第3話



 祖母は、叔母が買い物から帰ってくる一時間程の間に、私の母親、千穂について様々な事を教えてくれた。


 どれもこれも、私の知らなかった話。


 まるで遠い異国の物語のように感じた。


 そして、その物語は、紡がれた糸のように絡み合い私の記憶に染み込むように融合していく。



 引っ込み思案で内気だった母さんを、向日葵のような明るい性格に変えたていったのは叔母さん。


 やがて、関口のおばちゃんや父さんを巻き込み、四人で遊び回っていたそうだ。


 成長した四人は、バラバラになった後も友情が途絶えることはなかったらしい。


 特に強い絆で結ばれた母と叔母は頻繁なやり取りがあったようだ。


 そんな中で、共に同じ大学へと進学した父と母は互いを引き合うように結ばれ、ゆったりと愛を育んでいった。叔母も関口のおばちゃんもいつかその日が来ると踏んでいたそうだ。


 二人の結婚式の日。


 母は皆の前で二つの話をしたそうだ。


 一つは新しい命を身籠ったこと。


 もう一つは……。


 突然発祥した病気のために余命が後、一年だと言うこと。


 祖母は、その時の母の凛とした表情の裏に、様々な葛藤を見たと言っていた。


 私は、私の中に流れる熱い母の血を感じていた。


 まるで嵐の中の立ち木のように、胸が終始ざわついた。


 そして、涙が止まらなかった。


 机の上に置かれた写真に、私の熱い雫がポタポタと落ちた。


 肩を震わせ嗚咽を繰り返す私に、祖母は手拭いを渡してくれた。


 そして話を締め括るようにこう言った。


「千穂ちゃんはね、自分の死を受け入れたあとにみんなとそれぞれ秘密の約束事をしたの。おばあちゃんとした約束は、『子供が私の事を尋ねてくる日がいつか来ると思います。そしたらお義母さん、包み隠さず全てを話してあげてね。お願いします』と言っていたわ」



 祖母は約束をやっと果たせたと微笑んだ。なんだかとても重い荷物を下ろしたような。


 それとは逆に、私はどこか引っ掛かりを感じていた。


 祖母の話し初めのあの言葉。


 叔母が私に抱く特別な感情って……。


 抑え切れない感情は再び勢いを増し、私の足は叔母がいる台所へ自然と向いていた。



 □


「なによ千夏。私の背後に黙って立って。手が離せないのよ、話なら後にしてちょうだい」


 叔母は私に目をやることなく台所で夕飯の支度をしながら背中で言った。


 その後ろ姿に、またも母親の面影が重なって見える。あんなにも苦手に思っていた叔母が、今は私に一番近い存在に思えてきた。


 私は今までと変わらないはずなのに。過去を知ってしまった私の見る世界は180度ひっくり返ってしまったのかなぁ。


「あ、あのね。さっきの話しの続きなんだけど……」


「……」


 叔母は手をピタリと止めた。


 蛇口から流れる続ける水の音が辺りに響く。


 叔母は姿勢をそのままに、斜め後ろに立つ私に顔を向けた。


 それはまるで私の心を射抜くような目付きだった。


 私はとても動揺した。なにか不味かったのかと困惑さえした。でもそれは違った。


 私の赤く腫れた目を見た叔母は、一旦天井を見上げると小さく呟いた。


「千夏。明日のお墓参りの後、話しをしましょう」


「な、なんでなの……なんで今じゃ駄目な……」


 私はそこまで言いかけて言葉に詰まってしまった。


 不自然に天井を見上げた叔母の仕草の意味がわかってしまったから。


 頬を伝うものが見てしまったから。


 叔母はその場の空気を変えるように、少しの無理のある弾んだ声をだして言った。


「さ、晩御飯の支度がそろそろ出来るわ、雅之を呼んできて。多分、明子ちゃんの所にいっているはずよ」


 私はいてもたってもいられずに、返事を返すことなくその場を去った。


 玄関を飛び出した私の体に、むわっとした熱気が絡み付く。


 不規則に点滅を繰り返す木製の街路灯には羽虫が沢山飛び回っていた。



 □



 父の実家から歩いて十分。村を一望できる山の斜面に小野家の墓はあった。


 毎年くるこの時期が私は嫌いだった。


 だけれど今年は違っていた。


 早く、早くあの場所へ行きたかった。


 紺の制服に身を包んだ私は、集まった親戚達の誰よりも先に玄関を飛び出し、先頭をきってお墓に向かっていた。


 例年ならば最後方を気だるそうにのたのたと付いていった私がだ。


 汗が額からとめどなく伝う。濡れた前髪が頬に張り付いてとても邪魔だ。だけれど私は足を止めることなく一本道の坂を駆け上がる。



 わかっていた。



 その場に行ったところで去年と何か変わることなんかないこと。


 積まれた石がひっそりと佇むだけだってこと。


 私の目の前に静かに佇むそれは、いつもと変わらずにそこにあった。


 どの記憶の引き出しから出したものでも代わり映えはしていない。


 そして、特別な物として映るわけでもないそれは、ただの小綺麗な石柱でしかなかった。


「母さん……」


 囁きにも似た呟きは、蝉の声にかき消された。


 わかってはいたけれど、やはりこんな場所に母の姿、体温、匂い……なんてもの、在りはしなかった。


 私が望むものはなんなのだろう。


 私が欲するものはなんなのだろう。


 手と手を取り合った時の温もりだろうか。それとも目には見えない、愛だとかっていう掴めないものなのだろうか。


 その答えは、祖母が教えてくれた『母の秘密の約束事』の中にあると私は思った。


 先ずは叔母にそれを尋ねなければならなかった。



 来た道を振り返ると、黒ずくめの一団がぞろぞろと坂道を上がってくるのが見える。


 早く、早くこの意味のある無意味な時間が過ぎ去ってほしかった。



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