのことだ」

 王は吐息を零した。その瞳にも愁色が滲んでいる。

「だがその別れにも意味がある。今はわからぬが、いつか分かるときが訪れよう」

 その言葉に堰を切ったように涙があふれ出す。アレンは激しく息を吸い上げた。その様子を慈しみに満ちた目が見つめる。王は落ち着くまでしばらくそれを見守った。

 「これをお前に預ける。ある者から還された物だ。私はこれの処理を保留にした。もし使う時があれば、お前の好きにして良い」

 そう言って王はある書簡を王子に手渡した。


 父から渡された書簡をアレンは十年ぶりに眺めていた。確かに、あの別れには意味があったのかもしれない。

 「俺はずっと君を想い続けてきた。それが答えだ」

 捨てきれずにしまい込んでいた。今その扉を開く時が来た。自分には彼女を守るための両腕がある。アレンはあの日を思い返した。頽れて泣きじゃくるだけの自分ではもうないのだから。

 「殿下」

 侍従が戸口に現れた。その背後からは、快活な声が近づいてくる。少し間を置いてその主が姿を見せた。

 「姉上」

 「ちょっといいかしら」

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